第8話

文字数 3,761文字


 自宅に戻った伊達は久しぶりに泳いで疲れたせいか気分が落ち込んで食事をする気にもなれなかった。

 夕食も摂らずにベッドに入ったがなかなか寝付けず、真っ暗な寝室で目を開けていると急に目が回り出したように感じその後、目の前に小さなペイズリー柄の模様のようなものが沢山現れ始めた。
 次々に生まれてくるペイズリー柄は暗闇の中でネオンのように青白く光りながら波紋のように大きくなって広がり、その眩しさから目を瞑ると今度は瞼の裏で輝き続けた。

 何が起きているのか判らずにそのまま固く目を閉じていると知らない間に眠りに落ち、化け物に襲われる悪夢で目覚めると今度は初めて味わう得体の知れない恐怖感に襲われる。
 どうすることも出来ず、家中の灯りを点けたままにして空が明るくなるまで恐怖と闘いながら過ごした。

 4時を過ぎ、部屋が明るくなってくると初めて味わう得体の知れない恐怖は何事もなかったようにどこかへ消え去った。
 まだ起きるには早いと思ったがベッドから出てみると眠れていない割には疲れておらず、今日やる仕事のことを考えていると昨夜の事はすっかり忘れてしまった。

   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 伊達は『AOKIマイニング』の院長室で青木と吉田警部に再び会った。

「今回の事件、現場の写真を見て知ったのですが殺し方がかなり残酷なんです…」吉田警部が開口一番にそう言い、「お断り頂いても構いませんので転送を請けるかどうか慎重にお考えください。…」伊達の顔を複雑な表情で見る。

「今回の事件は品川の件と関係ありそうなんですか?」先ず自分が気になっていた事を伊達が訊くと
「署では同じ犯人と見ています」警部は大きく頷いた。

 犯人が同じと聞いた伊達に転送を断る理由は無くなったが少女の事が心配になり、
「先程残酷だと言ったのは、10歳の少女にその悲惨な事件を思い出させればかなりの精神的リスクを伴う、という意味ですよね?」警部が言ったことを確かめると、
「はい、その通りですが…、伊達さんも同様にリスクを負うことになります。どんな方法ならそのリスクを最小限に留められるか青木さんに相談していたのですが…」警部は口籠った。

「じゃあ、良い方法が無いとでも?」伊達が普段の警部と違う歯切れの悪い言い方にそう返すと、
「やって頂くとしても、犯人が同じか否かを確認するだけの短い転送に留め…」再び吉田警部が答えたが
「ただ…」とすぐに青木が割って入る。

「ただ…、何ですか?」今度は青木の方を向いた伊達が急かすように言うと、
「トラウマになることを避けるには…、事件を思い出した事が記憶に残らないよう強めの麻酔でやるしかないんです…」青木は困ったように話す。

「そのやり方に何か問題があるんですか?」その話し方に不安を感じた伊達が訊くと、 
「記憶の送り手に強い麻酔を掛けて転送を行うと幻覚が起きやすくなり、それが一緒に送られてしまうんです。幻覚が想像を超える恐ろしいものになれば、それを受け取った人は確実に精神をやられてしまいます」青木はやるなと言いたげにそう告げた。

 それを聞いて黙ってしまった伊達を見て、
「送り手が子供の場合、その計り知れない想像力によってどんな恐ろしい幻覚になるのか想像すら出来ず、かなりの危険が伴います。過去には幻覚を転送されて狂ってしまった人も多く、だから現在は弱い麻酔で行われているんです」と青木は付け加えた。

「短い転送と言っていましたが具体的にどのくらいですか?」麻理の為にどうしても犯人を捕まえたかった伊達が訊くと、
「すでに犯人の顔を知っている伊達さんなら1、2秒の転送で十分だと思いますが、犯人を見ている時の記憶をタイミング良く掘り起こせなければ1分位になってしまうかも知れず、そうなれば何が起こるか…」眉間にシワを寄せ、苦しそうな表情で青木が答えた。

「……………………」3人の長い沈黙の後、
「あの少女に精神的リスクがないのなら、強い麻酔でやりましょう!」伊達は覚悟を決めたように元気よく切り出した。

「伊達さん…」青木が声を絞り出すように呟き、「では、こうしましょう。5秒で区切って数回だけ…、えっと、じゃあ3回までにして、犯人を確認出来なくてもそれで終わりにしましょう」同意を求めるようにして警部を見ると、
「やって頂けるなら、異論はありません」ずっと下を向いて沈黙していた警部が複雑な表情で答えた。

 すると伊達は皆を安心させようと、
「たとえ僕が狂ってしまったとしても悲しむ者は誰もいないし、たった1、2秒の転送なら心配ないでしょう」明るく言って笑った。



 伊達の隣のベッドで雪という名の少女がゴーグルと酸素マスクを着け、麻酔で既に眠っていた。

「準備が整いました」青木が全ての準備を終えると伊達と警部を見て少し緊張した声で言う。

 伊達は皆の緊張を吹き飛ばすように
「さあ、やりましょう。青木さんの腕なら1回で成功するでしょう」笑顔で言うといつものように精神安定剤のタブレットを3錠、口の中に放り込んだ。

 青木は伊達の酸素マスクへ麻酔を送りながら、
「では、始めます」緊張した面持ちで告げ、転送装置のタイマーを5秒にセットした。

 青木は隣のベッドの少女へ向き直り、
「雪ちゃん、犯人が入ってきたところが見えますか…」耳元でささやくように言ってリモコンのスタートボタンを押す。

「あ゙がぁー、あ゙ー」いきなり伊達が大声で叫び、ベッドで身体をのけ反らせた。

 タイマーが切れる前に慌ててストップボタンを押した青木は、手の甲で額の汗を拭いながら伊達へ送る麻酔のスイッチも切る。

「……………………」青木と吉田の2人は沈黙したまま、不安と共に伊達を見守った。

 3分程経つと伊達が徐に目を開けて、
「青木さん…、失敗だった。もう1度…、もう1度やってください」そう言って再び目を瞑った。

 伊達の麻酔のスイッチを入れた青木が警部を見ると何も言わずにゆっくり顔を縦に振る。

「2回目、始めます」先程と同じように隣のベッドの少女へささやき始める。

「雪ちゃん、2人の男が入ってくるのを見たよね。思い出してみよう」そして転送装置のスタートボタンを押す。

「あ゙ぎゃー、あがぁー、あ゙ゔーひぃ~」伊達が叫びにならない声で唸りながら身体をのけ反らせ、額には血管が浮かび上がって汗が吹き出した。

 青木は再びタイマーが切れる前にストップボタンを押した。

 3分程ほどして伊達が目を開けたがその後、5分経っても宙を見つめたまま何も言わないでいる。

 その様子を見て心配になった青木が
「これは危険すぎる、止めだ。もう止めましょう!」叫ぶように言い、全てのスイッチを切った時、
「…確かに…見ました。…あの…2人です。間違い…ない…」そう言い終わると伊達は身体をくの字に曲げて胃液を吐き出した。

「伊達さん、しっかりしてください!」青木が急いで鎮静剤を注射する。

 その後、苦しそうにしているその体のあちこちを聴診器で診察し、酸素マスクを再び装着するとやがて伊達は静かになった。
「しばらく休ませましょう。薬が効いているので待つしかありません」青木は額の汗を白衣の袖で拭いながら警部に告げる。

「では、このまま伊達さんを見守っていてください。私は署の方へ転送の状況と犯人が同じである事を報告したら戻って来ます」警部はそう言うと足早に出ていった。

 静まり返った部屋の中でマスクに送られている酸素のシュュゥーと言う小さな音だけがしばらく響いていた。

 そして10分程経った頃、ようやく伊達が目を覚ました。

「青木さん、もう大丈夫です」目を開いて天井を見たままそう言うと、「こんな悲惨な現場は初めてですが、それより恐ろしい姿をした化け物や見たこともない怪獣の方が遥かに怖かった。強い麻酔によって創られた幻覚が送られたのでしょうが…とにかくかなり衝撃的だった…。もう、少しも思い出したくない……」消え入るように呟いた。

「やはり、私が思った通り危険だった。伊達さん、申し訳ありません」青木が深々と頭を下げて謝ると、
「いえ、青木さんや吉田警部の責任ではありません、やろうと決めたのは僕です。断る事も出来たのに麻理ちゃんの家族を殺したあの犯人達を許せなかったんです」伊達はそう言いながらベッドから起き上がり落ち込んでいる青木を慰めようとしたが、「でも、今回はさすがに応えました。しばらくコジロー捜しに専念して精神と身体を休めるようにします」と最後は弱々しく笑う事しか出来なかった。

「伊達さん、もうこの手の仕事はやらない方が良いかも知れません。精神の限界にきているようです」伊達のヘッドギアを外しながら真面目な表情で青木が話した。

 そこへ、吉田警部が戻ってきて、
「伊達さん、具合はどうですか?」伊達の様子を心配そうに観察しながら言った後、「今回もご協力ありがとうございました。部長は事件が解決したら伊達さんは警視総監賞ものだと言っておりました」と励ますように告げた。

「僕も意地になってきました。最後まで協力しますから絶対にあの2人を捕まえてくださいね」そう言ったが、「でも、ちょっとだけ休ませてください。麻理ちゃんの犬も捜さないとならないし…」転送が応えたのか再びベッドに腰掛け、少し下を向いて力なく笑った。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み