第19話

文字数 2,607文字

 その日は朝からよく晴れて、テストに最適な天候だった。

 午前中はコースの外周を使って走行に関する基本的な性能の確認が行われ、午後になると新しく開発された自動運転ソフトウェアの動作テストが始まった。
 エンジニアの1人を後部座席に乗せた車は最新ソフトのお陰でスラローム用のテストコースをこれまでにない程滑らかに走破し、そのまま車庫入れのテストが行われる場所まで移動する。
 駐車場を模して作られたコースで前からの車庫入れを難なくこなし、次に後ろからの車庫入れが始まったが車はブレーキが少し遅れて後ろの壁に軽く衝突した。

 元々、壁の1センチ手前で停止するようにプログラムされていた車は急に不安定な動きを見せ、ガクッ、ガガガ、ガクッと小刻みに前進と後退を繰り返すようになる。
 プログラムには無い動きに危険を感じたエンジニアが全てのスイッチを切った次の瞬間、車は全速力で暴走を始め時速150キロほどで右に左にカーブしながらコース上を滅茶苦茶に走リ始めた。

 その日、父親の和美は新しい車を見せようと家族を連れてきていたので、伊達も役員用に張られたテントの下で母親の久美子に抱かれながらそれを見ていた。
 テントが周回コースの真ん中に設置されていた為に建物までは遠く、何処にも避難出来ない役員たちは大声で何かを叫びながら右往左往するしかなかった。
 伊達を胸に抱いた久美子はどこへ逃げるべきかと考えながら暴走車の動きを注視していたが、やがて意思を持ったようにテントの方へ向きを変えるとそのまま一直線に進み始めた。

 誰もが最悪の事態を想像したその時、テントの方へ駆け出していた父親の和美が車の前に飛び出した。
 ドーンッ!というものすごい音と共に衝突した和美は10メートル程跳ね上げられ、グルグル回転しながらコース上に落下した。

 一見無謀とも思える行動ではあったが、実は和美の冷静な判断によるものだった。

 自動運転の車はどれも人身事故を最高レベルの緊急事態とするようプログラムられており、それが起きた場合は通常のブレーキ以外にパーキングブレーキやエンジンブレーキに加えモーターを逆回転させる力まで利用して最も短い距離で止まれる非常停止装置が取り付けられているのだ。
 停止した後は緊急モードの制御へ切り替わり、全体のシステムへの電源供給は断たれる為、プログラムの不具合で暴走を始めた車を止めるには最善の方法だった。

 非常停止装置が全体のシステムとは別系統でどんな状況に陥っても正しく作動すると、設計に深く関わり理解していた和美は自らを犠牲にしてその装置を働かせたのだった。
 車はその予想通りすぐに非常停止装置を作動し、テントの手前5メートルの所で激しいブレーキ音と共に急停止したお陰で他に被害を与える事なく、妻の久美子と伊達も無事だった。

 一方、即死だと思われた和美は皆が駆け寄るとまだ微かに息があった。

 そのまま救急車で病院へ担ぎ込まれ、集中治療室に運ばれると薄れいく意識の中で妻と息子を心配してうわ言を続け、10日間に渡る治療の甲斐なく死亡した。
 その事故によって大きなショックを受けた奈良はその後しばらく休職し、残された2人を見舞いながら度々和美の位牌に手を合わせていたが49日を過ぎた頃、久美子から東京に移り住むと告げられる。
 その後久美子は『スミダ精機』という、医療機械を製造する工場で寮に住みながら働くと決め、翌月トーヨー部品を退社したのだった。


「本当に優秀な人を失った。だが、それだけじゃない。私は大切な友人を亡くしたんだ」奈良は話し終わると下を向いて涙を拭った。

「でも、隼人くんがこんなに立派になられて…。お母さんが早く見つかると良いですね」伊達を見つめて言い、「墨田区にあった『スミダ精機両国工場』は現在、『スミダ・メディカルインダストリー本社ビル』となっていますが中身は同じ会社です。何かお母さんの情報が残っているかも知れないのでそこに行って訊いてみると良いです」とアドバイスをくれた。

 記憶があやふやだったら転送をお願いしようと考えていた伊達だったが、全てを明確に話してくれたのでその必要はなかった。
 立ち上がって丁寧に礼を言うと、
「お母さんが見つかったら、また3人で会いましょう。昔のように皆で話ができたら和美さんも喜ぶと思います」伊達を慰めるように告げた。


 伊達は特急に飛び乗って東京へ戻ると、そのまま電車を乗り換えて松戸へ向かった。

 奈良から父親の墓があると教えられた松戸の霊園に着くとそのまま管理事務所へ寄り、一条和美という名の暮石がどこにあるのか訊ねてみる。
 事務所で分るのは苗字までだと言うので5ヶ所あると告げられた一条家の墓を全て廻ってみることにし、4ヶ所目の墓石に和実という名を見つけた。

「これが…父親………」そう呟いてみたものの、実際は父親の墓を見ても何の感傷も湧いて来ない。
 最初は記憶を失っているせいだと思ったが考えてみれば2歳で死に別れた父親のことを覚えている筈もなく、記憶喪失でなくとも特別なものは感じないのかも知れなかった。
 しかし今自分がいる正にこの場所に立ち、最愛の夫の為に涙を流した人がいたのだと思うと、どこかに仕舞い込まれた23歳までの記憶が目覚めたのか無性に母親に会いたくなった。

 ふと墓石の後ろに目をやった伊達はいくつかある塔婆の2つがまだ白木の色を残しているのに気付き、それを誰が立てたのか再び霊園の事務所に行って確認すると一条久美子だという返事が返って来た。
 自分は息子だと知らせて久美子が何処に住んでいるか訊ねると両国の住所を告げられ、早速その足で向かってみたが、そこは大規模開発の工事現場になっていて目当ての建物は既に取り壊されていた。

 通り掛かりの酒屋で話を聞いて見ると5年前にその一帯の用地買収が始まり、2年前から大規模再開発工事に取り掛かったという事が分かった。
 配達したことがあるかも知れないと思い、一条久美子の名前を告げてみたが心当たりはないようだった。

   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 次の日、奈良から聞いた『スミダ・メディカルインダストリー』という会社を訪ねて母親の情報を調べて貰ったが、霊園で知らされたのと同じ住所に住んでいたという事しか判らなかった。

 ようやく母親に近づいたと思ったが手掛かりはそこでプッツリと途切れてしまった。

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