第22話

文字数 3,667文字

 数名の警察官を残して消防隊員達が帰ると沙也香は自分の部屋に戻り、その真新しい靴を綺麗に拭って自分デスクの上に置いた。

「こんな別れはどうしてもいやなの。麻里…今回だけ、今回だけでいいから頑張って…、お願い…」
「どんな姿になってもイイから生きて…」
「生きてさえいたら、私が何でもしてあげるから…」スニーカーの前で手を合わせた。

「歩けなければ、あなたの脚の代わりになっていつも車椅子を押すわ…」
「目が見えないなら、代わりにあなたの好きな本を読んであげる…」
「だから…、頑張って生きて…」その目に涙を一杯に溜めながら言葉に詰まってしまう。


「もし神様がいるなら、今回だけでいいから死なせないでください…」
「私の親友…、大切な麻理を助けてください…お願いします」と1人暗い夜空に祈り続けた。

 一方、麻理から告げられた妊娠について医師の所へ相談に行っていた片瀬は園に戻る途中で連絡を貰うとそのまま病院に駆けつけ、その痛々しい姿をガラス越しに見守りながら夜通し回復を願った。

 包帯だらけの麻理は集中治療室のベッドで何とか持ちこたえていたが早朝、急に容体が悪くなるとすぐに息を引き取った。

 ずっと付き添っていた片瀬は集中治療室に入ると静かに麻理の亡骸に語り掛ける。
「私がもっと早く気付いていたらこんな事にはならなかったのに…本当に、ごめんなさい…」そう言うと深く頭を下げて、「よく頑張ったわね、もう何も悩まなくて良いのよ。安らかに…眠って…」最後まで言葉に出来ず、その場で泣き崩れた。

 片瀬と共に集中治療室を離れた亡骸が遺体安置所へ到着すると、そこへ伊達と青木が駆けつけた。
「園長! どうしてこんな事に…」伊達は叫ぶようにして麻理のストレッチャーへ駆け寄り、掛けられていた白い布をそっと捲る。

「麻理…ちゃん…」それっきり伊達は何も言えなくなってしまった。

 その死は自分が小さい頃からずっと大切にしてきた、他にもう2度と見つける事が出来ないものが壊れて粉々になってしまったような大きな衝撃を伊達に与えた。
 黙ったままボロボロと大粒の涙を流し始めた伊達を見て、青木も堪えきれずに泣き出す。

 片瀬が2人の方を向いて、
「私は麻里ちゃんを…守ってやれなかった…」弱々しく呟き、「その日、犯人の子供を身籠っていると打ち明けてくれたのに…何もしてあげられなかった…」と力なく言って下を向いた。

「………………」伊達と青木は何も言えずに黙っていた。


「麻理ちゃんが逝く時、とても安心しているように見えたの…。死んで苦しみから解放されると……」再び泣き出した片瀬に
「記憶転送を受けた僕が全てを警察に話していればこんなことには…、彼女が1人で苦しみを抱えることはなかったんです」伊達は拳を握りしめながら悔しそうに言い、麻里が抱える問題と正面から向き合えなかった自分を責めていた。

 真実を明かしたらどんな立場に置かれるかと気遣う余りに、麻理を生きるより死ぬ方が楽だという状況に追いやってしまった。
 事実を話す事により苦境に立たされたとしても最後まで守ってやるという覚悟が自分達大人にあれば彼女が命を断つ事はなかっただろうと思い、伊達は麻理に対して申し訳ない気持ちで一杯だった。

 すると、黙って涙を流していた青木がその顔を上げ、
「全てを話せなかったのは、事件転送でダメージを受けた精神がそうさせてくれなかったからです。伊達さんのせいではありませんよ」慰めるように言った後、「警察の事情聴取はまだですよね?」何かを決心した表情で片瀬に訊ねた。

「これから園に戻り、実際の現場を見ながらやる事になっているの…」片瀬がそう言うと、
「同席させてください。麻理ちゃんの入園を許可した精神科医として私にも責任があります」青木が力強く告げた。
 伊達と青木の2人で片瀬の身体を支えながら遺体安置所を出ると自動運転タクシーに乗り、病院を後にした。

 光明園の近くでタクシーを降りた3人は野次馬や報道陣でごった返す中、ようやく規制線が張られた所まで辿り着いた。
 部外者が立ち入らぬよう警備していた警察官に関係者だと告げ、中に入れてもらうとその姿を見つけた吉田警部がやってくる。

「この度は残念な結果になり…、犯人は必ず逮捕します」警部が複雑な面持ちで敬礼しながら皆へ告げると、
「これだけ報道関係者が集まっているのでは記者会見は必須でしょう。何処でやるんです?」青木が沢山の報道陣を見ながら訊ねた。

「はい。事情聴取の後、署の方で会見を開く予定です」警部がそう答えると、
「彼女がレイプされていた事は捜査上、さほど重要ではありませんよね…」青木が何か言いたげな表情で再び訊ねる。

「そうですが、警察は事実を隠すことは出来ませんので発表しないという訳には…」その意味を察した警部が答えると、
「警察が隠せないのは分かっています。発表しても報道しなければ良いんですよ。我々大人が彼女を守ってやらないと誰が守るんでしょうか?」毅然とした態度で青木が言い切った。

「私も同感です。何かお考えがあるのですか?」それを聞いた警部が訊き返すと、
「会見でレイプに関する報道を自粛するよう、精神科医の立場で要請することは可能ですか?」青木が真剣な顔で訊ねると、
「警察は捜査上の理由がない限り、報道規制は出来ませんが自粛要請への協力ならいつでも出来ます」そう言うと敬礼して戻っていった。


園での現場検証を終え、警察署で園長と共に事情聴取を受けた伊達と青木はその後開かれた記者会見の会場にいた。
警察は麻理が飛び降り自殺を図ったのは事件の犯人からレイプされたからで犯人の子を宿した事が直接の動機になった可能性が高いと発表した。
 新たな事実を知ったメディアは想像していた通りそこに喰い付き、警察の担当者へ様々な質問を浴びせた。

 その長い質疑が終わると、精神科医として紹介された青木がレイプに関する野次馬的な報道を自粛するように要請した。
 青木はその理由を、世の中の犯罪被害者に対して医学的見地から必要とされる配慮だとし、光明園にいる子供達やその関係者の精神に悪影響を及ぼさないようにする為にも重要であると訴えた。
 会見で青木の要請に対する反論や質問が一切なかったことから、その訴えは受け入れられ報道は自粛されるだろうとそこにいた誰もが思った。

 会見が終わると伊達と青木の2人は園長の片瀬と共に光明園へ戻った。
 園長室で麻理の葬式や遺骨の引き取りについて打ち合わせしていると部屋のドアが小さくノックされた。

「いいかしら?」そう訊ねる園長に2人が頷くと、「どうぞ」ドアに向かって静かに告げる。

 ドアを開けたのは沙也香だった。

「沙也香ちゃん、何かしら?」片瀬が訊くと、
「伊達さん…、ですよね?」少し遠慮がちに伊達の方を見ながら言う。

「うん、そうだけど…」背中を向けて座っていた伊達が振り返るようにして答えると、
「コジロー捜し、終わっちゃうんですか?」困ったような顔で言い、「私、麻理の代わりにコジローの面倒を見たいんです」と寂しそうに話す。

「いや、見つかるまでは決して諦めないよ。麻理ちゃんとの約束だからね」力強く伊達が言って、「沙也香ちゃんのところに必ず連れてくるから…、待っていてね。そして麻理ちゃんにコジローが帰ってきたと報告に行こう」と泣きそうにしている沙也香に約束した。


 自宅に戻った伊達はリビングまでくると力が抜けたようにソファに倒れこんだ。

 部屋のライトも点けずに暗い部屋の中でただ頭を抱えて黙っていたが、やがてその目から次々に大粒の涙が溢れ出した。
 人の死がこれ程辛く悲しく感じた事はこれまで1度もなかったのに、どうして転送を請け負っただけの少女にここまで心を揺さぶられてしまうかと、伊達は泣きながら困惑していた。

 これまでに似たような事件転送は数えきれない程とまでは言わないが沢山やってきた。

 家族が殺されてしまったり、レイプされた女の子が麻理と同じくらいの年齢だった事もあるが今回のように被害者を可哀想だと思ったり同情したりはしなかった、というかそうならないようにしていられたのだ。
 少しでも同情すれば転送記憶を冷静に見られなくなり警察に間違った情報を与えてしまうし、メモリーハンターの自分に課せられた使命は事実を正確に伝える事だと思っていたから内容を明かせない事など1度もなかった。
 
 でも、何故か麻理は違っていた。
 初めて会った時から自分では分からない何か特別なものを感じていて、だからコジロー捜しも進んで引き受けたし、彼女がいなくなった今でも続けたいと思っているのだ。

 何か不思議な運命があってそう思うのか、それとも自分の精神が限界にきていて今までと感じ方が違うのかその理由は分からなかったが伊達は麻理の自殺がショックでしばらくの間は何もする気が起きなかった。
 母親捜しやコジロー捜しは放ったらかしにして自宅に籠りっきりになっていたが進展がないペット探偵の藤岡からは連絡はなく、殺人事件も同様で警部や青木に会う事もなかった。

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