第23話
文字数 3,130文字
「そんな非科学的な事を根拠に捜査を進めるわけにはいかないよ」吉田警部の上司である西木田は呆れたように言った。
「事件の進展が見られない今、どんなに小さな手掛かりでもそれを調べる必要があるのではないでしょうか? 捜査をさせてください!」警部は食って掛かったが本部長の西木田は首を縦に振らない。
「ここで科学的な捜査の結果を待つのだって立派な仕事だ。もうすぐ鑑識から新たな報告がある筈だ」西木田は警部をたしなめる。
「勿論、私だってそれを期待しています。でも、わずかな手掛かりを地道に捜査する事も大切だと教えてくれたじゃないですか。何もしないでいるよりずっと良いと…」1歩も引かない警部の剣幕に押された西木田は、
「じゃあ、張り込みだけなら許可はする。だが、それ以外の単独行動は許さんぞ。どんな事でも良いから何か掴んだ時は先ず、署に連絡する事。それを約束するなら行ってもイイぞ」眉間にシワを寄せながら言った。
すると警部は西木田が話し終わるや否や1歩下がって直立不動の姿勢となり、
「では、行って参ります!」笑みを浮かべながら敬礼し、回れ右をするようにして後ろを向くと小走りで部屋を出ていった。
警部が出ていったドアの方をいつまでも見ている西木田に
「奴さん、今回はやる気満々だったなぁ。いつもより激しく食い下がりましたねぇ」隣のデスクにいた別の部長が感心しながらそう声を掛ける。
「私が教えた事をやるなとは言えないよなぁ…」西木田は諦め顔で笑い、目の前に置かれたマグカップの冷めたコーヒーを啜った。
午後6時、吉田警部は自動運転の自家用車に見せた警察車両で市川の『麻雀卓販売』と看板のある倉庫の前を通り過ぎる。
鋭い視線を一瞬だけ隣の倉庫へ向け、その周囲の様子を確認すると次の角で右折して今度は裏手の様子を確かめた後、再び倉庫の前に戻ると50メートル位離れた場所まで行って車を停めた。
そこは、道路の幅が広くなっているところで近くの倉庫に来た自動運転のトラックと客からの連絡を待つ自動運転タクシーが数台停まっている。
トラックとタクシーの間に1台分のスペース見つけて車を停めると早速、張り込みを開始した。
警部が乗る警察車両は外見こそ自家用のものだがその内部には警視庁のデータベースにアクセス出来るノートパソコンや傍受することが不可能な無線機器などが装備されていた。
それぞれのウインドーは中が見通せないように暗いスモークガラスになっているが車内からの射撃を可能にする為、防弾ガラスにはなっていない。
その代わりにスイッチ1つで瞬時に締められるプラスチック製の防弾シールドが各ウインドーの内側に取り付けられ、銃撃戦から乗員を守ってくれる。
警部は自分が座るシートのレバーを引いて少し回転させ、倉庫の方へ向けると監視用ゴーグルを着けた。
眩惑防止と暗視機能に加え、ズーム機能があるそのゴーグルならたとえ逆光や闇夜でも遠くまでハッキリ見る事が出来る。
また、リアルタイム録画装置と無線で接続しているので見逃したものを後から確認する事や一瞬の出来事をスロー再生でじっくり見る事も可能で、車の各所に目立たぬように取り付けられたカメラの映像を映し出す事まで出来た。
シートの背を少しリクライニングし、左右の肘掛けとオットマンを引き出すと体に負担のない姿勢がとれ、長時間疲れずに張り込みが出来るようになった。
エコノミークラス症候群を予防する為のマッサージ機能がシートに備わっているので警部はあまり身動きせずに倉庫を見張り時々、ゴーグルから見える景色を車外に取り付けられたカメラの映像に切り替えて周囲の状況も確認する。
翌朝の8時になるとトラックの往来が増え、辺りが騒がしくなってきた。
ナビの目的地に自分の警察署を入力した警部は自動運転モードで静かに車両を出すと、シートをフラットにして眠りに就く。
犯人がいつ行動するか分からなかったので、警部は午後6時から翌朝6時までと午前6時からその日の夜6時までという2つのパターンを日毎に変えて張り込むことにしていた。
次の日は配送用トラックに見せかけた警察車両で出掛け、午前6時から張り込みを開始したが何の手掛かりも掴めずに午後6時に終了して署への帰路についた。
翌日の午後6時、昨日とは全く見た目が違うスポーツタイプの警察車両で倉庫へやってきた警部は車を停めると何かに気付いたようにして自動録画されている2日分の張り込み記録を再生し始めた。
動画を見ながら目当ての場面をスナップショットで保存していき、それが終わると保存した全ての場面を車内のマルチモニターに表示する。
「やはり同じ車だわ…。間違いない」それぞれの場面を見比べながらそう呟いた後、車の中からある方向を見据えた。
そこには保存した場面に写っていたのと同じ、目立たない黒色のステーションワゴンが停まっている。
ここに車を停める直前、トラックに紛れて駐車している黒いワゴンに見覚えがあると感じた警部は張り込み記録の中でそのワゴンを探したのだった。
その車は張り込みの初日から毎日録画され、数時間毎に場所を変えていたので様々なアングルのカメラで捉えられていた。
ワゴンの画像をデジタル処理して拡大すると、中に誰かいて外を見張っているのが判ったが今日までその存在を気付かせなかった事でその者は只者でないと思わせ、警部に様々な事を想像させた。
警部はそれが連続一家殺人事件の犯人なら、そうやって見張りをしている理由は何だと考えてみたがその答えを見つける事は出来なかった。
こちらのカメラに映っていたのなら向こうからも見えていたという事になり、こちらが見張られていた可能性もあるが警部は敢えて隠れはせず、そのステーションワゴンも視界に入れながら倉庫の張り込みを開始した。
その日も収穫がないまま翌朝6時になり、警部は帰路を辿りながら怪しいステーションワゴンの事でも報告しようかと思ったが、それが何でもないと判って張り込みが中止に追いやられたら困るのでやめることにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
麻理が自殺した後、自宅に篭ったきり何もしないでいた伊達は青木に処方して貰った薬を毎日飲んでいたお陰で最悪な状態からは立ち直りつつあった。
しかし、埋める事が出来ない大きな穴が心に開いてしまったせいで先日、青木から告げられた言葉が頭から離れなくなっていた。
「…普通の人と同じ日常的なストレスが積み重なって…悪くなる可能性の方が高いです…」
「…愛されていた頃の記憶を取り戻し…事件記憶を覆い隠すしか良くなる方法はありません…」
「…記憶を取り戻せないのであれば…母親から愛されていた頃の記憶を転送して貰うしかないです…」
その言葉が頭の中で何度も木霊し、目の前がクラクラしだすと耐えられなくなって伊達は家を飛び出した。
気が付くと大規模再開発の工事現場にいた伊達は
「この先どこを捜せばいいんだろう。ここで終わってしまうのか…」静かに呟いて、母親が住んでいた両国を当てどもなく歩き始める。
昔の雰囲気を残す狭い路地に入ると、ラッパの音を鳴らしながら豆腐屋の車が横を通り過ぎ皆、夕飯の支度をしているのか家ごとに違う美味しい匂いを漂わせ、それぞれの食卓を想像させる。
これまでに経験した事がない雰囲気に、昔へタイムスリップしたように感じた伊達は記憶を取り戻せずに苦しんでいる今の自分とは全く関係ない時代にいるような気がして心が落ち着いた。
母親が住んでいた場所の空気で癒されながら歩き回ったお陰で久しぶりに腹が空いたと感じ、ラーメン屋の前を通りかかると思わずその暖簾を潜った。
「事件の進展が見られない今、どんなに小さな手掛かりでもそれを調べる必要があるのではないでしょうか? 捜査をさせてください!」警部は食って掛かったが本部長の西木田は首を縦に振らない。
「ここで科学的な捜査の結果を待つのだって立派な仕事だ。もうすぐ鑑識から新たな報告がある筈だ」西木田は警部をたしなめる。
「勿論、私だってそれを期待しています。でも、わずかな手掛かりを地道に捜査する事も大切だと教えてくれたじゃないですか。何もしないでいるよりずっと良いと…」1歩も引かない警部の剣幕に押された西木田は、
「じゃあ、張り込みだけなら許可はする。だが、それ以外の単独行動は許さんぞ。どんな事でも良いから何か掴んだ時は先ず、署に連絡する事。それを約束するなら行ってもイイぞ」眉間にシワを寄せながら言った。
すると警部は西木田が話し終わるや否や1歩下がって直立不動の姿勢となり、
「では、行って参ります!」笑みを浮かべながら敬礼し、回れ右をするようにして後ろを向くと小走りで部屋を出ていった。
警部が出ていったドアの方をいつまでも見ている西木田に
「奴さん、今回はやる気満々だったなぁ。いつもより激しく食い下がりましたねぇ」隣のデスクにいた別の部長が感心しながらそう声を掛ける。
「私が教えた事をやるなとは言えないよなぁ…」西木田は諦め顔で笑い、目の前に置かれたマグカップの冷めたコーヒーを啜った。
午後6時、吉田警部は自動運転の自家用車に見せた警察車両で市川の『麻雀卓販売』と看板のある倉庫の前を通り過ぎる。
鋭い視線を一瞬だけ隣の倉庫へ向け、その周囲の様子を確認すると次の角で右折して今度は裏手の様子を確かめた後、再び倉庫の前に戻ると50メートル位離れた場所まで行って車を停めた。
そこは、道路の幅が広くなっているところで近くの倉庫に来た自動運転のトラックと客からの連絡を待つ自動運転タクシーが数台停まっている。
トラックとタクシーの間に1台分のスペース見つけて車を停めると早速、張り込みを開始した。
警部が乗る警察車両は外見こそ自家用のものだがその内部には警視庁のデータベースにアクセス出来るノートパソコンや傍受することが不可能な無線機器などが装備されていた。
それぞれのウインドーは中が見通せないように暗いスモークガラスになっているが車内からの射撃を可能にする為、防弾ガラスにはなっていない。
その代わりにスイッチ1つで瞬時に締められるプラスチック製の防弾シールドが各ウインドーの内側に取り付けられ、銃撃戦から乗員を守ってくれる。
警部は自分が座るシートのレバーを引いて少し回転させ、倉庫の方へ向けると監視用ゴーグルを着けた。
眩惑防止と暗視機能に加え、ズーム機能があるそのゴーグルならたとえ逆光や闇夜でも遠くまでハッキリ見る事が出来る。
また、リアルタイム録画装置と無線で接続しているので見逃したものを後から確認する事や一瞬の出来事をスロー再生でじっくり見る事も可能で、車の各所に目立たぬように取り付けられたカメラの映像を映し出す事まで出来た。
シートの背を少しリクライニングし、左右の肘掛けとオットマンを引き出すと体に負担のない姿勢がとれ、長時間疲れずに張り込みが出来るようになった。
エコノミークラス症候群を予防する為のマッサージ機能がシートに備わっているので警部はあまり身動きせずに倉庫を見張り時々、ゴーグルから見える景色を車外に取り付けられたカメラの映像に切り替えて周囲の状況も確認する。
翌朝の8時になるとトラックの往来が増え、辺りが騒がしくなってきた。
ナビの目的地に自分の警察署を入力した警部は自動運転モードで静かに車両を出すと、シートをフラットにして眠りに就く。
犯人がいつ行動するか分からなかったので、警部は午後6時から翌朝6時までと午前6時からその日の夜6時までという2つのパターンを日毎に変えて張り込むことにしていた。
次の日は配送用トラックに見せかけた警察車両で出掛け、午前6時から張り込みを開始したが何の手掛かりも掴めずに午後6時に終了して署への帰路についた。
翌日の午後6時、昨日とは全く見た目が違うスポーツタイプの警察車両で倉庫へやってきた警部は車を停めると何かに気付いたようにして自動録画されている2日分の張り込み記録を再生し始めた。
動画を見ながら目当ての場面をスナップショットで保存していき、それが終わると保存した全ての場面を車内のマルチモニターに表示する。
「やはり同じ車だわ…。間違いない」それぞれの場面を見比べながらそう呟いた後、車の中からある方向を見据えた。
そこには保存した場面に写っていたのと同じ、目立たない黒色のステーションワゴンが停まっている。
ここに車を停める直前、トラックに紛れて駐車している黒いワゴンに見覚えがあると感じた警部は張り込み記録の中でそのワゴンを探したのだった。
その車は張り込みの初日から毎日録画され、数時間毎に場所を変えていたので様々なアングルのカメラで捉えられていた。
ワゴンの画像をデジタル処理して拡大すると、中に誰かいて外を見張っているのが判ったが今日までその存在を気付かせなかった事でその者は只者でないと思わせ、警部に様々な事を想像させた。
警部はそれが連続一家殺人事件の犯人なら、そうやって見張りをしている理由は何だと考えてみたがその答えを見つける事は出来なかった。
こちらのカメラに映っていたのなら向こうからも見えていたという事になり、こちらが見張られていた可能性もあるが警部は敢えて隠れはせず、そのステーションワゴンも視界に入れながら倉庫の張り込みを開始した。
その日も収穫がないまま翌朝6時になり、警部は帰路を辿りながら怪しいステーションワゴンの事でも報告しようかと思ったが、それが何でもないと判って張り込みが中止に追いやられたら困るのでやめることにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
麻理が自殺した後、自宅に篭ったきり何もしないでいた伊達は青木に処方して貰った薬を毎日飲んでいたお陰で最悪な状態からは立ち直りつつあった。
しかし、埋める事が出来ない大きな穴が心に開いてしまったせいで先日、青木から告げられた言葉が頭から離れなくなっていた。
「…普通の人と同じ日常的なストレスが積み重なって…悪くなる可能性の方が高いです…」
「…愛されていた頃の記憶を取り戻し…事件記憶を覆い隠すしか良くなる方法はありません…」
「…記憶を取り戻せないのであれば…母親から愛されていた頃の記憶を転送して貰うしかないです…」
その言葉が頭の中で何度も木霊し、目の前がクラクラしだすと耐えられなくなって伊達は家を飛び出した。
気が付くと大規模再開発の工事現場にいた伊達は
「この先どこを捜せばいいんだろう。ここで終わってしまうのか…」静かに呟いて、母親が住んでいた両国を当てどもなく歩き始める。
昔の雰囲気を残す狭い路地に入ると、ラッパの音を鳴らしながら豆腐屋の車が横を通り過ぎ皆、夕飯の支度をしているのか家ごとに違う美味しい匂いを漂わせ、それぞれの食卓を想像させる。
これまでに経験した事がない雰囲気に、昔へタイムスリップしたように感じた伊達は記憶を取り戻せずに苦しんでいる今の自分とは全く関係ない時代にいるような気がして心が落ち着いた。
母親が住んでいた場所の空気で癒されながら歩き回ったお陰で久しぶりに腹が空いたと感じ、ラーメン屋の前を通りかかると思わずその暖簾を潜った。