第16話

文字数 4,154文字

 次の日の午前中、伊達は千葉にある井東の自宅を訪れた。

「どうぞ、お掛けください」籐で出来た椅子を和室のリビングで伊達に勧めながら井東も向かい側の同じ椅子に腰掛けた。

「早速ですが、井東さんが『トーヨー部品』に務めていた時の事を聞きたいんです」はやる気持ちを抑え、名刺と共に手土産の最中を差し出しながら言った。

 差し出された最中を見て、
「あ、どうもすみません」井東が小さく頭を下げ、「もう覚えていないことばかりですが、何でも訊いてください」申し訳なさそうに頭に手をやった。

 伊達はしわくちゃの写真のコピーをポケットから取り出して見せ、
「この女性を覚えていませんか? どんな事でも結構ですので覚えている事があったら教えてください」真面目な顔でそう言うと、
「ちょっと見せてください…」井東は手刀を切るようにして写真を受け取り、自動的に焦点が合う電子老眼鏡を取出した。
 フッ!っと勢いよく息を吹きかけてレンズに付いた埃を飛ばすとそれを掛け、
「えーっと…」と言って写真を見詰めた。

 祈るようにしてじっと見ている伊達のことを気にもせず、
「えーと、誰だったかなぁ~。斎藤さんかなぁ~?」独り言を呟きながら長い間見つめていたが、何も思い出せなかったようで「斎藤さんか小杉さんだと思うんだけど…」と確信のない面持ちでその写真を返す。

 伊達がこの頃を知る人が他にいないか訊ねると、
「うぅ~ん」と唸ってから写真の背景を指差し「創業時の工場だから…この頃の人は皆、亡くなっているね」と残念そうに告げた。

 肩を落としながら写真をポケットに仕舞った伊達に
「この人とはどんな関係なんですか?」井東が訊ねてきた。

「離れ離れになっている自分の母かも知れないんです」伊達が寂しそうな表情で答えると、
「じゃあ、この女性は伊達さん…?」そんな苗字の人が工場にいなかったのか井東は不思議そうにした。

「いえ、私は23歳の時に記憶喪失になり自分の名前すら分からないんです。名刺の伊達圭一という名は仮のもので自分を知る唯一の手掛かりが肌身離さず持っていたこの写真で…」と、伊達が説明している途中で井東が突然パンッ!と大きく手を叩いた。

「そうだ、小さい子がいた人を思い出した! 隼人くん、あなた隼人くんだ!」今度は大きな声で言うと嬉しそうに目を細めた。

「何を思い出したんですか?」自分の事を急に隼人と呼び始めた事に戸惑いながら訊くと、
「その人は久美子さんだ。一条久美子さん」井東は伊達が写真をしまった上着のポケットを指差して言い、
「抱いているのは息子の隼人くん、つまりあなたは隼人くんだ。大きくなったねぇー」そう言うと懐かしそうに伊達を見詰める。

「この人を知っているんですね!」伊達は写真を再び取り出して井東に見せた。
 自分が全く覚えていない母親の事を知るその老人が急に他人とは思えなくなり、伊達は親戚に会えた気がして嬉しくなった。

「ええ、工場で一緒に働いてた一条久美子さんですよ。やっと思い出した!」井東は笑顔でそう告げると大きな声で、
「おーい、早苗。隼人くんだよ、ここにいるのは久美子さんの息子の隼人くんだってよ!」台所にいる妻を呼ぶ。

 足を滑らせるようにしてゆっくりやって来た妻は
「あら、こんにちは」伊達に小さく頭を下げながら言い、「呼んだかしら?」と井東の方を見る。

「ほら、むかし工場で一緒に働いていた久美子さん。一条久美子さんの息子の隼人くんだよ」伊達の二の腕の辺りを軽くポンと叩いて井東が言うと、
「あーら、そうなの。あんなに小さかったのに…。へぇー、立派になったのねー」そう言いながらしきりに感心している。

 写真の人が母親だと実感出来ない伊達は自分が『隼人』と呼ばれることに違和感しかなかったが、とにかく夫妻が工場で働いていた頃の話を聞いてみることにした。


 写真に写る女性は一条久美子という名で夫妻が『トーヨー部品』の工場で働き始めて数年経った頃に入社したらしく、翌年結婚すると次の年に隼人という男の子が生まれたという事だった。

 その夫、つまり圭一の父親は親会社の『トーヨー自動車』に勤めていた一条という苗字の設計技師で、部品発注の打ち合わせで工場を訪れた時に久美子と出会ったようだ。

 隼人が2歳の時、父親は自社で開発した自動車のテスト走行中に起きた事故で亡くなり、久美子はその後すぐ『トーヨー部品』を退社したようだった。

 夫妻はそれ以降1度も久美子には会っておらず退社後の行き先も知らなかったが念の為、当時の記憶転送をお願いすることにした。


 翌日、待ち合わせていた『市原メモリーツアーズ』で2人の記憶を転送してもらうとその別れ際、
「そういえば久美子さん、隼人くんのふくらはぎのアザを気にしていたわ」動き出したタクシーの中から井東の妻が言った。

 それを聞いて同じ所にアザがある伊達は写真の男の子が自分だと確信しながら去っていくタクシーに深く頭を下げた。


 自分の名は一条隼人だと知った伊達が帰りの電車に乗りながら転送された内容を頭の中で整理していると運良く、井東の妻の記憶に久美子と退職について話している場面があった。

 記憶が古ぼけていて所々はっきりしない部分もあったが久美子は夫の事故死を忘れる為に東京へ移り住み、そこで働くと話しているようだった。
 それ以外の会話の記憶は朧げでよく理解できなかったが夫の事を「かつみ」もしくは「かづみ」と呼んでいるような母親の口の動きを読み取ることが出来た。

 転送記憶からは会社を辞めたた久美子が東京へ引っ越したかも知れないという事と夫の名前が「かつみ」または「かづみ」だという事しか判らなかったが、それでも伊達にとっては大きな収穫だった。

  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 光明園に移った麻理は充実した毎日を過ごせていると感じていた。

 初めてここに来た日、園長に代わって自分の部屋を案内してくれた沙也香とは年齢が同じだった事もあり、親友になっていた。

 沙也香と同じように園長の片瀬を「お母さん」と呼びスタッフを「お姉さん、お兄さん」と呼んで次第に馴染んでいき、他の皆とも上手くやっていた。
 最初、学校へ行く事は躊躇っていたが沙也香が学校に行ってしまうと1人残される寂しさに耐えられず、同じ学校へ通い出した。

 その光明園では毎月、その月内に誕生日を迎える人たちの誕生会が開かれており、10月生まれの麻理は5日後に開かれる月例誕生会の主役達の1人だった。

 麻理の部屋にやって来た沙也香が
「麻理、欲しい物は決まったの? 今日までに言わないと誕生日のプレゼント、勝手に決められちゃうのよ」少し責めるような口調で言う。

「欲しいものはないから…何でも良いの」少し下を向いて麻理が言うと、
「無理なものじゃなければ欲しいものがもらえるんだよ。言ったもん勝ちだから決めないと損しちゃうよ」と益々責めるような口調で迫った。

「…………………」麻理は何も言えず、悲しそうに下を向いてしまう。

「あ、ごめんね。別に言わないといけないって訳じゃないのよ…、いいのよ言わなくても…」沙也香は慌ててそう言うと車椅子の上でバツが悪そうにした。

「私はコジローさえ帰ってくれば良いの。欲しいものは皆ここに、この園にあるから…」そう言って顔を上げると、「親友もすぐ隣にいるしね!」沙也香の肩に手を置いて微笑んだ。

「え…、親友…」沙也香は驚いたようにして、「本当に…? 私、あなたの親友…なの? 親友に…、麻理の親友になれたのね…」そう言うと泣き出してしまった。

「沙也香…」泣いている沙也香を見てしばらくの間、麻理は戸惑っていたが突然その目を輝かせると「私、欲しいものがたった今見つかったわ!!」叫ぶように言い、「沙也加が車椅子から降りて歩く為の、スニーカーをあげたい!」真剣な顔になって告げる。

 言っている意味が分からない沙也香はただ言葉を失っていたが麻里はそれに構わず、
「知っているのよ、あなたがもう歩けるって…。勇気さえ出せば歩けるって事をね…」と続け、「だから、私が勇気の出るスニーカーをあげるわ。それを履いて立ち上がれば、沙也香はきっと歩けるようになる。そうしたら私達、ずっと一緒に歩いて行けるわ」車椅子で涙を流す沙也香を抱きしめた。

「ありがとう麻理、親友って言われたの初めて…ずっと一緒にいられるといいな…」沙也加が両手で涙を拭いながら言うと、
「私は沙也香が歩けるようになると信じているの。コジローだって必ず見つかるわ」麻理はその両手を取り、祈るように告げた。


 早速、誕生日に欲しい物がスニーカーだとその理由と共に園長の片瀬へ伝えると、
「明日、沙也香に靴のサイズを聞いておくわね」いつものように微笑みながら言い、「麻理ちゃんがそこまで沙也香を想ってくれるのが本当に嬉しいわ。私からもお礼を言わせてね、ありがとう」麻理をそっと抱きしめながら「辛い毎日でも幸せを諦めない、あなたのその勇気を貰えばきっと沙也香は歩けようになるわ」と涙が溢れそうな目で話した。

 5日後に開催された誕生会のステージで、園長が麻理と沙也香を皆の前に呼び出した。

「数日前、私は誕生日に欲しいものがスニーカーだと麻理ちゃんから聞き、理由を聞いてとても驚きました。それは車椅子から立ち上がる勇気を持てるように沙也香ちゃんへプレゼントする為だったからです。麻理と沙也加は明日から力を合わせて頑張ると決めたようです。ここで言おうかどうか迷いましたが2人をそっと見守って欲しいから伝えておきます。沙也香ちゃんが車椅子から降り、1人で歩ける日が来るよう皆で祈っていてください」話し終わると麻理を見てスニーカーを渡すように促した。

 麻理が誕生日プレゼントとして貰ったスニーカーの箱を沙也香に手渡すと大きな拍手が沸き起こる。
「一緒に頑張ろうね!」耳元でそう言う麻理へ沙也香は笑顔を向けた後、車椅子を皆の方へ回して照れくさそうに頭を下げた。

「2日前、麻理ちゃんからこの話を聞いてとても誇らしかったです。こんなに素晴らしい事が起こるなんて私は本当に幸せです。ここの皆が私にとっては宝物です…」感極まった園長が言葉に詰まると一層大きな拍手が鳴り響き、誕生会は無事に幕を閉じた。

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