第17話

文字数 3,030文字

 翌日から光明園では2人の奮闘が見られるようになったが他の皆は園長の望み通り、邪魔しないよう静かに見守っていた。
 最初、沙也香は足で車椅子を進める練習から始めたいと言ったが麻理はそれを許さず、自分が支えになって立たせる事から始めた。

 6日後、連日の練習にも関わらず沙也香は立ち上がるとすぐに怖くなり、泣きそうな表情で麻理に抱きつこうとする。
「やだ、倒れちゃう…。怖いよ、倒れちゃうよ」弱気な声で沙也香が言うと、
「倒れそうになったら足を出せばいいのよ! さあ、勇気を出して!」麻理が激を飛ばす。

「あぁ…怖い…」と足元ばかり見ている沙也香に
「私が支えるから!! 絶対に沙也香を守るから前を見て!!」これまで感じた事のない麻理の気迫に圧倒され沙也香は前を向く。

「そのまま立っているだけでいいから…」と麻理が言おうとした時、沙也香はついにバランスを崩した。
 両腕を伸ばした沙也香が目の前の麻理に掴まると2人はもつれるようにしてドーンと床に倒れる。

「あ、痛ったぁーい!」と叫ぶ麻理が自分の下敷きになっている事に気付いた沙也香は慌てて立ち上がり、
「大丈夫!? 麻理!」と心配しながら言う。

 左手で腰を抑えた麻理が
「何とか…、大丈夫みたい…」苦痛に顔を歪めながら立ち上がると、
「だから無理だって言ったじゃない!」沙也香が責めるように言う。

 すると麻理はその苦痛で歪んだ顔を満面の笑みに変え、
「無理じゃなかった…! やっぱり無理じゃなかったのね!!」大きな声で言うと怒りながら立っている沙也香に抱き付いた。

「あ、危ないよーっ!」沙也香は思わずそう叫んだが
「沙也香、覚えていないの? 自分で立ち上がったのよ、ほら!」麻理はそう言うと沙也加から手を離し2,3歩下がる。

 沙也香はハッとした表情で、
「そうなの? 私、自分の力で立ち上がったのね!」驚いたように言い、「もう1人で立ち上がれるのね!」大きな目を輝かせて麻理を見詰めた。

「立てるだけじゃない。勇気を持てばきっと歩けるはずだわ…」麻理は胸の前に両手で握り拳を作り、「さあ、勇気を出して! 足を前に出して!」と叫びながら沙也香を励ました。

 麻理がさらに2,3歩下がって、
「私達がずっと一緒に歩いて行けるように頑張って!」そう言うと何も出来ずに立ったままの沙也香は右足を引きづるようにしてゆっくり前に出す。

 見守る事しかできないもどかしさから麻理は胸の前の拳を震わせ、
「信じて! 自分を信じて勇気を持って!!」と必死で応援していた。

 2人はいつしか大勢の人に囲まれていたがそれには気付かずに、顔を上げ下げして自分の足と前を交互に見ながら進む沙也香を麻理はただ必死で応援し続けた。
 沙也香が進む速さに合わせて後ずさる麻理の背中が壁に着く所まで歩いた時、沙也香は少し倒れこむようにしてその腕の中に飛び込んだ。

「できた! できたわ!!」沙也香が興奮ぎみに言うと、
「やったのよ! 歩いたのよ!」と麻理も感激しながらそれに応え、そこまで10メートル程歩いた2人は抱き合って喜ぶ。

 固唾を呑んで見守っていた大勢の入園者は「フゥー」と大きく息を吐いた後、2人に拍手を送って一緒に喜んだ。

「麻理のお陰よ、あなたが勇気をくれたから歩く事が出来た。本当にありがとう!」大粒の涙を流しながら沙也加が言うと、
「違うわ。沙也香が自分で勇気を出したから出来たの。その勇気さえあればもう2度と転ぶ事はないし、ずっと一緒に歩いて行けるわ。一緒に走ったり、自転車に乗ったりもできるの。私、今までこんなに嬉しいと思った事はない…」麻理も涙で濡れたその頬を光らせ、震えた声で言った。

   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 伊達は父親が勤めていたという『トーヨー自動車』を訪ねた。

 この会社が開発した自動車のテスト走行中に父親は亡くなったと井東から聞かされた伊達は、母親を捜す手掛かりが見つかるかも知れないと協力をお願いしにきたのだった。

 受付で待たされていた伊達の元に恰幅の良い男性がやってきて、
「お待たせして済みません。こちらでお話しを伺います」そう言うと低いパーティションで仕切られたミーティングテーブルが8つ程ある広い部屋に伊達を案内した。

「伊達圭一さんは仮の名で、本当は一条隼人さんという開発部長だった一条さんの息子さんだと伺いましたが?」名乗りもせず疑いを滲ませて伊達を見る。

「はい。肌身離さず持っていた写真の人がようやく母だと判明し、その母を探していたら自分の本当の名と父がこちらで働いていた事を知りました」伊達は詳しく説明し、「父について知ればそこから母を探す手掛かりが見つかるかも知れないんです」と井東に見せたのと同じ写真を差し出した。

 その男性は写真には目もくれずに、
「もう30年近く前の事だから…。資料がないんですよ」と持って来た1枚の集合写真を見せて右端の一番上に写る、示したその指で隠れてしまう程小さな顔を父親だと言った。

 あまり協力的ではない印象を得た伊達は何も聞き出せないと思い、
「当時、こちらで働いていた方を紹介して頂けないでしょうか?」と訊ねてみると、
「えーと、ちょっと待っていてください。調べてきますので…」面倒な事を頼まれたと思ったのかちょっと勿体ぶってから席を立ち、どこかへ歩いて行った。

 会社の汚点でもあるテスト中の事故死から30年近く経ち、ようやく忘れ去られようとしている時に再びそれを持ち出せば嫌がられるだろうと伊達が想像していた通り、あまり協力的ではなかった。
 当時の社員や関係者を聞き出し、その人たちの記憶を転送して貰う方が母親を捜す手掛かりは見つかるだろうと思っていたが下手するとそれも叶わないかも知れないという感じがしていた。

 頭の中でそんな考えを巡らせていると、
「こんな物で役に立ちますかね?」先程の男性が表紙に社員名簿と書かれた古い本のようなものを手に戻ってきた。

 ページをめくると古い社屋と創業者の写真、そしてその横に『ものを造るという事は人を創る事で、人は自身の想像力によって創られる』と筆文字で座右の銘のようなものが印刷されていた。
 次のページが目次のようになっていて部署名とページ数が書かれており、『開発設計部』は60ページとなっている。

 早速そのページを開くと、開発設計部長の肩書で一条和実の名がそこにあった。
 先日、井東の妻から転送してもらった記憶により、父親の名は「かつみ」か「かづみ」のどちらかだとわかっていたがそれを見て「かづみ」だという事がはっきりした。
 その下に副部長、課長と続き開発設計部は20人程の所帯だったのが分かる。

 伊達がまじまじとそのページを眺めているのを見て、
「写真を撮るなら黙っておきますよ、どうぞ…」周りのテーブルに人はいなかったが、声を落として言うとニヤッと笑った。
 その笑みの意味はわからなかったが伊達はスマートフォンを取り出し、設計部のページに加えて他の部の部長や課長など関係のありそうな人の部分を写真に納める。

「ありがとうございます。助かりました」頭を下げると、その男は黙っていたが明らかに何か言いたい感じを匂わせている。

「念の為に私の連絡先をお渡ししておきます」伊達がそう言って名刺と共に、その裏に隠れるように畳んだ1万円札を渡すと、
「他に何か協力できるような事があったら、いつでも遠慮なく言ってください」と急に協力的になって笑みを浮かべた。

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