第27話

文字数 3,514文字


 藤岡は犬を追跡しながら市川の倉庫の周りを歩いていた。

 あちこち匂いを嗅ぎながら呑気に散歩しているプードルを見つけた藤岡は
「よーし、いい子だぁ~」、「お前は、お利口だねぇ~」と犬の耳でしか聞き取れない位の小さな声で囁きながらその後を追う。

 藤岡が追いかけると餌を貰ったり撫でられたりした事は1度も無いのに、その犬は嬉しそうに尻尾を振りながら前を歩き始めた。
 やがて、黒毛のプードルは時々振り返りながら藤岡のペースに合わせて進むようになり、一緒に歩ける事を楽しんでいるように見える。
 実はそれがペット探偵である藤岡の特技であり、動物を怖がらせたり何かを強要したりするのが嫌いな彼だけの手懐け方だった。

 しばらく歩いた後にポケットから餌のかけらを取り出し、
「ほら、こっちだ!」と腕を伸ばして差し出すと、犬は待ってましたとばかりにやって来て目の前に座る。

 今度はその手で腰のあたりを軽く叩くようにした後、
「さあ、来い!」短くはっきり声を掛けて反対向きに歩き出すと、犬はスッと立ち上がり藤岡の足にぴったり寄り添いながら付いてくる。

 そのまま自分の車まで歩いた藤岡はリアゲートを開けると腕で車内を示し、犬が乗り込むと握っていた餌のかけらを与える。
 座って次の指示を待つプードルに
「伏せっ!」と言いながら手の平を下に向けると大人しく伏せて満足そうにした。

 目的地として青木の医院を入力した藤岡は自動運転で車を発進させるとすぐにシートを回転させて後へ向け、除菌シートを取り出して犬の身体を拭き始めた。
 それが終わりペット用ブラシで全身のブラッシングを始めると、
「クゥ~ンッ」犬は嬉しそうに鳴いてその腹を見せる。

「よしよし、いい子だ」優しい眼差しでそう言いながら丁寧にブラシを掛けていると青木の医院がある東銀座に到着した。

 犬を入れた移動用のケージを曳きながら26階までエレベーターで上がり、医院の前で到着の連絡を入れるとガラスドア越しに見ていた受付の女性が出てきた。

「藤岡さま、お待ちしていました。こちらへどうぞ」ケージを見てそう言うと入口の横の通路へ導く。

 通路の先に見える真っ白いドアから伊達が出てきて、
「藤岡さん、お待ちしていました」小さく頭を下げ、「その犬ですか、追跡していたのは?」とケージの中の犬を指差して訊く。

「ええ、あの辺りをテリトリーにしているボス犬で、縄張りの見回りをするので毎日2回は見かけます」すぐにそう答えた。

 藤岡はドアから中に入るとそこにいる青木を見て頭を下げ、
「ペット探偵の藤岡です。除菌シートとブラッシングで綺麗にしておきました」自己紹介しながらケージに入れた犬を見せる。
「院長の青木です。では、こちらへどうぞ」青木はそう言うと藤岡を転送室へ案内した。

 いつもなら2台のベッドが置かれている転送室だが1台は片付けられ、代わりにペット用のトレーが置かれている。

 藤岡がケージをトレーの上に置きながら、
「それと…、伊達さんに頼まれた物を色々と調達してきました」と肩から下げていたカバンを開けて何かを取り出した。
 それぞれがジッパー付きの透明なビニール袋に入れられ、『倉庫の前の土』、『倉庫の横の雑草』、『前に落ちていた木片』などと書かれたラベルが貼られている。

 青木がそれを見て、
「さあ、どうなるか分かりませんが早速、それらを使ってやってみましょう」軽く手を叩くと伊達と藤岡を見て元気よく言った。

 ケージから出された犬は藤岡をボスだと思っているのか少しも抵抗する事なく転送用ヘッドギアと麻酔のマスクを着けさせた。

 すでにヘッドギアの装着が済みベッドからそれを見ていた伊達が、
「藤岡さん、どうやって野良犬を手懐けるんですか? 全く抵抗しないなんて信じられない」感心しながら言うと、
「これが特技なんです。動物が好きだから怖がらせるのが嫌なんです…」藤岡は笑みを浮かべ照れ臭そうにした。

「では始めましょう!」機器のチェックを終えた青木が再び手を叩いて言った。

「私はここにいてもいいんですか?」藤岡が訊ねると、
「犬が暴れた時の為に、ここにいてください。麻酔をかけるのでそうはならないと思いますが…」動画撮影用のカメラの向きを伊達に合わせながら告げた。

「じゃあ、何か手伝いましょうか?」藤岡が言うと、
「では、調達して頂いた物を私の合図で犬に嗅がせてください」青木は嬉しそうに言った。


 犬に麻酔が送られ動画撮影が始まると、
「では、最初に『倉庫の土』を嗅がせてください」青木がすぐに指示を出す。

 藤岡が『倉庫の前の土』と書かれた袋のジッパーを開け、犬に嗅がせてみるが
「………………………」伊達は黙っている。

「そのまま嗅がせていてください」静かな転送室で青木が囁くと、
「えーと、遠くの白い犬かな…、それを見ているのかな…、ぼんやりとしている…」伊達が自分の脳に転送されてくる記憶を読み上げ始めた。

「上手く行きそうだ…」伊達の声を聞いた青木はその目を輝かせて呟いた。

「…倉庫の前の…地面を見てる…………」そう言ったきり何も読み上げない伊達を見て、
「では、次に『倉庫の横の雑草』をお願いします」青木が告げるとすぐに藤岡が犬に嗅がせる。

「………………………倉庫の壁かな、……グレー色の外壁が見える。その先に緑色の雑草と青空……」再び伊達が読み上げを始め、「おっ、トラック…と倉庫の女性事務員…、ぼやけたり…はっきりしたり…しているな………」そう言って再び黙った。

 続いて別の物を犬に嗅がせてみても、
「…老人と散歩しているポメラニアン……また隣の女性事務員、…とトラックの運転手…」なかなかコジローは出てこない。

 するとベッドにいる伊達が右腕を動かし、何かをポケットから取り出した。
 その手を無言で差し出すのを見た青木が急いで受け取ると中に布片が入れられた小さなビニール袋だった。

 そのビニール袋を藤岡に渡して犬に嗅がせて貰うと、
「あっ、…コジロー…の顔…ドアップだ…」伊達がすぐに読み上げを始め、「そしてワンボックスと犯人……発車する。コジロー…気づいた、…後を追う…、……くそっ、見えなくなった…」コジローが次々と転送記憶に現れる。

 それを聞いた青木が思わずガッツポーズをしたがその後、伊達は何も言わなくなってしまった。

 そのまま転送を続けていると、
「ゔぐわぁああぁー!」伊達が一瞬、大きな叫び声をあげた。

 順調に進んでいる様に見え、油断していた青木は
「おぉ、これはいけない!」と慌てて機械のスイッチを切る。
 麻酔を掛けられていない伊達は転送が止まるとすぐに目を開けた。

「青木さん、コジローは出ましたか?」と何事もない顔をしているので、
「出ましたが…、それより伊達さん大丈夫ですか? 今、叫び声を上げましたよ…」青木が心配しながら言い、「変なものが送られませんでしたか?」と訪ねたが伊達は何だか分からない顔をしただけだった。

「やはり記憶には残らないんだ…」青木が呟くと、
「不思議だけど、もう何も思い出せないんです…」伊達はベッドから起き上がり独り言のように言った。

「ところで、あの布片は?」いつもと変わりない伊達の様子に安心した青木が訊くと、
「コジローの犬小屋に敷かれていた毛布を分けて貰ったんです」伊達がそう答える。

「なるほど、その匂いを嗅いだからこの犬がコジローの事を思い出したんですね」青木は納得してそう言い、「では早速、再生してみましょうか!」と気付いたように記録した動画の再生を始めた。

 映像が壁に取り付けたスクリーンに映し出されるとやがて記憶を読み上げる声がスピーカーから響き始め、伊達の叫び声で再生は終わった。

「最後の叫びは何が原因だったのか気になるなぁ…」青木が心配して呟いたが伊達はそれを聞いていなかったのか、
「やはりあのワンボックスは犯人たちのものでコジローはそれを追っていたんだ。でも、それが判っただけでは何も進展しない」と、それ以上の手掛かりがない事を残念がっていた。

 そんな伊達を励まそうと、
「伊達さんが考案した方法は見事に成功しました。日本ではこれが初めてだと思います」青木が明るく言ったが伊達は少しも喜ばないでいる。

 そんな2人を見ていた藤岡は
「ペット探偵の私にとってはとても興味深い、動物の記憶転送というものを体験させて頂きました。ありがとうございます」と真剣な顔で頭を下げ、「引き続き張り込みを続け、コジローを早く見つけられるように頑張ります」そう言うと市川へ戻っていった。

 青木は今日の転送で得られた情報を吉田警部に伝えようと言ったが、伊達は具体的な手掛かりが無いからと言って思いとどまらせた。

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