第5話 五弁花の壁の前で

文字数 20,193文字

 地下の暗がりには多様な存在がいました。そこはまさに魑魅魍魎の棲む世界といっていいのですが、どうしてその者たちが棲むようになったかというと、大きく二つの事件によります。およそ三百年前に起こった狂乱の事件と、それよりも遡ること五十年、クロウルダという元々この港を建設した民族の滅亡です。前者は無限の苦痛と苛立ちを背負った亡者どもを生み出しましたが、一方後者は、それよりももっとたちの悪い暗黒の生物を放り投げたのです。オグという、この魔物は、人間の悪意そのものでした。人々の古代の悪意を一身に集めた、巨大な巨大な黒い闇でした。クロウルダという民族は言わば神官の民で、この魔物を封じ込めるために彼らの生涯をかけていました。
 その民族が滅びたのであれば、無論、彼らの監視下にあった魔物は、自由の身となります。かの魔物は神殿の奥の洞窟にいました。時折霧の姿になって、地下の街を漂います。しかし別段これまで目立つ悪さをすることなく、落ち着いていました。というのも、かの魔物は、ある時を待っていたのです。三百五十年も、自由の身となって以来。
 トアロとアズダルの二人の盗人は、この霧の魔物に触れたことに気がつきませんでした。ひんやりとした冷気は常に彼らの周りにまとわりついていたのに、彼女たちは、自分たちの目的はこの街の秘密だと勘違いをしていたのです。さっさと黄金を盗み出して後日何度もここを訪れればよいものを、彼らは欲張り、正気を失っていました。悪意の魔物は触れた人間の悪そのものを増大させます。彼らにとっては、わくわくする冒険と隣り合わせの窃盗が生業でしたのに、それ以上に、危険を増させる選択をしていたのです。街の秘密など、盗賊が望むのにこれほど不適切なものはありません。彼らの商売にかなっていないのです。勿論、この暗き都市の光景に圧倒されて、なおかつ壁や天井に人工らしき隠蔽の跡を発見して、好奇心がむらむらと昇ったのには違いありませんが、普段の彼らならそれほど関心を惹きつけるはずがありませんでした。彼らはあのようにピロットに頼み、直接都市のことを知る人物との接触を図りましたが、それがどれだけ、自分たちの身を危険に晒すかわからないような人間ではないのです。
 彼らは焦っていました。というのは、黄金はある場所で発見をしたものの、そこは水の中で、引き上げるのに難儀したのです。確かに大量の塊でしたが、そんなところにあるなら、他の場所もよく調べてみればそこにある以上の量が見つけられたかもしれません。しかし彼らは、そんな金よりも都市の滅びたあらましの方が、価値高く思われていました…。奪い取るべき宝物は、彼らにとっての真の黄金は、それになっていたのです。なぜ、このようなことになったのでしょうか。たしかに彼らは「盗賊冒険家」です。盗みは手段で、冒険こそ目的でありました。ですがこれほど危険を冒す必要はまったくありません。というのは、彼らの生命を懸けての冒険は、拒否の項目にあったのです。彼らは着実な冒険家で、少しずつ成果を挙げていくようなやり方をこそ好みました。「蛇牙」と呼ばれる絶壁にチャレンジしたのも、いつ果てるとも知れない穴蔵に突っ込んだのも、トアロ一流の、勝算があるからでした。彼らは命を危険に晒しません。着実な冒険をこそ好きました。
 彼らの身に及ぶ恐ろしさはこうしたことにあったのです。つまり、彼らはいつのまにか自分を見失って、己の欲望に、忠実になっていたのです。身を破滅しかねないところに、彼らは誘われていったのです。彼らはもう自己を失っていました…計算高い頭脳がかちかちと働いていましたが、それは、結果破滅へと結びつく計算でした。
 一方、ピロット少年は、これもまた彼一流の頭脳を働かせていました。彼の目的は、テオルドを助け出して彼に屈辱を味わわせたこの闇に対して抵抗することでしたが、もう一つ、大事な目標ができあがりました。盗賊どもをやっつけてやる…!しかしどうしたらそれができるでしょうか。彼は、イアリオの泣きそうな顔を見た時に、急に閃きました。あの盗賊が言っていた、彼らの奪った宝物と交換で街の情報を求めたこと、そこに付け入る隙を見つけました。彼は、盗賊たちが本当にそんなことを考えているならば、相手が誰であってもいいだろうと思いました。そしてこちらが、彼らの欲しい情報を小出しにすれば、きっと連中は下手に出るだろうと考えられました。何より、彼らは自分たちが奪った黄金より、こちらの「情報」の方が、価値の高いもののように言っていましたから!
 そんなにうまくいくとは思いませんが、こちらがじらして、相手の行動を制御することはできそうな気がしました。彼は、罠仕掛けが得意な少年でした。彼らと約束したところは見通しが悪く人目につかない、岩場の隙間でした。彼が仕掛けを施すのにわけない場所がいっぱいあります。勿論、相手の盗賊もそうしたことに精通しているでしょうから、これは、純粋な頭脳戦になりそうでした。ですが、彼には自信がありました。相手が大人であればこそ、彼の勘は、鋭く働くことがありました。彼は好敵手を得られたような気持ちにもなっていました。今までの彼が行ってきた悪事にも、最近飽きだしてきたのですから。
 早速彼は仕掛け作りに赴きました。この間、彼の頭にテオルドの名前は出てきませんでした。彼にとってテオルドが生きているかどうかはあまり関係がありませんでした。そのようなことを気にした時間はなく、自分の欲求の方が最優先でした。彼は、計画の結果はあまり顧慮せず、純粋に自分の気持ちだけで動いていました。
 仕掛け作りが終わり、彼はようやくテオルド捜索を開始しました。その頃はもうすっかり夜が明けていました。彼は一晩中罠作りに没頭したのです。
 テオルドの行き先にあてはありません。彼は、イアリオとあんな約束をしましたが、それは、彼の事情を最優先していたからでした。ただ心のどこかに引っかかるものはありました…まるでテオルドを見殺しにするかのように自分が行動しているのを彼はよく知っていました。彼女の涙目を思い出しながら、彼は再び暗闇へと入り込みました。
 彼は火を点けました。入り口から、崩れた土蔵の前まで、道の上にテオルドらしき足跡は見つからないかと探しました。大屋敷の正面から迷走してほとんど出口に向かっていない足跡を、彼は丹念に調べてみました。けれど、皆ちゃんと最後には出口へと向かって、何の心配もいらない結果となりました。一つだけ、あまり長い道のりを辿ったものもありましたが、それもやがて無事エントランスに到着していました。
 彼は苛立ちを覚えました。全員が結局これ無事ならば、自分がわざわざ出向いた意味がありません。テオルドも、この場所ではなくどこか知らないところで行方不明になっているのだとすれば、およそその責任は、テラ・ト・ガルにはありません。彼はがっかりして、壁に背をもたせかけました。
 世界に昇った太陽は、かの暗闇の街に鋭い日差しを投げ掛けられません。そこに蠢いている魑魅魍魎の存在を、感じ取ることができるのはただ人間だけです。それらは人間だからです。人にだけ、影響を与える者たちなのです。カルロス=テオルドはこの中にいました。彼は、まるで魍魎たちの仲間になったかのごとく、その闇と同化して、火も点けず街を歩いていました。
 彼を見つけ出せなかったピロットは、この地下街にテオルドがいないとすれば、では一体どこにいるのだろうと思いました。もしそうならば彼とすればどうにもしようがなくなるのですが、イアリオとの約束を守れないことになります。彼は、暗闇を歩きながら考え続けました。どうしたらいいだろう…?その時、風が和やかに空間を行き渡って、彼の足を右へ進めました。細い路地へと入ったピロットは、その側に、得体の知れない植物が絡みつく不思議な壁を見つけました。そこには緑色の蔦が蔓延(はびこ)り、松明の灯火に毒々しい色を閃かせ、蔦の上部には、ほとんど等間隔で花が咲いていました。五弁に分かれた花で、色は鮮やかな赤で、女性の熟れた唇を思わせました。
 植物はその空間にあるまじき生命を主張していました。少年はびくびくとした意識をこの不可思議な壁に感じて、そこに近づきました。手を当てると、とくんとくんと植物の内部を軽やかに流れる水の行進を感じました。花びらは割と大きくて、目を寄せると、芳しい危険な匂いと共に豊潤な生命力がそこから立ち昇り、彼の頭脳を刺激して混乱させようとしました。ピロットは慌ててその場から離れようとしました。少年にとって、まるでそこは初めて成熟した女性の裸に出会ったような、異常な興奮を目覚ませるエロチックな現場をなしていました。彼はしかめっ面をしてこの命の壁を眺めました。ここにも彼自身を支配しようとする、気に喰わない狂気の力を覚えたのです。
「ピロットかい?」
 そこへ、突然後ろから声がかかりました。振り向くとテオルドが立っていました。彼は、手に一冊の図書を持っていました。
「どうしたの?偶然だね。こんなところで出会うなんてさ」
 テオルドは松明を持っていませんでした。闇の中からぬっと突き出した彼の頭は、どこか骸骨を思わせました。ピロットはとても奇妙な感じがして、足がすくみました。テオルドは、本の虫でしたので常に屈みがちな姿勢で立っていました。目を上げると、それが人を睨みつけるような視線となって、あまり評判はよくありませんでした。彼がよく父親の手伝いをしているのを知っている人たちは彼のことを褒めるのですが、同級生からすれば、とっつきにくい根の暗い奴と思われていました。彼は額が大きく、両側に分けたさらさらの黒髪の間からそれは岩のように突き出ていました。目尻は下がり、黒々と瞳は大きく、顔かたちは善良で比較的相貌も良いのですが、普段の風貌がおどおどした様子でしたので、彼に近づく子供はいません。彼も、誰かと仲良くなろうなどという様子を見せませんでした。
 彼は、暗闇の中でぱちぱちと目をしばたたきました。まるでピロットの掲げる灯りがさもまぶしいといった風です。ピロットは奇妙な風を感じました…それは、先ほどにも吹いた気がする風でした。
「ピロット…」
 ピロットは、闇からでも響いてくるような、不気味な音声を聞きました。それは人の声で、テオルドの口もそう動いていたのですが。テオルドの目はらんらんと燃え、期待と希望に満ちて見えました。彼は、黒々とした目に見えぬ縄を握っているようでした。その縄の目が、四方を向いているのです。一つ一つのそこにある襞が、口を開けて蠢くかのように。縄は、三百年間蓄えられた長さを持ち、それぞれの目が周りを凝視しています。
 縄目の先が、ピロットを向きました。
「なんだ、お前。生きていたじゃないかよ」
 ピロットはわざとつっけんどんに言いました。
「つまらないな」
「つまらないってなんだい?折角ここで会えたのに、さ。お前も、調べに来たんだろ?この街、すごいよ。どこからどこまで、本の通りなんだか知らないけれど、ここを歩いているとね、歴史が動き出すよ。僕の胸で」
 テオルドは抑揚のない調子でしゃべりました。
「お前、一人で勝手に調べていたのか?」
「ああ、そうだよ。一人の方が面白くてね、みんなには悪いと思っているけれど…」
 ピロットは、いきなりテオルドに掴みかからんほど近づきました。
「お前さ、お前の親父が血眼でお前のことを捜していたぞ?皆に訊いて回ってる。いい迷惑だから、早く戻れ」
「ああ、何日もそういえば顔を見せていなかったからなあ…でも洗濯も掃除もしていたんだけど」
 テオルドは不気味に笑みながら彼に顔を向けました。テオルドの口元がひびわれたように歪み、ぐるぐると回転しました。
「そうかよ…」
 ピロットは人間を相手にしている気がしなくて、まごつきました。額の突き出した少年は根の生えた植物のようにじっと立ち、鬼のような目でこちらを見ていました。すると、いきなりピロットは踵を返して同級生に背中を向けました。
「帰る」
「ちょっと待ってよ!ピロット、ああお前は、僕のことを探しにきてくれたのか!そうなんだ、それは悪いよ。謝るからさ」
 テオルドはピロットの松明を握り、強引に近づけました。彼に、こんなにも強い力があるものだとは知らなかったピロットはまたも面食らいました。
 テオルドは持っていた本を広げてみせました。しかし、悪たれの少年はミミズのようにちろちろとした字を見て嫌いました。「あはは、ピロットのその反応、面白いな。」ぐっと眉をひそめて唇を噛み締めた彼の表情を覗いて、テオルドが笑いました。
「寝息立てる魔物が巣立つ、合間に空飛ぶ布の幕が上がる」
「何?」
「ここに書いてあるのさ。この魔物は、世界中で悪さする奴で、なんでも人間の悪意が渦を巻いているらしいんだ。こいつに触れると、人間だとたちまちに気をやってしまって、魔物の言いなりになっちまうんだとさ」
 こんなに饒舌なテオルドは見たことがありません。いつもなら、ぼそぼそと口を動かすだけで、まともに誰かと会話などしたことがなかったのです。ピロットは奇異の怪物を見ている気がしました。
「その前はこうだ…ラエルの地に封じし魔物は出てくることを拒んだが、これを仕留めにやって来る若者がいた。しかし魔物は巨大で、若者はこれに喰われてしまった」
 彼はぱたんっと本を閉じました。
「わからない?今の文は、黄金を食べる例の魔物のことを言っている。つまり、この地下のさらに地下に、棲んでいる奴のことを言っているんだよ」
 彼は目を輝かせて、頬を紅潮させました。しかしピロットには何のことかさっぱりわかりません。
「待てって。どうしてお前はそんなことしゃべってんの?魔物?魔物って、そんな奴いるのかよ」
「いるんだよ」
 テオルドが間髪入れずに言いました。
「この閉ざされた地下のさらに奥にね」
 この時、ピロットはぐるんっと揺さぶられるような心地がしました。テオルドの話は彼の興味を呼び、さらに未知へのチャレンジが、彼のことを待っているかのようにも感じさせました。
 ですが、今の彼は大変がっかりしていました。ぴんぴんしたテオルドを見てどこか彼の目論見は破綻して、ほっとした心にもなっていたのです。非常な緊張の中に彼はいたはずでした。その緊張が、少し解けて、彼に休息を欲させました。
「今はいい」ピロットはぼそりと言いました。
「どうしてさ」
「お前、帰れよ。探索はまたでいいだろう?それに、この街に盗賊たちが来ているんだ。あいつらに捕まったら何されるかわかんないぜ?」
「へええ…それは大変だな」
 テオルドはわざとらしく相槌しました。勿論、彼は盗賊たちのことを知っています。
 その時、命の花の壁の前で談話する彼らの元へ、近づく輩がいました。テオルドは耳ざとくその気配を感じ、気にしないふりをして、話を続けました。
「でもさあ、わくわくしないか?滅んでしまった街のさらに下にさ、そんな奴がいるなんて!」
 ピロットは鬱陶しげに首を振りましたが、テオルドの言うとおりではあったので、耳を貸しました。
「その怪物のことを説明するには、この地下都市のあらましとか、それよりも前の港の様子とか、そこから話さなきゃならない。奴は、三百五十年も前からずっと眠りっぱなしだったんだ。ずっと深い洞窟の湖の側にいて、ずっと目覚めの時を待っている。今、奴が目を覚ましているかどうかはわからない。けれど、クロウルダという民族が、長年こいつと闘い続けていたんだ…」
 ピロットがぎくりと体を揺すりました。灯火の向こう側に、おぼろに影が二つほど見えたからです。それは間違いなく、先日の盗賊二人組でした。右がトアロ、左がアズダルです。
 アズダルは、興奮した面持ちでした。暗闇の中で顔が紅潮し、鼻息もやや荒く、力こぶを何度も作っていました。
「ピロット」
 トアロが、鳶色の目で少年を見据えました。
「約束は守ったか?まさかそれがお前の親だとでも言うのではあるまい…」
 闇の中で、彼女の瞳は暗黒の穴のように鋭く圧倒的に沈んでいます。
「まだだ」
「では、ここでそいつと一体何をしているんだ?」
 ピロットは自分が命の危険に晒されているのに気付きました。それは、実は相手も同じで、彼らの運命を、まさに彼が握っているからでした。彼らには、友人と何やら相談するピロットが自分たちに身の破滅をもたらす者のように見えていたのです。
「お前をどうやら人質にするしかないな」
 トアロは冷徹な口調で言いました。
「そうでなければ危険が広がるからな」
「いや、待ってくれないか?」
 彼は、この盗賊たちをいかにして罠に掛けるかを考えていたはずでした。けれど、今彼は、この場をなんとしても切り抜けてやろうとする気持ちを失っていました。なんとなく投げやりになっていたのです。
「あんたたちが欲しいのは、この街の由来や、情報だろ?だったら、こいつが詳しいよ。司書の息子なんだ、どんな本も読んでるぜ。下手な大人以上に、詳しいんじゃないの?」
 彼は、どうでもいいように言いました。テオルドは、顔を上げて二人組を見遣りました。松明の火に浮かんだ彼の顔は、どことなく、その背後の赤い五弁の花を思わせました。
 まったく微動だにしない、生命の、硬い様相でした。
 二人組はこの少年を何だか不気味に思いました。何より、初めて出会ったにもかかわらず、彼の目には外側の人間に会った驚きがありません。ピロットでさえ、警戒する態度を取ったのに、彼は堂々として落ち着いていました。ですが、トアロたちはこうも思いました…もしピロットの言うとおりだとすれば、本当に彼は、この街に詳しいのではないか?そして、ピロットは確かに約束を守っていたのかもしれないぞ?なぜなら、自分の親の代わりに彼を連れて、彼を紹介してくれたのだから…。
 このロジックは、いったい正しくありません。ピロットは事前に彼らに連絡もしていませんし、こんな場所で出会うこと自体、不自然です。彼らの言うとおりにしなければ、どんな目に遭うのかわからない頭の持ち主ではないのです。一体なぜ、トアロたちはこんな勘違いをしてしまったのでしょう…?彼らに焦りがあると言いました。彼らはいつもどおりの冒険を今や繰り広げていないとも言いました。彼らは、オグにも触れたと言いました。…
 つまり、彼らの中の、真実歪んだ、立派な悪の欲望につながる器官が刺激されていたのです。しかしその正体が知られるのはこれからです。
 ぼんやりとした冷気が付近を漂い出します。その冷たい空気は、テオルドと、トアロと、アズダルの足元から吹き出ています。操られる者が出す、えもいわれぬ悪気です。
「よかった。話が早い。いくつか質問したいことがあるのだが」
 トアロは、テオルドに近づきつつ言いました。
「ちょっと待って!僕は、確かにこの街のことを上の大人たちより知っているはずだけれど、すべてじゃないんだ。まだ調べている最中でね。答えられる質問と、そうでない質問があると思うよ」
 テオルドが両手を突き出して彼女の突進を制しながら言いました。
「それでかまわない。が、報酬はやはりそちらからどれほど情報を聞き出せるかだぞ。我々の奪った黄金は、この街のおよそ半分近くもあるのだ…」
「黄金?へええ、ピロット、そういうことか…」
 テオルドは歪んだ微笑みを彼に見せました。彼は変な寒気を覚えましたが、それがどこから来るのか、無視しようとしました。
「では、早速訊こう。この都は、どうやら滅びた後からなのか、天井のあちこちに補修された跡があって、壁も増設されている。つまり、誰の目にも触れないように封印したように思えるのだが、それはなぜだ?」
「ああ、なるほど。封印か、それは思いつかなかったな…」
 こちらの質問に答えない少年を、トアロは睨みつけました。
「一番初めに聞きたいのはそれ?じゃあ、二番目がいいな」
 彼はまこと善良な笑顔を見せました。トアロもアズダルも、どこかこの笑顔に圧倒されました。相手がどんな人間で何を考えているかまるでわからなかったのです。彼の姿勢は、正しくこの都市も上の町も理解している者の様子でしたし、落ち着き払って彼女の質問に答える姿は誠実であるようにも見えますが、すべて仮面をかぶって、別の存在がそれになりすましているような、不可思議な畏れを知覚させました。彼女たちは、隣に立っているピロット少年の方を見遣りました。すると、そこには正しく人の少年がいました。彼らはまたテオルドに目を移しました。何者かわかりませんでした。
 アズダルのリビドーが刺激されました。彼は今にも、トアロを襲い、この場で行為をし始めたい気分になりました。
 トアロは急に重くなった唇を引きつるように開きました。
「じゃあ訊くが、この街がかつてクロウルダといわれる民族に支配され、後に海賊たちがやってきて、奪い取ったというのは本当か…?」
 これにはテオルドは答えられました。そのようにして、問答が繰り返され、命の壁の前で、三百五十年以上にも及ぶ歴史の講座が始められたのでした。

 その話には、勿論ですが大分ピロットの知らない事実が明かされました。彼は、テオルドがなぜ十五人の前でこの話をしなかったのか、訝しがりました。しかし、今となってはもう仕方がありません。
 ピロットはどれほどの時間がすでに経ったかを気にしだしました。イアリオとの約束の時間は今や刻々と迫っていました。彼はテオルドの後ろでもじもじして、盛んに天井の薄暗い光を眺めました。二人の盗賊はすっかりテオルドの話に聞き入っていました。そして、海の外で彼らがつかんだ情報を、少年の前で広げてみせると、テオルドもまた彼らと同じようにその話に食いつきました。有意義な時間が三人の間に流れ、ひとしきりお互いに話し終えると、満足感だけが残っていました。
「約束だ。我々が盗んだ宝物の一部を、お前たちに返そう」
 トアロはそう言って、テオルドに人差指を見せました。そこには指輪が嵌り、赤い色のしみが滲んでいました。
「勿論、これだけではない」彼女は続けて言いました。「ただこれは私のお気に入りだった。だからこうして指に嵌めているんだ。しかしこれは元々この場所にあったものだった。これを渡すことで、私がきちんと契約を果たす覚悟があることを、認めてもらいたい」
 彼女はまるで一人前の男子を相手にしているような口調でした。アズダルはこれを奇妙なことにも思いましたが、この地が自分たちの最後の冒険の場になるやもしれないことを思い出し、彼女の行為に納得しました。
「そう?でも、折角ここまで来たんだから、何もかもその報酬に貰っていってもいいんじゃない?」
 テオルドは思いも寄らぬことを言いました。トアロは、軽くアズダルの胸板を叩きました。「大した子供だ。もっと早く会っておくべきだったな」そう言って、今までアズダルも見たことがない、満面の笑顔になりました。
「私はこの都市を秘密にしておくよ。きっと約束する。それに、我々が一生楽に暮らせるくらいの宝物は十分に取っておいたんだ。冗談なく言えば、私はもう一度この街に来たいと思うが、その時は、お前の調べの進み具合も聞かせてもらってもいいだろうか?これはお願いだ。その時には、私も何かのプレゼントを用意しておこう。海外の物でも、情報でも、お前の好くものをなんとかしてな」
 テオルドも笑顔で答えました。
「どうぞ。待っていますから。ああ、何か合図を決めておこうよ。そっちが来た時の連絡手段を、何か」
 テオルドはその笑顔から急に能面のような顔になりました。のっぺりと無表情な顔色が、尖った額から砂漠のように広がりました。トアロとアズダルはそれに気がつきません。
「ありがとう。忘れないよ」
 二人の盗賊はそれで立ち去りました。これで、めでたくピロットは盗賊との約束も、イアリオとの約束も果たしたことになりました。彼の意図した結果にはなりませんでしたが、ともかくもこれで万事解決したと彼は思うことができました。元のぶっきらぼうな顔つきに戻って、彼はこれからどうしたものかと考えました。イアリオに報告してから、またこの地下都市に皆と戻ってきたとしても、もうすっかりテオルドからこの滅びの都市のあらましは聞いてしまったので、いまいち刺激はないなと思ったのです。
 テオルドはじっとピロットの後ろ姿を目に留めました。彼が一体何を考えているのか、探るように。彼らのことを、じっと、赤い花びらが見つめています。暗闇で、ありうべからざる命を披瀝した、女性の熟れた唇のような官能的な五弁花が。今、地上でテオルドの父親が、必死で息子の姿を探していることは、息子の胸に、まったく去来しませんでした。彼は、それどころではありませんでした。その心理はせわしく蠢き、彼は自分の意思でそれを行っていないようでした。
「僕は、これから街の中心部へ行くつもりさ」
 お前はどうするの?と、彼は訊いてきました。
「やめろよ。お前、一度戻れ。このままだとイアリオの奴が大人たちに告げ口するから」
「へえ、なぜイアリオが?」
「俺と同じで、お前の行方不明を聞いたからさ。あいつはお前がこの町の下で野たれ死んでいるとか思っているからな。必死さ、あいつも。俺が代わりに探し出すと言ったんだ」
 テオルドは黙ったままぐるぐると首を動かして、口元をへこむほど歪ませました。
「あれ、ピロットらしくないじゃないか。いつもの悪童っぷりはどこへいったの?」
 ピロットはぎくりとして、まじまじと相手を見ました。彼は、どんな相手でも常にその目上に立つように頑張っていましたが、今、この相手とは対等の立場にいるかもしれないと気づいたのです。
「ふうん」テオルドは鼻息をつきました。「そんな理由で、僕が戻る必要があるの?お前が行って彼女に言えばいいんじゃない?」
 それはそのとおりでした。彼もそのつもりでした。
 しかし、彼らしい不羈の意志が、相手の言うとおりにすることをどこからか拒もうとしました。
「そうはいくか」ピロットは食ってかかりました。「お前が言いに行け」
「なんでさ。僕にはどうでもいいんだよ、そんなことは?」
「なんだって?」
 ピロットは気づきませんでした。テオルドの台詞は、普段の彼なら、そう口にしたことでした。彼は、テオルドにだんだん腹が立ってきましたが、それは自分のような口調に憤ってきたということでした。
「このまま僕が、地下にいれば、そしてお前が戻らなければ、どうなるのかな?ああ、大人たちに、僕たちが今まで地下街を遊び場にしていたことは知られるか。」
 テオルドは溜息をつきましたが、顔は残念そうではありませんでした。
「まあでも、大したことではないな」
 その台詞も、まるで自分のようでした。彼は気づきませんでした。テオルドは、彼の影のようになっていたのです。
 彼は気づきませんでした。目の前の少年が、彼のことを、今までじっと見てきたことを。この暗闇に入る前から。彼は、彼に憧れる多数の子供たちがいることを、知りませんでした。その膂力、物言い、不遜な姿勢が、人を遠ざけるどころか、他者を近づけもしていたのです。イアリオも、彼の弟分カムサロスも。
 そして彼は気づきませんでした。いつのまにか、自分が他の誰かに相当近づいてしまったことを。彼以外の誰か。
「お前…テラ・ト・ガルを何にも思わないのか?」
 彼は思わぬことを口走りました。しかし、彼はその違和感に気づきませんでした。
「なんだい、それは。お遊戯のグループかい?」
 テオルドはにたりと笑いました。ピロットは憤慨する自分を感じました。この相手に好きなように心をかき乱されている彼自身が、だんだん許せなくなってきました。ゆらゆらと揺れる松明の光が、彼をくっきりと照らしています。
「そんなに怒るなよ!でも、違わないだろ?僕もお前も、十五人のメンバーに加わって、遊びを楽しんだんだからさ。そう、あれはお遊びだった。僕たちがまだこの地下の闇のことを何にも知らないから、自由に遊ぶことができたんだ。けれど、皆、知ったよね?あの時、骸骨の大群に襲われた時にさ。この場所がどんなところか、身をもってそれぞれが体験したはずだ!
 いいかいピロット、僕は説明したね。この街のあらましを、恐るべき歴史を。僕は言ったね、僕らの先祖が引き起こした惨劇を。それはいったい、どんなものなのか。恐ろしくないか?だって僕たちは、彼らの血を引いているんだぜ?おおよそ想像のつかない欲望のやり取りが、破滅の時代が、高波のように襲いかかってきた人々の血を、だ。でもそれは、彼らが自分から引き起こしたものだった。彼らが自分から望んで引き起こしたことだった。だからこの街は封印されたんだよ、ピロット。臭いものに蓋をするために、自分たちがなしたことをごまかすためにさ。外にも、自分たちにも、その目に触れないようにすることが大事だった!なぜか?そんなこと簡単さ。自分たちのしたことだと思いたくないからね。そんな忌まわしい血液を引いているなんて考えたくないものだよ!
 いいかいピロット、あの骸骨たちは、僕たちの御先祖たちだった。皆、死んで、あんなただの土蔵の中にひしめいて、誰からも供養されず、誰からも歓迎されず、いつまでもいつまでもこの暗闇の中に閉じ込められていた。彼らは僕たちを求めた。そうは思わないだろうか。生きている人間の血を、もう死んだ人間は、欲しいと思わないだろうか。僕たちは彼らに襲われた。彼らは、僕たちが自分たちの子孫だということを知っているだろうか?いいや、知ってはいない。だって彼らは死んでいるもの。ずっと前に、記憶をなくしているからね。脳みそは零れてただ穴の開いた頭に一体何が記憶できる?そうだよピロット、僕たちは襲われたんだ。そんな連中にね」
 テオルドの話は、ゆっくり、ゆっくり、進められました。時間をかけて、ピロットは、次第にテオルドの棲む暗黒の扉を開いてゆきました。彼はそこへといざなわれたのです。人々への言い知れぬ復讐感と、怒りと、慟哭とが結び付く、テオルドだけしかいない暗い場所へ、彼の血だけが受け継いだ所へ、彼も引きずり込まれていったのです。
 どうしてテオルドはこのようなことをしたのでしょう。彼は町の人々によって殺された者の子孫で、その妻も、人々を呪いながら死んでゆきました。彼は、言わば過去の亡霊だったのです。昔の滅びの記憶を持った。彼は仲間を欲したのでしょうか。いいえ、違います。彼の中に眠る血の冷たさは、あらゆるものを凍えつかそうとしていました。三百年前当時の亡くなった人間たちのすべての怨恨と怒号とを、理解したたった一つの魂が、彼をこの世に遣わせたのです。彼は、上下の顎で二つの町を咀嚼しました。噛み砕いて、いろいろと混ぜると、それは同じ色に染まりました。灰色の、動きのない、虚無、未来のない、閉じた、どろどろの色でした。
 彼は、その血を相手に向けたのです。ただそれだけでした。いいえ、違います。現象としてはそれだけでも、ほかにも無数の原因があったことは、事実です。その事実のすべてを記述しようとすれば、大百科事典でも収まりきれないほどの量になる、歴史上のあらゆる実存がかかわっているということを、人間は、決して意識できませんが。彼と、ピロットは、かつて同じ部屋で彼の母親の語る物語を聞いていました。そこには、イアリオもいました。今、ピロットはその物語を、この少年から聞いていました。ぞくぞくと冷たい、石盤の向こうの閉じ込められた暗い地下道にある、失われた、無視された、忌み嫌われた人々の記憶を、辿ったのです。事実を追って。今度は、ストーリーのヴェールに隠されていない、ありのままの秘密を晒して。
 それはハルロス=テオルドの妻イラの独善的な感情の色に支配されていたとはいえ、周りの人間の、今につながる町人たちの歪みきらった情感の響きももたらしました。その町に住む人々しか知らない、三百年間あやまたず伝えられ続けてきた、恐怖と欲望と不安の連鎖の逃れることのできないがんじがらめの実態です。
 ピロットは、それをわかりました。彼の中を流れる血は、今や、テオルドのものとほぼ等しくなりました。彼は、町人を恨んだり嘲ったりしたことはありましたが、その感情は個人に向かい、それが町全体に及ぶことはありませんでした。しかし、あれから、骨たちの(こいねが)う渦にその体が巻き込まれてから、彼の中に刻まれてしまった亀裂ははっきりと、上の町に繰り広げられていました。彼は、自分たちがどんなに傾いた思想の故郷に住んでいたかを、テオルドの説明によって理解したのです。
 彼のそばに、今イアリオはいませんでした。否、彼らのそばに、彼女はその時いませんでした。十二歳の少年たちが、自分たちの町の歩みを知ったら、彼らに相応の純粋な心と体がこのように揺れても不思議ではありません。この時、彼らは深く闇と契約をしたのです。…ピロットは、テオルドからこんな恐ろしい心理物語を聞かせられなかったならば、おそらく普通に町人として暮らしていたでしょう。ある意味、こぞって町に育てられた彼は自分の来し方をいやおうにもはっきりと理解したはずです。悪童・ピロットは、その牙は折らずとも、町に、彼なりの貢献をすることを望んだでしょう。事実は事実にすぎないのですから。それは今でなく、過去の出来事で、町の創設の主旨と歴史とを深く認知したとしても、いまさら恨んだり罵ったりするなど彼が選択するはずがありません。テオルドが、彼の心の闇を開きました。出来事は、解釈次第で善にも悪にも見えるものです。彼はピロットに事柄の悪の側面をのみ、伝えたのです。
 テオルドはそれからも様々なことを話しましたが、とりわけピロットの耳に耳障りに残ったのは、この言葉でした。
「どうしてさあ、ピロットは、みんなを恨まないの?いつも、みんなをびびらせてさ、怖がらせて、自分の言いなりにさせて、満足しているのに。どうしてもっとすごいことしないの?僕はピロットを見ていて、もどかしく思うことがあるよ。お前みたいに、自由にさ、力を振るえたらとも思っていたよ。でも、それだけで満足?本当に?」
 ピロットはかっと見開いた目で相手を見つめました。テオルドはにやにやとしています。
「悪童ったって、力はそんなものか?」
 テオルドが挑発的な目で彼を見ながら、がっかりしてみせました。
「つまらないなあ」
 ですが、この時――その血に流れる灰色のどろりとした衝動のみが彼を動かし、また図書から得た言葉でもって飾られたその文言で目の前のピロットを操ろうとしたにもかかわらず、彼にも不思議な、思いもしなかった感情が混じりました。生まれて初めて、心の中の真実を打ち明けた、という。彼は、それまで口にもしなかったことを、今、目の前で、同年代の少年に洗いざらい語り聞かせてしまったのです。あの事件以来、テオルドは体内の血筋のいいなりになって、実は彼なりにその闇を克服するべく、色々な努力をしていました。闇に染まるということは、その恐怖と同化して、それ以上闇に襲われないようにするための自己防衛の手段だったのです。それに、彼は今まで自分の血と向き合った事がありません。その機会をまさに事件をきっかけに得られただけで、従来のその性格が、かくも恐ろしく暗さに満ちていたのではなかったのです。しかしはっと彼は気づきました。ここに似つかわしくない、生命力を主張した異常な花の咲く壁の前で。
 全部言ってしまった。告白をしてしまった。自分が、どんな思考の持ち主なのか、今、すべてをしゃべってしまった。
 彼は事件を思い出しました。書物から推理し続けてきた事実の発見こそ隠し難い喜びをくれたものの、本当はどれほど怖かったか、あの骸骨に絡まれたときに。その死者たちの歴史、あらましをそれらに出会う前から本当は知っていたことに、それ自体に、実は彼は恐怖したのです。テオルドは目の中が熱くなりました。何かすれば、あっというまに涙が零れてくるのではないかと思いました。彼は父親をも想いました――やっと助けを求めたのです。普通の子供のように。
 ですが、正面の子供が、彼に襲い掛かりました。
「もう一度言ってみろ」
 恐ろしいほどの強烈な腕の力が、彼の喉元にかかりました。首を絞められ、頭を壁に押し当てられて、テオルドは死にも直面するくらいの衝撃を受けました。

 イアリオはずっと約束の場所で待っていました。もうすぐ、太陽が背後の建物の尖塔をよぎる時間です。彼女は、草深い窪地の中にいました。初めて、ピロットと出会い、彼に腕を噛まれた思い出の場所でした。
 彼女はずっと不安でした。彼女の不安を、吹き払う何かも、和らげる兆しも、待てども待てども現れませんでした。イアリオは覚悟していました。このまま彼が姿を見せなかったその時は…きっと、素早く議事堂へ赴こうと。
 そして彼は現れませんでした。彼女は草木の中を立ち上がりました。彼女は一心不乱に走りました。もう待てません。もうこれ以上、彼女を脅かす何ものも、許せません。

 首を絞められて、息も絶え絶えになったテオルドは、なんとか相手を振り切ることに成功しました。彼は怯えた眼差しで相手を見ました。今しがた、彼が脅かしていた仲間を、同い年の少年を。相手の目はぎらぎらと焔を立ち昇らせていました。目の前の敵が、どんなことにもなっていいような激情に苛まれています。
 その時テオルドはゆっくりと笑いました。彼の中に眠っていた、古の血が、再び目を覚ましたのです。
 しかし今しがた発された激情が、相手の中で、あっというまに冷めていきました。ピロットは不安げな心地になりました。
「お前は、俺とは違って…」心配そうに彼は言いました。「くだらないことを、随分考えるんだな」
「…なんだって?」
「唆し方が俺とは違う。お前、俺に食ってかかって、何か満足か?俺だったらこんなことはしない。平等じゃないから。俺とお前は」
「何を言っているんだい、ピロット?」
「言ったとおりさ。疲れたよ。俺とお前は違う」
 ピロットはその理由を最後まで言いませんでしたが、本当に目は疲れ切って、憔悴していました。捩じて熱くなった心の臓器が、休息を求め、彼の気をテオルドから逸らしました。彼は、もう帰るつもりでいました。
「がっかりだよ、ピロット」
 もう一度、テオルドは、彼を激しようとしました。
「そんな調子で、今まで生きてきたの?お前はもっと、もっと暴れん坊で、いつも誰かを脅かしながらいることが、大事じゃなかったの?ああ、僕は推測しているだけさ。お前がこんな風に思っていたんじゃなかったか、てね。あれ、あれあれ、どうして僕はお前のことを理解してきたぞ!ああ、ピロットはこんな風に事を考えていたんだ!」
 彼は嬉しそうに笑いました。
「やあ、僕はお前と、似ているのかもしれないね!ただ僕は誰かの前で暴れなかっただけで、お前はいつも、気持ちに体を任せていたんだ!そうか、やっとわかった。僕はいつからか、お前のことが好きだったもの!ピロットが憎くてたまらなかったよ。なぜなら、お前、僕の本当にやりたいことを率先してやっているんだからさ!」
 ピロットは後ろを振り向き、目を大きくして、彼を見据えました。
「でしょ?でしょ?本当だ。僕だって誰かに自分を見てほしかったんだからな!ただ僕は非力で、何もなくて、お前のように、周りに訴えることができなかっただけだ。それが羨ましかった!いい加減、こんな自分やめてしまおうと思ったものだけど、今ね、自分にもお前のような力がついたんじゃないかって思うんだ。この街にいると、そんな風に思えてきている!僕はねピロット、上の町に復讐したくて仕方がないんだ。お前も今聞いたろ、僕から?上の町の連中が犯した罪業をさ、彼らが守ったとんでもない秘密をさあ!いいかいピロット、僕らは同じ穴の狢だ。喜んでいいよ!だってこれは、すごくめでたいことじゃないか!」
 彼は興奮してまくし立てました。ですが、ピロットはそれを、冷めた目で見つめました。「お前は…」ピロットはゆっくりと言いました。
「お前は今までそんな風に生きてきたの?」
「だってさあ!」
「俺はお前が嫌いだよ?」
 一瞬、テオルドの動きが止まりました。そして、吐く息が荒くなり、徐々に徐々に、焦り出しました。
「何言ってるんだよ、ピロット?」
「もういい。俺は帰る。ああ、イアリオに、間に合わなかったな。どうせ、この街はもう探検できなくなるんだ」
 彼は少し寂しそうに言いました。彼なりに、冷たく言い放ったつもりでしたが。
 突然、テオルドが彼の後ろからのしかかり、両手で首をぎゅっとつかみました。息ができないほどの力の強さで、ピロットはめまいがしました。地面に倒れ込み、背中に取りついた相手を振りほどこうと懸命にもがいても、その力は猛烈で、本気で彼を殺しにかかるくらいでした。テオルドの目が、冷たく閃いています。折角手に入れたように感じた仲間を、取りこぼすまいとして必死で、あるまじきやり方で彼のところにつなぎとめようと…。
 それは、普段の彼では考えられないことでした。この闇の中だから、暗がりと同化した彼だから、できることでした。そうでなければ、こんなことするはずもありません。ああいう言葉も口にしません。
 積年の苦しさが彼を破滅に向かわせるようなことをさせたとしても。いいえ、その積年の苦しさとは、彼の血が、彼の同族が、彼の女系の祖先が培ってきた、古くからの願いでした。ですが、実際は彼は彼である以外、ほかのものではなかったのです。
 ピロットは、そこまでテオルドのことを知ってはいません。ですが、彼は相手に深い哀愁を感じ、これまでにない言い知れぬ寂寥と絶望感とを、相手の目の深くに見ました。
 ようやくテオルドを振り切り、彼は立ち上がりました。はあはあと息をつき、彼は、天井の淡く差し込む光を見上げて、今の時間を計ろうと思いました。しかし、それも無駄だと知って、命ある花の咲く蔦の絡まる壁をあとにして、行ってしまいました。
「…つまんないよお、一人じゃ寂しいよお」
 テオルドは行ってしまった同級生の背後から、聞こえないほどの声で、呟いて、松明の灯りもなくなった暗闇で立ち上がりました。彼の唇は奇妙に歪んで、言葉にならない声を漏らしていました。
 地下都市への秘密の入り口を出た所で、少年ピロットは保護されました。イアリオの議会への報告後人々の行動は迅速で、早速地下に紛れ込んだテオルドと、侵入者である盗賊たちを捕らえようと組織を形成して動き出していました。まもなくテオルドも保護されましたが、彼はその時、手にある本を持っていました。彼が滅びの都市に入る前に持ち出した書物の他にもう一冊、黒い表紙の日記帳のようなものを、にたりと笑いながら、所持していました。

 光が望めれば、今まで混乱していた意識も、回復に向かうものです。圧倒的な恐怖も、温かいスープとほかほかの毛布にくるまって何日かたてば、徐々に収まっていくでしょう。子供たちは、皆このように保護されて後の日々を過ごしました。
 それでも軋むようなあの時の恐怖は、いつまでも忘れられませんでした。彼らはふとよく自分の背の後ろを見ます。誰もいないのに、誰かがそこにいるように、感じるからです。そして、ぶるぶると震える自分に気がついて、まだあの時の傷跡は癒されていないのだと思い知ります。相当の時間が必要でした。ふさわしいぬくもりが必須でした。人といる時間、誰かと笑い合える場所、暖かい日の光と、夕方の日の終わるほっとする黄昏こそ、彼らにとって最も大事で、不可欠の景色でした。
 さて、彼らは一様にあの暗い街で見たものを口外してはいけないと言われました。どうしてと訊くと、あの都の秘密は、成人してから明かされるのだと言われました。テオルドだけ一人にやにやしながらその申し渡しを聞きました。ラベルは無関心を装いつつ彼だけ不機嫌な顔をしました。他の者たちのほとんどは、ほっと胸をなでおろしました。あの街の由来を、無数の骸骨たちの出生を、大人たちは皆心得ているのだと思うことができたからです。それだけで随分子供たちの胸は軽くなりました。
 イアリオは、この説明に不可解なものを感じました。というのは、彼女は暗い地下に棲む魔物たちの声を聞いたように思えましたから、町の人々がそれを放っておくことが、どうしても理解できないからでした。それは、テオラも同じ気持ちでした。あの巨大な墓場をそのままにしておくことが、どれだけ自分たちの危険となるのか、自分たち以外の誰かもいつそれに巻き込まれるか、わからないではありませんか!ピロットは、テオルドからすべてを聞いていましたから、大人たちは、どのような意図で彼らに真実を隠すのか推測できました。そしてそれをくだらないと思いました。
 アツタオロとサカルダは次第に声を取り戻していきました。普段から無口だったサカルダは、家畜を誘導するための掛け声のほかは、今までどおりやはりそれほど口を開きませんでしたが、顔つきは柔和になり、声をかけられればにこやかに返事しました。アツタオロはいつものぺちゃくちゃしゃべりが戻り、周囲も安心しました。彼女の友人も家族も一体彼女に何があったのか、聞こうとしませんでした。本当はアツタオロはそういったことも皆しゃべり出してしまいたかったのですが…周りの気遣いがそうさせてくれませんでした。
 元気を失っていたハムザスは、そのほかの子供たちと比べれば時間はかかりましたが、兄と共にすっかり良くなりました。彼らは家業の川漁を手伝いながら、授業にも戻りました。しかし深刻なのは…ピオテラでした。彼女は空想世界に逃げ込むことで、心理的に事件から距離を置いていましたが、否応にも、彼女を庇護しようとする親たちの動きが、かえって我に還らせようとしたのです。当然、ピオテラはそれを拒みました。彼女には恋人がいましたが、彼に噛み付くほど甘えと拒絶反応を示し、所在をなくしてしまいました。どうしていいかわからずピオテラは泉に飛び込んだりやけくそで普段の倍も食事を取るなど、自分自身を鞭打つことをまでして安心を得ようとしました。ところが、ある時ぐるぐると眩暈がして、彼女は倒れ込みました。目を開けると、すべての人間が怪物に見えました。目をしばたたいてこれはうそだと思い込もうとすると、今度は頭蓋骨を戴く骨だけの人間になりました。彼女は狂い、精神的に参りました。ですがそれも長くは続きませんでした。彼女は新しい想像の世界に入り込んだのです。彼女は骨だらけの世界が見えると言いました。でもそこは、無駄に面白くて、明るくて、こちらを笑わせる道化師の国の様らしいのです。

 盗賊たちはまだ捕まっていませんでした。大人たちの捜索は夜を徹して行われましたが、彼らの足跡を辿るも、どこにも見つからず、ただ、ピロットとイアリオが伝えた二人の人物の描写に従い、ぼんやりとしたその想像の姿を追い続けるだけでした。しかし、彼らの侵入経路は明確にされました。あの、二つの大きな柱の立つ神殿の入り口を押さえたのです。
 しかし、こう何日も見つからなくては、すでに連中は脱出したのではないかとも思われましたが、彼らの勘では、まだ、二人はこの場所に閉じ込められたままだと感じていました。
 確かにそのとおりで、トアロは、アズダルと共にわずかな食料を分け合いながら、脱出の機会をずっと窺っていました。彼らの舌を巻くところは、町人たちの徹底した動きでした。二人の見るところ、人々は何かに怯えたように火を持って回り続けています。単純に侵入者の排除のためというより、より大きな何かを奪われまいとするかのように、見回り、注意し、果ては、この街とさらに広がる洞窟の至る所を虱潰しに捜し出していたのです。まるで彼らが黄金を見つけ出そうとしているかのごとく…彼らはなくなった宝物の数を数えようとしませんでした。そんなことはどうでもいいのです。この街の秘密が外へと漏れることが何よりも恐ろしいのです。
 トアロはアズダルとこのことを議論しました。少年テオルドの話から推測するに、あの天井をずっと覆ったように、人々が三百年前の直面した恐怖にいまだ囚われているのだということはわかりました。ですが、そんなにも守らねばならないものとは一体なんでしょう。彼らの生活でしょうか。それとも彼らの先祖の暗い過ちでしょうか。いいえ違うようです。どうやらそれは、彼ら自身が、この暗黒に取り憑かれたのだという事実、彼ら自身の暗い現実をこそ、守ろうとしていたのではないか?二人はそう思いました。
 そのように思うと、彼らは吐き気を催して、いてもたってもいられなくなりました。彼らは再度交わりました。少ない食料でまだ何日も耐えねばならないというのに、無駄な体力を使うようになってしまったのです。
 一方…少年テオルドは、目をはっきりと開けて、地下街の中心部から持ってきた黒い表紙の日記帳を、穴が空くように見つめていました。彼が、図書館で参照した資料や、議会預かりの倉庫から黙って盗み見たあの大事件のあらましが語らない、当時の人の目で見た、彼の先祖の現実を見つけたのです。彼は、ごくりと唾を飲みながら、日記を読み進めていきました。そして、読み終わると、一つの確信ともいえる秘密の覚悟が、彼の脳裏によぎりました。
 僕は、この町を…潰さなくてはならないだろう。

 三百年前…ある青年と子女が出会い、恋に落ちて結ばれて、はかなく引き裂かれる運命の物語を、ここで語らねばなりません。
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