第33話 転職理由
文字数 1,858文字
井波からの瞬光工業の社長についての質問に、呉羽は虚を突かれた思いがした。少し考え、言葉を選びながら答える。
「求人票にも少し載せましたが、創業家の方で、とてもお若い女性の方です。社長が就任されてから、より一層人材育成と開発力の強化に舵を切っています。先ほどのフライパンの生産も、社長就任後に始めたものだと聞いています。それで・・・技術者ではないのです。父親の会社を継ぐにあたり、製造業ではない全然違う業界から入ってきたと社長から聞きました。それで、新しい取り組みを次々と進めておられるようですので、とてもバイタリティのある方だと思います」
「へー、それはすごいな。技術者ではない、か・・・。面白い会社やなあ」
井波は神妙な表情を浮かべたが、改めて身を乗り出して言う。
「まあ、私はこの会社なら納得して仕事ができそうだと思うから、是非推薦をお願いします」
思ったよりも前向きな姿勢でいる井波に、呉羽は自分で紹介しておいて口に出す言葉ではないと思いながらも訊ねる。
「あの・・・心配にならないですか?怖くないですか?もし入社できたとして、技術者でもない、しかも異業界から来た社長が率いる中小企業に身を預けるのは」
「何をおっしゃるんですか。違う業界にいた分だけ、新しい発想によって、事業を前進させられるポテンシャルがあるかもしれないじゃないですか。そこに魅力があると思うんです、この会社は」
間髪入れず言いのける井波に、ここまで瞬光工業を評価できるのはなぜなのか、という疑問が浮かぶ。現在勤めている会社が瞬光工業とは真逆の体質の会社でよほど肌に合わず、そこから瞬光工業の様な会社に入りたいとでも思っているのだろうか。呉羽は事務所から持ってきた井波の履歴書や職務経歴書、かつての面談記録に目を通す。
「井波様は、大学院まで機械工学を専攻された後、大手の自動車部品メーカーに入社。生産技術部門で10年ほど勤務。その後、製品開発のスピードと裁量を持てる環境を求めて、創立5年目のベンチャー企業に転職。製品開発者として、会社の稼ぎ頭となる製品をいくつか上市させた実績を残し、その後は現在まで合計4社に在籍され、それぞれの会社で技術者として新製品開発や部門の後進育成に携わられました。今在籍されている会社は中堅の自動車向け金属部品メーカーで、ちょうど入社されて8か月。生産技術課の課長職として、主に部署のマネジメントをされていらっしゃるんですね」
「といってもそんな大きな会社ではないから、現場にしょっちゅう入って、自分で手と足を動かして働いてますよ。課長らしい雰囲気はそんな出ていないと思います」
彼の話す内容や佇まいから、呉羽は謙虚で驕る姿勢もない人柄に良い印象を抱いた。キャリアとしても技術畑、それも生産技術や製品開発の分野の経験が厚い。そして求人を送ろうと思った一番の理由は、大手企業から新興企業に転職し、自ら企画段階にも関わりながら製品開発にかかわった経験を持っていることだ。市場ニーズを読み取ったものづくりへの意識も強く、将来の稼ぎ頭となる商品を生み出したい瞬光工業の方向性に合っていると思ったからだ。
ただ、呉羽にとってはどうしても気がかりな点があった。直近在籍していた4つの企業の在籍年数が短く、いずれも2年未満。短期間での転職が続いており、現在の会社も入社してまだ8か月しか経っていない。この方は、仕事に満足するためのこだわりがかなり強いのではないか。そんなことを考えながら、改めて過去の面談記録を見る。最近の転職理由としては『資金不足になり、製品開発が困難になったため』『新規製品開発を縮小する方向となったため』『役員体制の変更に伴い、別部署への異動の可能性が出てきたため』とあり、そして今の会社からの転職を希望する理由は『会社の将来性に不安があるため』とある。この点について、呉羽は話を振る。
「今の会社に入られてまだ1年も経っていませんが、それで会社の将来に不安を感じるというのは、よほど業績とかが良くないのでしょうか」
「いいや、今の会社の業績は安定していますよ。っていうか、以前そんなこと言いましたでしょうか」
井波は間髪言わずに答える。そして何度か首をひねった後、何かを思い出したかのように口を開く。
「ああ、そう言えば安定しすぎている、とは言いましたかね。業績が安定しているのは悪いことではない。ただ、良いことばかりではない」
「と、おっしゃいますと」
「そこから会社の衰退も始まる。そして、自分の実力の衰退も始まるんです」
(つづく)
「求人票にも少し載せましたが、創業家の方で、とてもお若い女性の方です。社長が就任されてから、より一層人材育成と開発力の強化に舵を切っています。先ほどのフライパンの生産も、社長就任後に始めたものだと聞いています。それで・・・技術者ではないのです。父親の会社を継ぐにあたり、製造業ではない全然違う業界から入ってきたと社長から聞きました。それで、新しい取り組みを次々と進めておられるようですので、とてもバイタリティのある方だと思います」
「へー、それはすごいな。技術者ではない、か・・・。面白い会社やなあ」
井波は神妙な表情を浮かべたが、改めて身を乗り出して言う。
「まあ、私はこの会社なら納得して仕事ができそうだと思うから、是非推薦をお願いします」
思ったよりも前向きな姿勢でいる井波に、呉羽は自分で紹介しておいて口に出す言葉ではないと思いながらも訊ねる。
「あの・・・心配にならないですか?怖くないですか?もし入社できたとして、技術者でもない、しかも異業界から来た社長が率いる中小企業に身を預けるのは」
「何をおっしゃるんですか。違う業界にいた分だけ、新しい発想によって、事業を前進させられるポテンシャルがあるかもしれないじゃないですか。そこに魅力があると思うんです、この会社は」
間髪入れず言いのける井波に、ここまで瞬光工業を評価できるのはなぜなのか、という疑問が浮かぶ。現在勤めている会社が瞬光工業とは真逆の体質の会社でよほど肌に合わず、そこから瞬光工業の様な会社に入りたいとでも思っているのだろうか。呉羽は事務所から持ってきた井波の履歴書や職務経歴書、かつての面談記録に目を通す。
「井波様は、大学院まで機械工学を専攻された後、大手の自動車部品メーカーに入社。生産技術部門で10年ほど勤務。その後、製品開発のスピードと裁量を持てる環境を求めて、創立5年目のベンチャー企業に転職。製品開発者として、会社の稼ぎ頭となる製品をいくつか上市させた実績を残し、その後は現在まで合計4社に在籍され、それぞれの会社で技術者として新製品開発や部門の後進育成に携わられました。今在籍されている会社は中堅の自動車向け金属部品メーカーで、ちょうど入社されて8か月。生産技術課の課長職として、主に部署のマネジメントをされていらっしゃるんですね」
「といってもそんな大きな会社ではないから、現場にしょっちゅう入って、自分で手と足を動かして働いてますよ。課長らしい雰囲気はそんな出ていないと思います」
彼の話す内容や佇まいから、呉羽は謙虚で驕る姿勢もない人柄に良い印象を抱いた。キャリアとしても技術畑、それも生産技術や製品開発の分野の経験が厚い。そして求人を送ろうと思った一番の理由は、大手企業から新興企業に転職し、自ら企画段階にも関わりながら製品開発にかかわった経験を持っていることだ。市場ニーズを読み取ったものづくりへの意識も強く、将来の稼ぎ頭となる商品を生み出したい瞬光工業の方向性に合っていると思ったからだ。
ただ、呉羽にとってはどうしても気がかりな点があった。直近在籍していた4つの企業の在籍年数が短く、いずれも2年未満。短期間での転職が続いており、現在の会社も入社してまだ8か月しか経っていない。この方は、仕事に満足するためのこだわりがかなり強いのではないか。そんなことを考えながら、改めて過去の面談記録を見る。最近の転職理由としては『資金不足になり、製品開発が困難になったため』『新規製品開発を縮小する方向となったため』『役員体制の変更に伴い、別部署への異動の可能性が出てきたため』とあり、そして今の会社からの転職を希望する理由は『会社の将来性に不安があるため』とある。この点について、呉羽は話を振る。
「今の会社に入られてまだ1年も経っていませんが、それで会社の将来に不安を感じるというのは、よほど業績とかが良くないのでしょうか」
「いいや、今の会社の業績は安定していますよ。っていうか、以前そんなこと言いましたでしょうか」
井波は間髪言わずに答える。そして何度か首をひねった後、何かを思い出したかのように口を開く。
「ああ、そう言えば安定しすぎている、とは言いましたかね。業績が安定しているのは悪いことではない。ただ、良いことばかりではない」
「と、おっしゃいますと」
「そこから会社の衰退も始まる。そして、自分の実力の衰退も始まるんです」
(つづく)