第2話 残った悔い
文字数 1,442文字
年が明け、呉羽は大学4年生となり大学生活最後の年を迎えた。
昨年末にバスケ部の役職の引継ぎも終わり、後輩たちによる新チームが始動した。後輩たちが企画してくれた「お疲れ様会」では、呉羽は自分の代では叶えられなかったインカレ出場を必ず手中に収めてほしいと、熱のこもったエールを後輩に捧げていた。
そう言って、自分の大学バスケ生活は一区切りをしたつもりなのに、心の片隅にもやが残る。
バスケ部には4年生になっても、卒業するまで籍は残すつもりだ。時々、後輩たちのサポートで練習に参加したり、大会の応援に行くことはできる。但し、主力選手としてチームを引っ張る役回りは、あの北信越大会で最後である。あの自ら放ったミドルシュートが外れた瞬間に、自らの大学バスケの表舞台にいる時間は終わりを告げたのだ。
自分は、あのシュートを「放ち切った」のだろうか。
シュートを打つ瞬間、目線はゴールリングをまっすぐ向いていた。だが、微かにゴール下の味方…フリーになった彼にパスを出せば、試合終了前のコンマ数秒の時点でぎりぎりゴールを決めてくれるのではないか。そんな想いが浮かんでいた。すでにシュート体制に入り飛び上がっていたのだから、熟考して決断する時間の猶予はなかった。自分にフィニッシャーとしての役割を任せてくれたのに、一瞬の迷いのままシュートを放ってしまった。
シュートを打ったあの場面、そしてあの瞬間の、シュートを打った時の人差し指と中指のこばわった感覚は、北信越大会が終わってから数か月経った今でも残っている。
他の多くの部活動に勤しんできた3年生たちと同じように、呉羽も12月頃から就職活動の準備を進めていた。いくつかの就職活動サイトに登録したり、紳士服販売店に行って目新しいスーツを購入した。就活用に新しく作った自分のメールアドレスには、就活サイトで新卒採用を予定している企業から自社をPRするメールが連日届くようになっていた。送り元は、誰もが知っているような有名企業から、「創業以来売上○倍!」「従業員が数年で何十名から何百名に!」というような急成長ぶりを謳う新興企業まで様々だ。
呉羽はそれらのメールの文面をいちおうざっと読んでいたが、果たして自分がどんな業界や仕事が向いているのかピンと来ていなかったので、読んだだけでその会社の詳しい情報を集めるような踏み込んだ行動は起こしていなかった。
行きたい会社に、やりたい仕事。そういった「就職活動の方向性」を定めるのは、すぐに出来上がるものではないと呉羽は感じていた。その一方で、社会人になったらこうありたい、と思える姿については、1つ明瞭なものがあった。
「やり切れるビジネスマンになる」
あの最後の試合で、自らの迷いで最後に点を取ることができなかったあの時の自分から、脱却したい。バスケットボールのコートから来年ビジネスの舞台に移ったら、何事にもやり切れる自分に変わりたい。就活の準備を始めたときからずっと、呉羽はそんな風に考えていた。
2月になり、ある就活サイトから「合同企業説明会」の案内が届いていた。多いものだと数百の会社が大規模展示場に集まり、就職活動をしている学生に向けて自社の求人に応募してもらえるようプレゼンを行うイベントである。会社の人事担当者から、自社の魅力や求める人物像を直接聞ける機会もあるとのことで、呉羽は住んでいるところから最も近い名古屋の説明会に参加することにした。
ここで、呉羽はある一風変わった社員がいる会社に出会うこととなる。
(つづく)
昨年末にバスケ部の役職の引継ぎも終わり、後輩たちによる新チームが始動した。後輩たちが企画してくれた「お疲れ様会」では、呉羽は自分の代では叶えられなかったインカレ出場を必ず手中に収めてほしいと、熱のこもったエールを後輩に捧げていた。
そう言って、自分の大学バスケ生活は一区切りをしたつもりなのに、心の片隅にもやが残る。
バスケ部には4年生になっても、卒業するまで籍は残すつもりだ。時々、後輩たちのサポートで練習に参加したり、大会の応援に行くことはできる。但し、主力選手としてチームを引っ張る役回りは、あの北信越大会で最後である。あの自ら放ったミドルシュートが外れた瞬間に、自らの大学バスケの表舞台にいる時間は終わりを告げたのだ。
自分は、あのシュートを「放ち切った」のだろうか。
シュートを打つ瞬間、目線はゴールリングをまっすぐ向いていた。だが、微かにゴール下の味方…フリーになった彼にパスを出せば、試合終了前のコンマ数秒の時点でぎりぎりゴールを決めてくれるのではないか。そんな想いが浮かんでいた。すでにシュート体制に入り飛び上がっていたのだから、熟考して決断する時間の猶予はなかった。自分にフィニッシャーとしての役割を任せてくれたのに、一瞬の迷いのままシュートを放ってしまった。
シュートを打ったあの場面、そしてあの瞬間の、シュートを打った時の人差し指と中指のこばわった感覚は、北信越大会が終わってから数か月経った今でも残っている。
他の多くの部活動に勤しんできた3年生たちと同じように、呉羽も12月頃から就職活動の準備を進めていた。いくつかの就職活動サイトに登録したり、紳士服販売店に行って目新しいスーツを購入した。就活用に新しく作った自分のメールアドレスには、就活サイトで新卒採用を予定している企業から自社をPRするメールが連日届くようになっていた。送り元は、誰もが知っているような有名企業から、「創業以来売上○倍!」「従業員が数年で何十名から何百名に!」というような急成長ぶりを謳う新興企業まで様々だ。
呉羽はそれらのメールの文面をいちおうざっと読んでいたが、果たして自分がどんな業界や仕事が向いているのかピンと来ていなかったので、読んだだけでその会社の詳しい情報を集めるような踏み込んだ行動は起こしていなかった。
行きたい会社に、やりたい仕事。そういった「就職活動の方向性」を定めるのは、すぐに出来上がるものではないと呉羽は感じていた。その一方で、社会人になったらこうありたい、と思える姿については、1つ明瞭なものがあった。
「やり切れるビジネスマンになる」
あの最後の試合で、自らの迷いで最後に点を取ることができなかったあの時の自分から、脱却したい。バスケットボールのコートから来年ビジネスの舞台に移ったら、何事にもやり切れる自分に変わりたい。就活の準備を始めたときからずっと、呉羽はそんな風に考えていた。
2月になり、ある就活サイトから「合同企業説明会」の案内が届いていた。多いものだと数百の会社が大規模展示場に集まり、就職活動をしている学生に向けて自社の求人に応募してもらえるようプレゼンを行うイベントである。会社の人事担当者から、自社の魅力や求める人物像を直接聞ける機会もあるとのことで、呉羽は住んでいるところから最も近い名古屋の説明会に参加することにした。
ここで、呉羽はある一風変わった社員がいる会社に出会うこととなる。
(つづく)