第32話 奏功と焦燥

文字数 2,032文字

「キャリアソウル 呉羽様 お世話になります。この度は瞬光工業様の求人情報を下さりありがとうございました。考えました結果、ぜひ応募させて頂きたいと思います。推薦のほどよろしくお願いします 井波晴彦」

前日に呉羽が時間をかけて調べあげ、求人紹介のメールを送った少ない登録者のうちの一人からの返信だった。呉羽は表情を変えることなく、一呼吸して返信メールを作成する。

「井波様 お世話になっております。この度はご返信ありがとうございました。さっそく推薦差し上げたいのですが、できれば事前に井波様とお話できればと思います。瞬光工業様の求人の不明点や推薦時の伝え方に関するご要望などを伺いたいです。ご都合の良い時間がありましたらお知らせくださいませ。何卒よろしくお願いします。 キャリアソウル 呉羽隆二」

さらにその返信は15分経たないうちに返ってきた。とてもレスポンスの良い方だと呉羽は思った。メールには、今晩か明日の夜なら時間があると書かれていた。両日とも仕事でキャリアソウルの近くに行く用事があるので、会って話すこともやぶさかでないという。呉羽はそれならばと、今晩キャリアソウルに来てもらい面談を行いたいと返事を返す。その返信も間髪入れずにあり、その時間に御社に伺いますと手短に書かれていた。

「どうだ、応募したい方はいらっしゃったか」

呉羽が井波との面談時間を確定するメールを送って間もなく、少し離れた席にいる小矢部が声をかけてきた。彼も後輩が初めて求人を獲得し、力を注いでいる瞬光工業の案件の進捗が気がかりになっているようだ。

「お一人、応募希望を頂いた方がいらっしゃいました。井波様という方で、40代のメーカー技術者の方です。実は今晩、こちらにお越し頂いてお会いする予定になっています」
「今朝ご本人に連絡をして、ご来社の約束までとりつけたのか。フットワークのよさそうな方だな。まあ、仕事が始まったばかりの時間帯でも、そんな連絡が素早くできてしまう方というのは、ちょっと不安ではあるが」
「まあ、その辺の仕事の忙しさとかはわかりませんが、とにかく一度お会いしてみます」
「おう、しっかり瞬光工業や求人のことを話してみな」

そう言うと、小矢部はパソコンに身体を向け、自らの仕事に取り掛かる。呉羽は声を掛けて頂いたことに少し嬉しくなった。そしてそのまま目線を左に移すと、黙々とキーボードを打つ速星の顔が目に入る。今朝出勤時におはようとだけ挨拶は交わしたものの、昨日の彼女とのやり取りがあってからは、正直声が掛けづらくなっていた。彼女が放った言葉通りに自分が見られていると思うと、ちょっぴり情けない気分にもなっていた。
どことなく気持ちが上がらないまま時間が過ぎ、夕方を迎えた。

「呉羽さん、井波様がお越しです」
「ありがとうございます。今伺います」

総務担当の社員が呉羽に声を掛け、呉羽はペンとメモ用紙を面談用のバインダーにはさみ、それをもって面談室に入室する。そこにいた男性は、今の職場のものであろう作業服を着て、椅子にどっしりもたれて座っていた。

「初めまして、キャリアソウルの呉羽と申します。本日はよろしくお願いします」
「井波と言います、よろしくどうも」

井波は緊張した素振りも見せず、明るい表情で微笑んで会釈する。呉羽は親しみやすそうな彼の人柄に、面談も話を弾ませられそうだと少し安堵した。二人は少しの間雑談をして、その後呉羽が瞬光工業の応募理由について尋ねると、井波はさも応募するのが当然のような表情で答えた。

「そりゃもちろん、この会社が魅力的に感じたからですよ。新しいことにどんどんチャレンジする会社らしいじゃないですか。そういう場所で働けるかどうかがエンジニアにとって一番大事なことですよ。縁ができそうなら、その機会を逃すのはもったいないですよ。あはは」
「確かに、歴史の長さや事業内容からは似つかわしくないと感じるほど、尖った個性がある会社だと思います」
「そうそう。求人票を見て、僕はおもしろそうだと思ったのよ。自社の技術を使ってフライパンを作ってるのなんて、ほんと個性的だよね」

求人票の内容が井波の琴線に触れたと思えたことに、呉羽は少しばかり安堵感を覚えた。昨日、求人案内のメールを送る前、瞬光工業を訪問中に得た情報を踏まえて、一部求人票の内容を改訂したのだった。主に会社概要を伝える項目の部分で、これまで同社が開発してきたユニークな製品や、それを開発しようとするに至った経緯、今後も新製品を積極的に作り出す方針であることなどを盛り込んだのだ。今回応募頂いたことは、それが奏功したと呉羽は思った。
しかし、次に井波が発した言葉に、呉羽はどきりとした。これも、新たに求人票に書き加えた内容に触れるものだったのだが。

「社長ってどんな人なんですか。『現在の社長が就任してから、より一層開発力に磨きをかける方針を立てています』って書いてあったもんですから。元は技術者の方なんですか?」

(つづく)

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登場人物紹介

呉羽隆二(くれはりゅうじ):転職エージェント「キャリアソウル」の新卒社員。地方大学のバスケ部に所属し、完全燃焼しきれない気持ちを抱えたまま就職活動を開始。就職説明会で出会ったキャリアソウルの人事マネージャー、石動の言葉に惹かれ、採用選考に応募、無事合格し入社することとなる。

石動利樹(いするぎとしき):「キャリアソウル」で人事部マネージャーを務めていた男性社員。人材紹介への想いは強く、社会や世界が変える影響力のあるサービスだと考えている。呉羽たち新入社員が入社した際、人事異動により呉羽が所属する第一営業部のマネージャーを務めることとなる。

速星玲奈(はやほしれいな):呉羽と同期で、「キャリアソウル」に入社した新卒社員。入社前より転職コンサルタントとして活躍する自信に溢れ、日本一のコンサルタントになることを目指している。呉羽と同じく第一営業部に配属される。

岩瀬ほのか(いわせほのか):呉羽と同期の「キャリアソウル」の新卒社員。あか抜けない感じが残るが明るい性格の持ち主。呉羽と同じく第一営業部に配属される。

小矢部一生(おやべいっせい):以前はメーカーで勤務していた転職コンサルタント。4年間第一営業部でエンジニアを中心とした人材紹介をしている。細身で長身の体躯が特徴。

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