第15話 1件の重み

文字数 2,084文字

「来週の月曜日に訪問するアポイントが取れました。墨田区にある金属加工メーカーです。ちょうど設計開発の部署で技術者を探したいとのことで、当社のサービスを積極的に提案し、申し込みを頂けるよう尽力いたします」

第一営業部のメンバーたちは、速星の報告を聞いて小さな拍手をする者もいれば、思ったよりも速いスピードでアポイントが取れたことに感嘆の表情を浮かべる者もいた。新卒一番乗りのアポイントを獲得した速星の右隣の席で、岩瀬は強い羨望の眼差しを向ける。ちょうど向かい側の席にいる呉羽は堂々と報告する速星の姿を見て、まだアポイントが取れていない自分自身に焦りが募る。
しかし程なくして、焦り以上に自分を奮い立たせる気持ちが芽生えた。速星はアポイント獲得の報告を終えるや否や、喜びに浸る間もなく着座し、次の電話を架け始めたのだ。このまま2件、3件とアポイントを取っていきそうな勢いに、このままでは成果の差が広がってしまう、負けたくないという想いが募っていった。

とはいえ、その後もひたすら電話を架けるも、相手企業の反応は『担当者不在』と『戻り時間不明』『取次ぎ拒否』の繰り返しだ。電話ごとに、若干セリフの言い回しを変える工夫はしたのだが、アポイントの獲得には繋がらない。やがて電話を架ける時間が2時間を超えてきたころ、電話を持つ呉羽の左上腕部に張りを感じた。電話を架けるだけであっても、こんなに何度も続けると、めったに使わない筋肉まで使うのだとはっきり理解できた。

その後20分近くの間で、他の先輩たちも続々とアポイントが取れた報告が上がってきた。そしてそこから間もなく、ぴょんと立ち上がった岩瀬が明るさ満点の声で部署内に響かせる。

「やりました、取れましたっ。町田市にある化学メーカーです。営業職のスタッフを募集しているみたいで、相手の人事の方は忙しそうな素振りでしたけど、短い時間でもいいので訪問のチャンスを下さいと頼み込んだら応じて頂きました。こういうのも、粘りって大事ですね」

岩瀬の屈託のない笑みに周囲の雰囲気はなごんでいくが、呉羽自身は再び焦りが募っていく。とうとう先輩方を含めた部署メンバーの中で、唯一アポイントが取れていない存在となってしまった。岩瀬がアポを取れた直後、呉羽が架けた電話は採用担当者にまで繋がり、求人も出しているとのことだったが、訪問を依頼すると『他の人材紹介会社を使っているので間に合っている』とのつれない返事だった。その瞬間、思わずため息を漏らしてしまい、それを電話の向こうで聞いていた採用担当者が苦笑するのが聞こえた。ほんの少しの沈黙の後、『じゃ、失礼します』との言葉を最後に、一方的に電話を切らされた。その最後の一言が胸に突き刺さり、電話機を掴む手の力が抜けていく。
それから間もなく、呉羽の横から力のこもった声が聞こえてきた。

「もう1件、アポイントが取れました。墨田区の自動車向けプラスチック部品を作っているメーカーです。生産技術の部署で欠員が出るとかで、急ぎで募集をかけたいそうです。先ほどアポイントが取れた会社と同じ日の訪問です」
速星のその言葉に、先ほどよりも大きな驚きの声が周囲から上がった。特に、岩瀬は目を見開きながら尋ねる。
「速星ちゃん凄い!ぽんぽんとアポイントを取っちゃうなんて、テレアポの才能あるんじゃない?羨ましい。ってか、アポを取るコツってなんかあるの?」
「ただ集中して繰り返し電話をかけ、自然体で話しているだけ」
「それだけ?」
「あと、相手のためになる話を持ち込んでいると信じるだけ」

信じる、か。
また、あの最後の試合がフラッシュバックする。自分を信じ切れなかった最後のシュートの場面が。
社会人になった第一歩目から立ち止まっていたら何も始まらない、あのときの自分と変わらなくなる、と思った。一緒にコンサルタントとしてのスタートを切った速星や岩瀬がやれて、自分にできないはずはない。そう思いなおして、呉羽は再び電話を架ける。

そこから何件か電話を架けた後、いかにも温厚で紳士そうな男性と電話がつながる。
「あなたは転職エージェントの人かい。まあ、うちも他にお付き合いしているところはあるけどねえ」
「ぜひ、弊社ともお付き合いさせてください。そのために短いお時間でも構いませんので弊社のサービスをお伝えさせて頂けないですか」
「まあ、でもこれ以上お使いする会社を増やすのもねえ。私もそんなに暇はしていないしねえ」

一瞬言葉に詰まるが、振り絞るように話をつなぐ。

「他の会社よりも、採用活動の内容によってはお力添えしやすいところもあると思います。御社のような採用活動に精通したコンサルタントが多いのも強みです。何より、私が1件の求人に全力を尽くして候補者を紹介するので、一度お話を伺う機会を頂きたいです」
「まあ・・・そこまでおっしゃるなら少しだけですが話を聞きましょうか」
「ありがとうございます。来週の月曜日あたりでお伺いできないでしょうか」
「・・・いいですよ。午前中なら時間はあるかな」

手汗がついた右手を握りしめる。やっと、アポイントがとれた。

(つづく)

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登場人物紹介

呉羽隆二(くれはりゅうじ):転職エージェント「キャリアソウル」の新卒社員。地方大学のバスケ部に所属し、完全燃焼しきれない気持ちを抱えたまま就職活動を開始。就職説明会で出会ったキャリアソウルの人事マネージャー、石動の言葉に惹かれ、採用選考に応募、無事合格し入社することとなる。

石動利樹(いするぎとしき):「キャリアソウル」で人事部マネージャーを務めていた男性社員。人材紹介への想いは強く、社会や世界が変える影響力のあるサービスだと考えている。呉羽たち新入社員が入社した際、人事異動により呉羽が所属する第一営業部のマネージャーを務めることとなる。

速星玲奈(はやほしれいな):呉羽と同期で、「キャリアソウル」に入社した新卒社員。入社前より転職コンサルタントとして活躍する自信に溢れ、日本一のコンサルタントになることを目指している。呉羽と同じく第一営業部に配属される。

岩瀬ほのか(いわせほのか):呉羽と同期の「キャリアソウル」の新卒社員。あか抜けない感じが残るが明るい性格の持ち主。呉羽と同じく第一営業部に配属される。

小矢部一生(おやべいっせい):以前はメーカーで勤務していた転職コンサルタント。4年間第一営業部でエンジニアを中心とした人材紹介をしている。細身で長身の体躯が特徴。

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