第37話 ふやけたパン

文字数 1,503文字

 昔からなんらかの理由で行方不明になり、不幸にもその方が人知れず亡くなった時、その方の魂が、ご自分の亡骸を発見してほしくて、様々な方法で誰かに知らせることがあると言います。

 その知らせを受け取った者は、最初は半信半疑ですが、もしやと思い、探すうちにその亡骸を本当に見つけることもあると聞きます。これは私が昔体験した、その「知らせ」のお話です。



   ふやけたパン

 

 若い頃、私は九州の小さな漁村で魚の人工ふ化と稚魚育成に従事していました。

 陸上施設での飼育は、ポンプを使って沖の海底からきれいな海水汲み上げが必然でしたので、従業員は潜水作業ができることが最低条件でした。

 

 ある日のこと。

「潜れる人間を探しているんじゃけど、協力お願いできんじゃろうか?」

 と、所属の漁恊からじきじきに電話がありました。

 聞けば、子供が釣り船から落ちて行方不明になってしまったとのこと。

 もちろん海上保安庁にも要請は出していますが、急を要することでしたので、救助員が来るまでの間、一人でも多く、潜れる人間に手伝ってほしいとのことでした。

 元々その村の人間でない我々も貴重な潜水要員として声が掛かり、急遽、私もウェットスーツに着替えて現場に直行しました。

 その日は、私と私の上司も仕事の手を止め、もちろん自主的ボランティアとして、後からやって来た保安庁のダイバー数十人と共に捜索活動に参加しました。

 長時間潜ると、減圧症と言う潜水病になる危険がありましたので、私たちはその制限時間いっぱいまで潜って探しました。

 しかしながら、その日はとうとう子供さんを見つけることはできませんでした。



 その釣り船に大人用のライフジャケットは備え付けてありましたが、小さな子供用のジャケットが用意されていなかったこと。その日、海は大変穏やかだったので、まあ大丈夫だろうと、サイズの合わない物を小さな子供に無理に着用させていなかった(当時はまだライフジャケット着用が徹底されていなかった)こと。そして父親が釣りに夢中になるあまりに子供から一瞬目を離してしまったことなどに加え、このあたりは潮の流れがけっこう強かったことなど、様々な悪条件が重なり、気付いた時にはすでに子供の姿はありませんでした。

 その後約1週間に渡り捜索活動が継続されましたが、残念ながら発見には至りませんでした。

 

 捜索打ち切りの数日後、私と上司が、陸から約50m沖の養殖筏で作業していた時のことです。

 一羽のトビが私たちの乗って来た船の上を通り過ぎた時、持っていた物を船のデッキにポトリと落として行きました。

 元々トビは養殖の餌のサバなどを狙って陸から近い筏によく飛来して来ました。

 そして理由はわかりませんが、せっかく掴んだ魚などをなぜか船のデッキの上にポトリと落として行く習性があります。

 その時も、また腐ったサバか何かを落として行ったと思い、イヤな気分で、近寄って見たところ、それは魚ではなく、真っ白くて、ふやけたパンみたいな塊でした。

 今でもはっきり覚えています。よく見ると小さな爪が付いていました。



  ――子供の手首。 

 

 私たちはすぐに警察に連絡しました。

 そして、そこから1キロほど離れた人の滅多に行かない小さな海岸に、その亡骸はひっそりと打ち上げられていたらしいです。

 しかしなぜトビは、わざわざ私の乗るボートにそのふやけたパンを運んできたのか?

 いっしょに船にいた上司の言葉が今も印象に残っています。



 ――おおよ、まるで俺らに知らせに来たようじゃの……。



                

                                    了
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