第115話 続・墓仕舞いの夜 

文字数 2,235文字

 前に、うちの佐渡の田舎で墓越こしするお話を書きました。これはその続きです。墓越こし当日に私が体験したお話です。



  続・墓仕舞いの夜 

 

 お隣さんが立派な緋鯉を持って来てくれたその日の午前10時過ぎに、いよいよ墓越こしが始まった。

 当時まだ9才だった私の足で歩いても、お墓まではそう遠くなかった。ただけっこう急な登り坂がだらだらと続いていたので、とても喉が渇いたことを覚えている。

 その場所は、都会生まれの私が想像していた墓地ではなかった。鬱蒼とした杉の木立の林の中、苔むした数十基の墓石が不規則に点在している。

「たぶんこれじゃと思うんじゃが、兄貴がおらんので、坊さんが来んとはっきりわからんわ。もう何十年も来てないからなあ」

 伯父が言う。自分の両親の墓ではないのか? と思ったが、幼くしてこの地を離れた伯父には遠い記憶なのだろう。うちの親族たちの過去はどうも複雑なようだ。

 季節は八月。登り坂を少し歩いただけで汗が額から噴き出しそうな暑さだったが、その林の中はひんやりと涼しくて、強い土の湿った匂いがしている。

「坊さんも業者もまだ来とらん。ちょっと待つかいの」

 伯父さんが言った。一息つくと、辺りは静寂を取り戻した。ただ、蝉しぐれが降り注いでいるように聞こえていた。その時、どこからか蝉の声に交じって、美しい鳥の鳴き声が耳に届き出した。

「坊、あの鳴き声、聞いたことあるか?」

 伯父が私に問いかける。それが蝉しぐれではないことだとすぐにわかった。

「ないで」

「あれは、カジカじゃ」

「カジカって何?」

「蛙よ」

「え? 鳥と違うの?」

「そこの林を抜けたとこに、沢があるよ」

 伯父は杉木立の向こうを指差して言った。私はそれが鳥の鳴き声だとばかり思っていた。蛙と聞くと俄然興味が湧き出す。そこで母に、蛙、見て来てもいいか? と聞くと、あまり時間がないから遠くへ行ってはいけないと言われたが、都会育ち9才の男の子の自然への興味を抑えることなどできない。

 皆が思い思いに腰を下ろし、休憩する中、一人私は水を得た魚のように林の奥へと駆け出した。道なき道を泥土にまみれて突き進むと、突然、林が切れて崖に出た。

 崖の縁まで行って下を見ると、高さは10mぐらいだろうか、下には澄んだ小川が流れていた。カジカはそこから聞こえている。でも降りる道はない。

 仕方なく、川に沿ってしばらく草むらの中を歩くと再び開けた場所に出た。そこからも川は見えていたが、やはりまだ結構な高さがある。しかしよく見ると河原までの急峻な崖の斜面には、とても狭いけれど、身軽な子供の自分なら、なんとか降りられそうな道が付いていた。でも掴まるようなところもなく、足を滑らせたら河原まで落ちることは小さな子供の自分にもわかった。落ちたらただでは済まなそうだ。

 私は降りるべきか戻るべきか悩んでいた。美しい声で鳴くカジカがすぐそこにいるはずだ。澄み切った水は、さらさらと心地よい音を響かせて流れていた。あの澄んだ水に手を付けるとどれほど冷たいのだろうか。抑えきれない気持ちが、私に一歩踏み出させる。と、その時だった

 ――――行ったらいけんちゃ!

 確かに聞こえた。男の声だった。

 私は急に怖くなって今来た道を一目散に走った。ずいぶん遠くまで来ていたようで、途中で道がわからなくなった。立ち止まり、辺りを見回す。林の中は、蝉の声や水の音や、羽虫の飛ぶ音、そんな様々な音で溢れているが、その中で、たった一つだけ、聞き慣れた音が耳に入った。それは私の中では都会の音に違いない。その機械の唸る音だけが突出して聞こえている。私はその都会の音に向かって再び走り出した。

「こら、どこ行ってたんや。もう墓お越し始まってるで」

 母が言う。見ればおもちゃみたいなショベルカーが土を掘り返していた。黄色い爪がゆっくりと赤い土に突き刺さる。深く埋まっているので、初めのうちは機械で掘り起こすらしい。

 ああ、この音だったのかと思った。皆が一心に見守る中、ショベルカーは丁寧に掘り進む。ある程度掘った時に伯父が声を掛けた。

「よし、その辺でよかろう」

 伯父が言うと、男たちが手にスコップを持ち、深さ1mぐらいの穴に入ってさらに掘り返した。なにせ戦争前に埋めたものらしく、それらしいものはなかなか出て来なかった。

 しばらく男たちが慎重に掘り返し、ようやく木片や、あきらかに人工物であるような物が出始めた。それらを穴の上にいるお坊さんに見せる。お坊さんはそれを手に取り、そのたびに首を振った。  

 そしてさらに掘ると、それが骨であるかどうかもわからない薄汚れた小さな破片が数点見つかった。

「ああ、それは腿ふとももの骨かもしれん」

 坊さんが言った。私は学校の骨格標本みたいなやつが出て来ると期待していたので随分とがっかりした。

 と、その時、突然、どこかから一匹の油蝉が飛んで来て、墓のすぐ後ろの木に留ったかと思ったら、大きな声で鳴き始めた。

 私が近付いて、木に手を伸ばそうとすると、お坊さんはにっこり笑って、「おお、お帰りかの」と、一言そう言うや、数珠を手に、読経を始めた。その場に居る皆が、手を合わせていっしょに拝み始めた。

 「ただの蝉やん」

 私が言うと、母は首を振りながら、「おじいちゃん」と一言だけ言った。

 今思うと、あの崖で聞こえた男の声は、祖父だったのかもしれない。そんな気がしている。

              

                     了
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