第61話 霊道②――ナナちゃん奇譚より

文字数 2,682文字

 霊道②――ナナちゃん奇譚より 

 少し調べてみたくなった。やはり私の頭にはあの「震災」の二文字がちらちらと見え隠れしていたからだ。

 最初に、このマンションの建つ前の地目(ちもく)に注目してみた。 

 「地目」とは、不動産を登記するに当たっての土地の用途のことで、農地、宅地、山林、道路など細かく分けられている。私は賃貸住宅業を副業としている。いわゆる大家さんである。だからそこら辺の知識は多少なりとも持ち合わせている。と言うことで、まず法務局で少し調べてみることにした。

 わかったことは、震災以前、この辺り一帯は古い木造家屋の密集する住宅地であったこと。

 道も狭く、入り組んでいたために、震災でほとんどの家屋が大きな被害を受けてその多くが取り壊されたこと。そして震災後は、その教訓を生かして、道幅を広げて、できるだけ碁盤目になるように整備し、災害に対処できるように街全体を造り変えたことがわかった。

 つまりこのマンションは、古い木造家屋が密集していた跡地に建てられている。

 私は、もしかしたら過去に何か因縁があったのでは? と考えていた。あれだけ大きな地震だったのでこの街でもあちこちで亡くなった方はいらっしゃっただろうが、調べた限り、この場所でそれらしき犠牲者がいたと言う事実は無かった。

 この場所でないとすれば、この近くかもしれない。そう考えて私は、ナナちゃんにその女性の似顔絵を描いてもらうことにした。このご時世でたいへんアナログな方法ではあるが、聞き込みは有効な手段だ。

「あたしあんまり絵うまくないけど……」

 そう言いつつもナナちゃん、けっこう嬉しそうに描いてくれた。

 本人が言うほど下手じゃない。いや、上手い。上手すぎる。デザインの勉強でもしていたのかと聞けば、前職はメイクアップアーティストだと言うではないか。そりゃあ上手いわけだ。

 
 さて、簡単にその特徴を書いてみると、身長は女性が通過した時に壁のカレンダーの上の端とほぼ同じ高さだったので、160センチぐらいか。スリムな体型。髪はセミロングのストレートヘアを後ろで一つに纏めている。服は少しベージュがかったフリース素材のジャケットで胸にmontbellのロゴ。下はジーンズ姿。全体的にアクティブなスタイル。顔は目鼻立ちのはっきりした、いわゆる美人系。年はおそらく前述の通り、30代前後かと思われる。まあ少なくとも、現代人であることは間違いなさそうだった。昔の人ならモンベルは着ていないだろう。

「よくこんなに詳しく描けたな」と言えば、「そらそやろ、毎日のようにあたしを踏みつけて行くんやから」 と答える。まあそうだろう。実際に重くはないにしても良い気はしないだろう。

 

 そして私とナナちゃんはそれをカラーコピーして、特に情報を持っていそうな高齢者を中心にご近所を回ってみた。それが幽霊の絵であることはおくびにも出さずに。

 ところが、これだけはっきりした特徴がわかっているにもかかわらず、「いやあ申し訳ないけどわかりません」と皆、口をそろえて言う。捜査? は暗礁に乗り上げてしまった。

 と言うより、実際に存在したのか、しないのか、私は見たわけではない。そんな曖昧な人物を探しているのだから、当然と言えば当然かもしれない。 

 ナナちゃんは、盛り塩と観葉植物で、あれからぱたりと出なくなったと言うし、今度出たらまたその時に考えようか、と、私とナナちゃんはマンションに戻り、お茶を飲みながらそんな話をしていた時だった。

「ただいま~ママ、何かおやつないの?」

 今年小学3年になる娘さんが学校から帰って来た。

「テーブルの上に天さんからもらったシュークリームがあるよ」

「やった~!!」

 私はふと時計を見る。ああ、もうそんな時間か。結局、これと言った成果はなかった。まあやるだけはやったし、そう思い、私はゆっくり立ち上がった。

「じゃあ俺、そろそろ」

「天さん、ごめんな平日やのにわざわざ付き合ってもらって」

 と、その時、娘さんの声が聞えた。



「ママ、この絵、ママが描いたの?」

「そうやで」

 そう言えば、似顔絵をテーブルの上に置きっぱなしにしていたことを忘れていた。



「ママ、これ、雄太君のママやんな」

「え?」 

 私とナナちゃんは顔を見合わせる。

「しーちゃん、今なんて?」

「え? 幼稚園行ってた雄太君のママやろ?」

「ああ、そうやわ。思い出した。あたしも幼稚園で見かけたことあったわ。雄太君のお母さんや。どっかで何となく見たような気がしてたけど、すっかり忘れてたんや」

 その時、ナナちゃんの顔色が一気に蒼ざめた。

「どうしたん?」

「確か、雄太君のお母さん、自転車で雄太君を幼稚園にお迎えに行く途中に、事故で……」

 

 なるほど、ようやくわかった。場所が場所だけに私の頭から震災の二文字が離れなかったが、実は、震災は関係なかった。いや、道路も震災でがらりと変わったから、まったく関係はないこともないのかもしれないが……。

 兎も角、ナナちゃんのお昼寝時刻、ちょうど、幼稚園のお迎えの時間だったのだろう。

「七菜さん、その事故現場って、わかる?」

「うん。その時けっこう話題になってたからな」 

「ええ、そんな大事なことなんで忘れてるかな。今から行くで。そこ」

「わかった。あたしお花買うわ」



 事故現場はナナちゃんのマンションから歩いて10分ほどのところにあった。

 着いて驚いたが、そこは交差点でもなんでもない、何の変哲もない広い直線道路だった。歩道もある。なぜ、こんなところで死亡事故が? ただ、おそらくそれまであった道路を震災復興後、大きく拡張したのだろう。交通量は少なく、通り過ぎて行く車はこんな市街地なのにけっこうなスピードを出していた。

 ふと対向車線を見て私は理解した。路肩に駐車車両が停まっていた。

 自転車で歩道ではなく、路側帯を走って来た雄太君のママは、お迎えの時間に間に合わそうと、かなり慌てていたに違いない。駐車車両をよけようと、後ろもよく見ないで車道にはみ出したのだろう。そこへ車が猛スピードで走って来た。そのシーンがまるで動画再生するように浮かんだ。

 道が良くなると、良いことばかりではないかもしれない。心に過信が生まれることもあるのだと思った。

 「雄太君のお母さん、早く幼稚園へ、雄太君のお迎えに行きたかったんやね」

 「うん。可哀そうやな」


  ――もう、お迎えに行かなくてもいいよ。どうぞ、安らかに眠ってください。


  手を合わすナナちゃんの頬に一筋の涙が光っていた。



                                了
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