第64話 天井曼荼羅絵図

文字数 2,316文字

 神社やお寺、パワースポットと呼ばれている場所もそう。人によって、その場所が、合う、合わない、などと言うことをよく耳にする。

 それは何かご利益があるとか障りがあるとかそう言う意味ではない。

 私も子供の頃から、今もずっとそれは変わらず、プラスとマイナスがはっきりしている。

 マイナスの場合には、ある特定の神社やお寺へ行くと、急に体が震えたり、気が遠のいたり、もっとひどい時には、その鳥居すら怖くてくぐれなかったりする。

 逆にプラスの場合は、その境内に入った途端にまるで神秘的な力を授かったように、ふわっと体が軽くなり、お腹の底から力が湧き出て来る。

 だからずっと、神仏の違いによって合う、合わないがあるのかと思っていた。

 確かにそれもあるに違いないとは思う。

 でも、実はそれだけではない。なるほどと思った、若い頃の体験を一つ書いてみたいと思う。

 

  天井曼荼羅絵図



 前述の通り、私はある特定の神社仏閣が大いに苦手だ。

 お寺で今までにこれはアカンと思った最恐の場所が、なんと聖地である高野山だった。かつて高野山の古いお墓のたくさん並んだところで一気に気分が悪くなって歩けなくなってしまった。それと鳥居恐怖症、後は狛犬も怖い。お稲荷さんの入り口に鎮座するお狐さまは芯から怖い。



 さて、まだ私が20代だった頃に、会社の社員旅行で北陸を旅したことがあった。

 その時に初めて私は福井の永平寺を訪れた。

 あまり知識はなく、禅宗ではたいへん有名なお寺であることぐらいしか知らなかった。

 バスツアーだったので、ここへ来るまでに車内はすでに宴会状態。酔っぱらって大声でカラオケを歌いまくる社員の陰で私は一人、窓の外の景色をじっと眺めていた。うるさいので早く着いてほしいと思っていた。そしてバスが永平寺の駐車場に到着し、皆わいわいとバスを降りる。

 私も皆に続いて、後の方にバスを降りようとしたが、なぜか胸騒ぎがする。そして当時お付き合いしていた女性に後押しされるような形で、私はバスから一歩地面に付いた、その時、クラっと一瞬めまいがした。

 ――ああ、これはまたか……と危惧していたが、一人バスに残るわけにも行かず、仕方なくいっしょに行くことにした。

 山門への石段を登る時に、バスでいい気分に酔っぱらった会社の人たちが大声でしゃべっている。しかしまったく私の耳には入らないし、話しかけられてもうんうんとしか答えることができなかった。添乗員が何かガイドをしていたが、それもまったく耳に入らない。きっとノリの悪い若者だと思われただろう。でも本当に気分が悪かったのだから仕方がない。

 その時、お付き合いしていた女性が私の異変に気付き「バスで酔った? 顔、真っ青やけど大丈夫?」と心配してくれたが、その時の私は、答え返す余裕もなく、とにかく歩くのがやっとの状態だった。 

 そのうち、頭痛までしだして、肩も首も、いや、全身が何とも言えないほど重だるく感じるようになる。そして山門に着いた時点で、誰かが何かをしゃべっている。あれはたぶん添乗員か。たぶん注意事項ではなかったか。その女性の添乗員の声は、まるで壊れたスピーカーみたいに酷く籠って高音がところどころ割れて何を言っているのかまったくわからなかった。

 

 「ああこれはもう無理だ……」



 社員旅行で自分一人単独行動することは大変申し訳ないけれど、バスで休んでいてもいいかと上司に聞いたけれども、なんと、バスは駐車場からすでに離れていて、皆が見学を終えて帰る時間にならないと戻って来ないと言う。

 とりあえず、中の広間があるからそこで休んだらいいと言われる。そして私は、結局、半分酔っぱらっているような連中にノリノリで肩を担がれ、動かない足を無理やり動かして、中へと入った。

 そこからはもうよく覚えていない。



 ふと見ると、天井に、たくさんの美しい絵画が見えた。私は仰向けに横になっていた。

 後から聞けば、230枚の天井曼荼羅絵図だったらしい。

 見ているうちに、花や仏様や動物など、様々な絵が、まるで私の頭の中に降って落ちて来るような感覚に囚われ、それがぐるぐると頭の中を駆け回る。どこかで私を呼ぶ声が聞えていた。

 そしてとうとう私は気を失ってしまった。

 

 

 お経が聞こえていた。お香の匂いがする。

 ふと気付けば、一人の僧侶が、寝ている私の枕元に座り、読経していた。

「ここは?」

「気がつかれましたか」

 僧侶が言う。横には、私を心配そうに見る、彼女の顔があった。

「あんた、大広間で気を失ったんや。それでみんなでここへ運んで来たんや」

「僕は一体?」

「もう大丈夫。ここへ来る時にどうも……者どもを連れて来られたようです」

「……を連れて来られた?」

 

 ――そう、不浄の者どもを……。

 

 その僧が言うには、こう言った寺の周りには成仏したい不浄霊がたくさんたくさん集まって来るけれどもそいつらは決して中へは入れない。

 そこへ私みたいな体質的に憑依しやすそうな人がやって来ると、その人にくっ付いて中へ入ろうとするのだそうだ。

 そう聞いて、私は長年、不思議に思っていたことがストンと胸に落ちた気がした。

 つまり、最も恐れていた高野山も、まさにそれだし、大きな鳥居のある神社でその鳥居が怖くてくぐれないことも、入り口で私を睨みつけるお稲荷さんを見て逃げ出したくなることも、その理由がわかった気がした



「もう一度、観覧されますか?」

「いいえ、今回はやめておきます」

 僧侶は頷いた。

「あんた、あんな素晴らしいものを見られないなんて不幸やな」

 彼女が私に笑いながら言った。まさしくだ。



                               了

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