第70話 酒の飲めない

文字数 1,790文字

 自慢ではないが私はこの年になるまで、ほとんど、そしてこれからもおそらく死ぬまで、アルコールを口にすることはないだろう。

 と言うのも私はアルコールに対してとことん弱いのだ。いや、もうアレルギーと言ってもいいだろう。ともすれば、アルコール消毒のあの匂いすらもダメだ。

 もっと言うなら、酒粕を焼いた匂いもダメだったし、かす汁ももちろんダメだ。

 昔、友人たちが集まってチーズフォンデュパーティをやったことがあったが、途中で気を失った。 その時の皆の驚き様ったらなかった。狭い室内でアルコールを熱して気化させるのだから当然だった。

 しかし、私の一族は、、親兄弟親戚、果てはご先祖様に至るまで、皆恐ろしく酒が強い。

 その中にあって私はまるで突然変異でもしたのではないかと思えるほどだ。飲めなくて悔しい思いをしたこともあった。



  酒の飲めない



 さて、いつも昔のことばかりで申し訳ないが、今から40年近く前の話になる。

 大学に入学したばかりの頃だった。私の入った学部は理系で、しかも農学部だったので、学生は圧倒的に男子が多かった。そして私は、ある体育系の部活に入部した。

 昔の大学の体育会系の部活は、まあどこでも上下の規律は恐ろしく絶対的な物であった。

 もちろん私の所属した部活でも一年生はほとんど奴隷も同然の扱いであった。

 

 ――そして、もちろん、皆、阿呆のように酒を飲む。

 だからと言って勉強はしないでもいいかと言えばそうではなく、皆真剣に学び、そして大いに飲んだ。もちろん皆貧乏学生だったので、いつも下宿の部屋で、サントリーのレッドか、良くてホワイトを味もわからずにガブガブ飲んでいた。飲めない私はいつも介抱役だ。

 さて、部活である。

 当然ながら新入生はその洗礼を受ける。ずばり、新入生歓迎コンパ(略して新歓コンパ)だ。

 もちろん私はその時点まで、未成年で高校を出たばかりだったので、酒を飲む機会はなかった。あ、いや、それは嘘だ。本当は17才の正月に親戚一同が集まった時に、私も屠蘇を勧められて一口だけ試したことはあった。しかし、たった一口で記憶がなくなってしまったので、それ以来身の危険を感じて酒は遠ざけて来た。

 しかし、前述の先輩は絶対の世界である。新歓コンパでは、目的は新入生が全員潰れることにある。今なら犯罪行為である。しかし当時は、吐くまで飲まされて、吐いても飲まされて、完全に意識がなくなるまでお許しをいただくことはなかった。

 で、私には一口でも命懸けだと言っても過言ではない。

 しかしその時代にそのような泣き言が通用するわけもなく、結局なんと、ビールをコップ三杯も飲まされたところで意識が遠のいて行った。

 アルコールをまったく分解できない私にとってコップ三杯のビールはコップ三杯の猛毒に等しい。

 「ヤバいでこいつ、脈拍が弱って来た」「あかん救急車や」と言う声が遠くで聞こえていた。



 おそらく夢だろうと思う。9才の時に亡くなった父が出て来た。ベッドに横たわる私の横で父は私をじっと見つめている。これはいよいよお迎えか? と思った時、父が私に言った。

「大丈夫か? もう酒は飲むな、お前は酒を飲めんようになってる」

「飲めんようになってる? それどういうこと?」

「母ちゃんが、毎日毎日ご先祖さんに、どうぞ息子を酒の飲めへん体にしてください、と祈ってたんや」

「ええ? なんでなん? それただの嫌がらせやんか。人生損するで」

「アホ、よう聞け。お前の親戚見てみ。母ちゃんの弟は、アル中で酒乱、さんざん嫁を苦しめて最後は施設に入れられた。お祖父ちゃんもアル中、兄は、やっぱりこれもアル中で、肝硬変の合併症で重度の糖尿で両下肢切断や、ほんでワシは肝臓癌。な、ほかにも一族郎党皆、酒で人生棒に振った奴が山ほどおる。うちはワシも母ちゃんのとこも両親とも酒で呪われた家系なんや」

「それで、僕だけはそうならんように?」

「せや。お母ちゃんに感謝せえ。毎日仏さんとご先祖さんにお願いしてくれてたんや。せやからこれに懲りてもう飲むな! わかったな。ワシみたいに早死にするぞ」



 目覚めると酷い頭痛がしていた。すぐに気持ちが悪くなって吐いた。何度も吐きながら、もう絶対に誰がなんと言おうと、たとえ梅酒でも飲まないと硬く心に思った。母に感謝しつつ。



                               了

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