第31話 小さなお地蔵さん 

文字数 2,733文字

   小さなお地蔵さん 



  もう今から五十年以上も昔、私がまだ幼かった頃のこと。

  その頃私は、いつも同じ夢にずっと悩まされていた。

  

  ――そこはとても美しい緑の丘だった。

 

 赤や黄色の原色の花が咲き乱れた丘で、たくさんの子供たちが楽しそうに遊んでいる。

 大人はいない。一見そこはまるで子供の楽園だった。賑やかな子供の笑い声があちらこちらから聞こえていた。

 

 と、その次の瞬間、それまで聞こえていた楽しそうな笑い声はピタリと止み、突然、ゴーッと言う凄まじい轟音と共に、窓も扉もないこげ茶色の錆びた鉄の塊のような巨大な列車がどこからか現れて、子供たちも花も、そのすべてを踏み潰して通り過ぎて行く。

 そして世界は暗黒に支配される。



  しばらくすると、再び明るい光が世界を満たし、何もなかったようにきれいな花畑と子供たちが現れ、笑い声が聞こえる元の楽園に戻っていた。私もみんなと同じようにその楽園で遊んでいる。

 そして次の瞬間、再びゴーッと言う凄まじい轟音と共に、窓も扉もないこげ茶色の錆びた鉄の塊のような巨大な列車がどこからか現れて、子供たちも花も、そのすべてを踏み潰して通り過ぎて行く。

 そして世界は暗黒に支配される。

 

 光と闇、笑い声と叫びを数えきれないほど、何度も何度も繰り返す。

 巨大な鉄の塊にぐちゃぐちゃに轢かれているのに、不思議と痛みはない。ただ、とても苦しかった。

 いつもそいつは突然ににやって来て、すべてを踏み潰して行く。いつ来るかわからない。でも必ずやって来る。私はそのこげ茶色の列車が怖くて仕方がなかった。



 どういう基準なのかはわからないけれど、そこにいる大勢の子供たちは皆、10人ぐらいのグループに分けられていた。緑の丘で、縄跳びをしたり、お花を摘んだり、列車がやって来る瞬間まで、皆楽しく遊んでいた。

 私のいたグループもやはり男女合わせて10人ぐらい。下は4才から上は10才ぐらいまで。

 その中で私が一番年下だったように思う。一番年長のリーダーは、赤いワンピースを着た、おかっぱ頭の女子だった。

 列車がやって来るまでの間、その年長の女子が私たちのグループを仕切っていた。

 その女子は、私にはいじわるだった。私はよくその女子にいじめられた。

 体格の違いをいいことに、彼女は私の服の襟の後ろを掴んで、「ほら、ほぉら」と揺らして私をいじめた。

 そんなことをしていてもすぐに焦げ茶色の列車がやって来て、すべてを踏みつぶして行くというのに、彼女は僅かな時間でも私をいじめて楽しんでいた。



 ある時、皆で縄跳びをしようと言うことになった。私も縄跳びがしたかった。

 それでその女子に、私も縄跳びに入れてくれるように頼んだ。けれどその女子は、私にはまだ縄跳びは無理だと仲間に入れてくれなかった。

 それで仕方なく、グループを少し外れたところで私は、一人びくびくしながら花を摘んでいた。

 

 私の一番仲の良かった子は、少し年上の男の子だった。男の子なのに、まつ毛が長く、二重瞼のまるで女の子みたいなかわいい男の子だった。

 ある時、僕が仲間に入れてもらえず、少し離れているとその男の子はこっそりやって来て、丘の下を指差して、「お前はまだ小さい。お前なら誰にも知られることなく逃げることがきっとできる」と言う。その子は、名前をハジメと言った。

「ハジメ君は来ないの?」

「ああ、僕はもうここからは逃げられない。お前はまだここへ来て浅い。きっと逃げられる。だから逃げろ」

 女子のリーダーは、縄をぐるぐる回している。まだこちらには気が付いていない。

「今だ、さっさと行け!」

 と、次の瞬間。

「あなたたちどこへ行くの?」

 リーダーがこちらに気付いた。

「逃げろ! 早く!」

 そう言ってハジメ君は私を突き飛ばした。

 私はあっという間に丘の斜面を転がり落ちる。

 その時、大音響と共に錆びついた巨大な列車やって来た。そして丘の上に居る子供たちをすべて踏み潰す。逃がしてくれたハジメ君も、私をいじめる女子もすべてが闇に包まれる。

 ただ悲鳴だけが私の耳に届いた。私一人だけが助かった。

 

 次の瞬間、私は目覚めた。天井のナツメ球がわびしい光を落としていた。

 その夢が一体何を意味するのかその時の私にはさっぱりわからず、ただ繰り返される恐怖と嫌悪感だけが五才にも満たない私を酷く疲れさせていた。

 そしてある日、悪夢から目覚めた私は汗だくで横の白壁を見た瞬間、大きな白壁一面「血」と言う朱で書かれた文字が私の目に飛び込んで来た。

 その大きく太く赤い筆文字からはやはり赤い血が滴っていた。私はあまりの恐怖に、階下へ慌てて降り、母に泣きながらそのことを話したら、母はいっしょに寝室に戻ってくれたけれど、壁は何も変わったところはなかった。



 私がそんな筈はないと、母の方を見た時、母の肩に小さな男の子がぎゅっと引っ付いていた。

 まつ毛の長い女の子みたいな男の子だった。母はその子をくっ付けたまま、私を見てにこにこ笑っていた。

 「大丈夫よ」と言ったが、私はその男の子が気になってそれどころではなかった。

 後に、母が私を出産しようとした時、私は仮死状態で生まれ、母自身も出血多量で何日も生死の境をさまよっていたことを知らされた。無事に生まれたことが奇跡的であったらしい。

 と言うことは、頻繁に見るあの悪夢は、あれは私の生まれた時の記憶なのではないだろうか。

 あの緑の丘とお花畑は、賽の河原ではなかったか。そして子供たちが積み上げた石を、鬼が崩しにやって来る。錆びついた列車で……。

 では、私を助けるために突き飛ばした男の子は?

 

 お盆、正月、お彼岸には必ず私は墓を参る。

 これは私が小さい頃からの習慣だった。幼い頃はわけもわからず、親に連れて来られてお参りしていた。親が亡くなった今でもその習慣は続いている。

 さて、うちのお墓には大きな先祖代々の墓石の横に、小さなお地蔵様がお祀りされている。

 お地蔵さまは、いつもにこにこしながら私を見ているような気がしていた。

 とてもやさしい笑顔のお地蔵様だった。

 幼い頃私は、墓に来るたび、それが何なのかずっとわからずに手を合わせていた。

 そしてある時、母が私に言った。



 ――あんたにはな、本当はお兄ちゃんがおったんや……。



 残念なことに流産してしまったのだそうだ。

 しかし、母に聞いたところ、兄の名前はすでに決まっていた。

「肇」と言うのだそうだ。

 私は亡くなった兄だとは知らずにずっと手を合わせ続けていた。そしてこれからもそれは変わらない。お墓を参る時には、必ず彼にお礼を言う。兄はもう生まれ変わっただろうか。
                              了
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