第16話 情念の強さについて

文字数 3,134文字

  情念の強さについて  

                     



 私は幼いころからちょっと変わった男の子だった。

 たとえば頻繁に事故のシーンに遭遇するし、ちょくちょく見かけるごく普通に見える人たちが、実は僕だけにしか見えないモノだったりした。でもこれは大きくなってから人に指摘されてようやくわかったことで、幼い頃はそれが当たり前だとずっと思っていた。  

 それからほぼ毎日、とても現実的な夢を見る。ただ現実的な世界にいるはずなのに、どうしても何かどこかが明確に矛盾している。それに気付いたとき、それが夢であるとわかる。

 心理学ではそれを明晰夢と言うらしい。そしてその明晰夢を見るとかなりの確率で金縛りが起きる。

 

 はっきりと時間はわからないけれど、おそらく夜明け近くではなかったか。

 天井のシミがぼんやりと見えるが部屋はまだ薄暗い。

 と、その時、ガラガラっと、扉が開く音がはっきりと聞こえた。

 二階の寝室で寝ているので、たぶんその音は階下の玄関扉の開く音に違いない。

 こんな夜明けに誰だろう。いや、おかしい。うちの玄関は、私が子供の頃に引き戸から開き扉に改装したはずだ。  

 ――ああ、そうか。これは夢だ……。

 そう思った次の瞬間、とんとんとんとん、と階段を昇る足音が聞こえた。

 間違いなく誰かがこの部屋に向かっている。

 足音は寝室の前で止まった。来る! そう思った途端に、どすんと全身にのしかかるすごい重量。息もできない。またいつもの金縛りがやって来た。

 いや、今回は少し様子が違う。いつもなら、明らかに厭な気配を感じるのに、今日は違う。ゆっくり横を見る。なんと、体が動く。

 女だ。ほっそりした色白の和服姿の女性がこちらを見ていた。年のころなら四十前後だろうか。細面のとてもきれいな人だ。しかし、彼女の目を見たとき、私はとても苦しくなった。

深い憂いを秘めたその目には大粒の涙が溢れていた。私は彼女を知っている。



 私の脳裏に、遠い日の記憶が鮮やかに蘇った。

「敬子ちゃん?」 

 彼女はうなずき、物言わぬまま、ずっとこちらを優しく見ていた。私は体を起こし、ゆっくり彼女を抱きしめた。そうせずにはいられなかった。彼女の背中がかすかに震えていた。しばらく抱きしめていると、彼女の震えは治まり、やがて何事もなかったようにすうっと消えた。

 そして私はいつものベッドで目覚めた。やはり明晰夢だった。

 カーテン越しに窓の外がゆっくりと白み出していた。



 冷静に考えた。間違いない、彼女は岩井敬子だ。今から二十年前、私は四国地方を旅しているときに、彼女に出会った。

 私と岩井敬子は、松山のユースホステルで出会い、すぐに意気投合して、それから何日間かをいっしょに過ごした。私たち二人は松山を基点にリュックを背負って石鎚山に登ったり、温泉に入ったり、あるいは仁淀川の水で遊んだり、それは本当に楽しい時間だった。  

 当時私は二十五才、彼女は二十才。

 私には五才年下の彼女が可愛い妹みたいに思えた。でも彼女は私を兄のようだとは思っていなかった。

 そして若い二人の距離が縮まるのにたいした時間はかからなかった。私に下心がなかったと言えば嘘になる。しかしこれだけははっきりと言える。私と敬子の間には、そんなやましい関係などさらさらなく、あの時の二人は、ただ純粋に旅を楽しんでいた。

 そして、別れの時はやって来た。私は松山から当時住んでいた大分へ船で向かい、彼女は電車で神戸への帰路につくことになった。彼女はわざわざ八幡浜のフェリー乗り場まで僕を見送りに来てくれた。乗船前に私と彼女は堅い握手を交わし、お互い再会を誓い合って別れた。私は別府行きのフェリーの甲板から、彼女の姿が見えなくなるまでずっと見ていた。

 今でも岸壁で手を振り続ける彼女の姿が脳裏に焼きついて離れない。  

 けれど私たちはそれから二度と会うことはなかった。実は当時私には結婚を誓い合った彼女がいたからだ。別に敬子を騙すつもりではなかったが、結局最後まで切り出せなかった。今思えば酷いことをしてしまった。

 

 ――それから二十年。

 私はもうほとんど彼女を思い出すこともなくなっていた。なのになぜ彼女はやって来たのか? どうしても気になったので、物置の隅に片付けてあった、あの旅の思い出のいっぱい詰まったダンボール箱を引っ張り出して開けて見た。ユースホステルのスタンプがいっぱい押してある会員証や観光地のさまざまな施設の入場券、そのほかパンフレットなどに混ざって、一冊の古びた日記帳と見覚えのある一枚の大きなハンカチを見つけた。

 それはハンカチと呼ぶにはあまりに大きい。白地に鮮やかな青い水彩の花柄で、敬子がいつも高級なスカーフみたいに首に巻いていたバンダナだった。

 ――ああ、これは……。

 

 旅の終わりのフェリー乗り場で、私は正直に別れを告げるつもりだった。

「今までありがとう」

「ううん、こちらこそありがとう。あなたと出会えてよかったわ」

「あの……」

「どうしたの? もう行かないと、時間よ」

「ああ、うん。そのバンダナ、いいね」

「そう? ならこれあげる。バイクに乗るときに使って」

「え? 大事なものなんじゃないの?」

「いいのよ。ただのバンダナだから。その代わり、わたしのこと忘れないで」

 少し淋しそうに微笑んで彼女は言った。あの時の敬子の笑顔が忘れられない。 

 そして二十年前の私が書いた旅の日記を紐解いてみる。

 前半は一人旅の記録。後半は敬子と過ごした時のことが克明に記されていた。

 最後に、彼女の実家の電話がメモしてあった。掛ける約束をしていたのに、一度も掛けたことのなかった番号だ。

 もう二十年以上も前だから使われていないかもしれないと思ったが、唯一の手掛かりに違いない。私は初めてその番号に電話を掛けた。二十年遅れだ。



「はい、岩井でございます」 

 彼女の母親だろうか。通じた。運が良い。

「敬子さんはそちらにいらっしゃいますか?」

「敬子ですか……あの、おたくはどちら様ですか?」

「申し遅れました。私、天宮と申します。あの、大変昔の話で恐縮なのですが二十年ほど前に、四国で敬子さんとお会いしまして」

「ああ、天宮さんですか。あなたのことは、敬子から良く聞いていました」

 意外だった。僕とのことを彼女は母親にも伝えていたのだ。

「いつも楽しそうにあなたのことを話してくれました」

「そうなんですか。それで、敬子さんは今どちらに」

「ご存知ないのですか?」

「ええ」

「敬子は亡くなりました」

 ああ、やはりそうなのか。

 そして、信じるか信じてもらえないかはわからなかったけれど、その朝方の出来事を説明した。するとお母さんは疑うどころか、声を詰まらせながらこう言った。

「あなたに逢いたかったのではないですか。それで最後にそちらへ行ったんだと思います。あの子はあなたからの電話をずっと待っていましたから」

 聞けば、彼女は乳癌で、発見したときはすでに手遅れだったとのこと。まだ今年四十一才の若さだったこと。そして、今までずっと独身だったことなど、いろいろ教えてもらえた。最後にお礼とお悔やみを言って電話を切った。



 そうか、最後に逢いに来たのか。あれから二十年間も忘れずにずっと彼女は私に逢いたかったんだ。それなのに、私はもうほとんど忘れかけていたなんて。

 あの時、もっとはっきりと言えばよかった。そうすればここまで彼女を苦しめることはなかったはずだ。なんて酷いことを。

 人が人を思うと言うことが、こんなにも強いものだと知らなかった。

 私は、思い出のバンダナを握りしめて泣いた。

                                    了
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