第13話 トマドイとミチビキさん③
文字数 1,685文字
〈3〉ミチビキさん
電車が過ぎ去った後、向かいのホームにこちらを見ながら佇んでいる人がいた。白いカットソーにジーンズ姿の女性と小さな男の子だ。男の子はたぶん母らしき女性と手を繋ぎながら僕の方を微笑みながら見ている。ただ、その女性の左腕、肘から先が見えなかった。
「ねえ、そこの人」
向かいのホームにいるはずなのに、その声は僕のすぐ耳元で聞こえる。この世界で話す人に会ったのは初めてだった。
「聞こえないの?」
「い、いや」
「あなた迎えの人でしょ? いきなりで悪いんだけどさ」
「迎え?」
僕には彼女の言う意味がよくわからない。
「この子です。この子をお願いします。この子だけを」
女性は男の子の手を振りほどいてさっと自分の前に押し出した。
「電車に乗せてやってほしいのよ。そっちのホームの」
「え? どう言うことですか?」
「とにかく、悪いけどちょっとこっち側に来てくださらない?」
「なぜあなたが連れて行かないのですか?」
「あなた、迎えの人じゃないの?」
「わかりません」
「とにかく、わたしは行けないの。ここから動けないの。だから頼んでいるんじゃない」
そう言いながら彼女は僕を大きく手招きしている。
とても嫌な予感がする。僕は急いで向かいのホームへ渡る跨線橋を駆け上がった。
階段を降りてホームに出た時、通過列車を知らせる警告音が鳴り響いていた。
電車がスピードを落とさずに入って来る。
あっ! 二人の姿がホームから消えた。僕の目の前で。
猛スピードで通過電車は去り、僕は一人ホームに残された。二人の姿は見えない。 遅かった! と思った瞬間、僕の左手に何かが触れる。
見ると、さっきの男の子だった。男の子が僕の左手を掴みながらじっと僕を見ていた。でもお母さんの姿がない。ホームから落ちたのかもしれない。そう思って僕は下を見るが、それらしき人はいない。しかし枕木の間に敷き詰められたバラストにべっとりと血のりが付いていた。
――無理心中だった。瞬間的に僕は理解した。
「さあ、行こうか」
僕は男の子の手を引いて向かいのホームへと戻った。男の子は何度も何度も後ろを振り返る。
トマドイ……。これがこの子の持っている「トマドイ」に違いない。
「大丈夫だよ。お母さんはきっと後から来るからね」
そう言うと、男の子は静かにうなずいた。
元のホームに戻ると、すぐに次の列車はやって来た。扉が開く。
と、待ち構えるように、全身、白い服を着た男が列車から降りて来た。
「ああ、この子が修一君ですね?」
白装束の男は言う。
「いえ、僕はこの子の名前は知りません、お母さんからこちらに連れて来るように頼まれただけで」
「ああ、そうですか。それはご苦労さん。あなた、この仕事、初めて? 新人さん?」
「仕事?」
「ええ、現世にあって、自分で逝くことができない死者を我々のところへ連れて来る仕事ですよ」
「なぜ僕が?」
「いや、きっとそういう役割なのでしょう。あなたのような人にしかできない役割ですよ」
今やっとわかった。なぜ僕にだけトマドイが見えるのか。
「大事な仕事ですから、これからもしっかりお願いしますよ、新人のミチビキさん」
――ミチビキさん……。
トマドイを導く人。ずっと前からあった疑問はその男の一言でストンと胸に落ちたように思う。
「じゃ、坊や、行こうか」
白装束の男は、男の子を車内に迎え入れる。
「あ、あの」
「まだ何か?」
「この子のお母さんは……」
男の子は、どこからか、ちぎれた白い左腕を出して白装束の男に見せた。
「ああ、一人現世にとどまってしまったみたいだね。気の毒なことだけど、しっかり寿命を全うしてほしいものだよ。この子のためにも」
彼女は助かったのだ。この左腕だけを渡して。
白装束の男に手を引かれて男の子は列車に乗ろうとするが、最後に僕の方を振り返り、そして言った。
「ねえ、今度どこかでお母さんを見かけたら伝えて、僕は大丈夫だからって」
白装束の男も振り返り、一度ゆっくりとうなずく。
了
電車が過ぎ去った後、向かいのホームにこちらを見ながら佇んでいる人がいた。白いカットソーにジーンズ姿の女性と小さな男の子だ。男の子はたぶん母らしき女性と手を繋ぎながら僕の方を微笑みながら見ている。ただ、その女性の左腕、肘から先が見えなかった。
「ねえ、そこの人」
向かいのホームにいるはずなのに、その声は僕のすぐ耳元で聞こえる。この世界で話す人に会ったのは初めてだった。
「聞こえないの?」
「い、いや」
「あなた迎えの人でしょ? いきなりで悪いんだけどさ」
「迎え?」
僕には彼女の言う意味がよくわからない。
「この子です。この子をお願いします。この子だけを」
女性は男の子の手を振りほどいてさっと自分の前に押し出した。
「電車に乗せてやってほしいのよ。そっちのホームの」
「え? どう言うことですか?」
「とにかく、悪いけどちょっとこっち側に来てくださらない?」
「なぜあなたが連れて行かないのですか?」
「あなた、迎えの人じゃないの?」
「わかりません」
「とにかく、わたしは行けないの。ここから動けないの。だから頼んでいるんじゃない」
そう言いながら彼女は僕を大きく手招きしている。
とても嫌な予感がする。僕は急いで向かいのホームへ渡る跨線橋を駆け上がった。
階段を降りてホームに出た時、通過列車を知らせる警告音が鳴り響いていた。
電車がスピードを落とさずに入って来る。
あっ! 二人の姿がホームから消えた。僕の目の前で。
猛スピードで通過電車は去り、僕は一人ホームに残された。二人の姿は見えない。 遅かった! と思った瞬間、僕の左手に何かが触れる。
見ると、さっきの男の子だった。男の子が僕の左手を掴みながらじっと僕を見ていた。でもお母さんの姿がない。ホームから落ちたのかもしれない。そう思って僕は下を見るが、それらしき人はいない。しかし枕木の間に敷き詰められたバラストにべっとりと血のりが付いていた。
――無理心中だった。瞬間的に僕は理解した。
「さあ、行こうか」
僕は男の子の手を引いて向かいのホームへと戻った。男の子は何度も何度も後ろを振り返る。
トマドイ……。これがこの子の持っている「トマドイ」に違いない。
「大丈夫だよ。お母さんはきっと後から来るからね」
そう言うと、男の子は静かにうなずいた。
元のホームに戻ると、すぐに次の列車はやって来た。扉が開く。
と、待ち構えるように、全身、白い服を着た男が列車から降りて来た。
「ああ、この子が修一君ですね?」
白装束の男は言う。
「いえ、僕はこの子の名前は知りません、お母さんからこちらに連れて来るように頼まれただけで」
「ああ、そうですか。それはご苦労さん。あなた、この仕事、初めて? 新人さん?」
「仕事?」
「ええ、現世にあって、自分で逝くことができない死者を我々のところへ連れて来る仕事ですよ」
「なぜ僕が?」
「いや、きっとそういう役割なのでしょう。あなたのような人にしかできない役割ですよ」
今やっとわかった。なぜ僕にだけトマドイが見えるのか。
「大事な仕事ですから、これからもしっかりお願いしますよ、新人のミチビキさん」
――ミチビキさん……。
トマドイを導く人。ずっと前からあった疑問はその男の一言でストンと胸に落ちたように思う。
「じゃ、坊や、行こうか」
白装束の男は、男の子を車内に迎え入れる。
「あ、あの」
「まだ何か?」
「この子のお母さんは……」
男の子は、どこからか、ちぎれた白い左腕を出して白装束の男に見せた。
「ああ、一人現世にとどまってしまったみたいだね。気の毒なことだけど、しっかり寿命を全うしてほしいものだよ。この子のためにも」
彼女は助かったのだ。この左腕だけを渡して。
白装束の男に手を引かれて男の子は列車に乗ろうとするが、最後に僕の方を振り返り、そして言った。
「ねえ、今度どこかでお母さんを見かけたら伝えて、僕は大丈夫だからって」
白装束の男も振り返り、一度ゆっくりとうなずく。
了