第109話 雪

文字数 748文字

     雪

 

 今朝の通勤時、駅で電車を待っていた時のこと。

 階段の方から、何やら女性の声が聞えている。声は段々と大きくなる。下からホームに上がって来ているようだ。

 何を言っているのだろう。じっと階段の方を見ていると、なんと、姿を現したのは70代ぐらいのお婆さん。たった一人きりだ。  

 連れはいなかった。一人きりで両手にたくさんの荷物を持ったまま、ずっと何かしゃべりながらこちらの方へ向かって来ていた。

 痴呆なのか、精神を病んでいるのか、皆、ちらりと一瞥をくれるが、我関せず。そそくさと離れて行く。

 確かに、そう言う人はちょくちょくいる。関わり合いにならない方が身のためと、皆が心に思っているのだろう。

 お婆さんはすぐ近くのベンチに腰を下ろした。

 私はふと向かいのホームを見る。今まで気づかなかったが、小さな紙の切れ端みたいなものが、鈍色の空から、はらはらと落ちて来ていた。

 ――雪だ。どうりで寒い。

 「わぁ、雪やで、ぼたん雪や。ほら見てみ」

 お婆さんが大きな声を出した。

 うん、雪だ。私は頷く。

 「でもこの雪は大丈夫やで、すぐ止む。私にはわかってる」

 列車の到着を告げるアナウンスがホームに流れるよりも早く、雪は降り止んでしまった。

「ほらな、言った通りやろ。な。おばあちゃんが言うた通り、すぐ止んだやろ」

 ふと見ると、独りきりだったお婆さんの隣に、小さな少女が座っていた。女の子は、少し淋しそうに鈍色の空を見つめている。

 お婆さんは何か言おうとしていたが、ホームに滑り込んで来た列車の大きな音でかき消されてしまった。

 それと同時に、女の子もいなくなった。

 私は列車に乗り込む。

 お婆さんはまだベンチに座ったままだ。どこへも行かない。

                             了
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