第21話

文字数 1,568文字

 寝不足の頭でいつも通りにランニングに出かけ勤する円果と恭一を見送った梨乃は、親友の美由紀が来るのでコーヒーメーカーをセットしカップやソーサーの準備を終えた。時計を見れば約束の時間まであと五分。そろそろ電話がかかってくるかなと思い、テーブルの上に置いてあるスマホを手にした途端、見計らったかのように着信を告げてきた。あまりのタイミングの良さに思わず声を出して短く笑い、美由紀からのコールに応える。案の定、いま着いたからという連絡で、下に行くからもう少し待っていてと告げると大急ぎで玄関に向かう。誰も居ない最上階の廊下を小走りでエレベーターへと向かい、美由紀の許へ急ぐ。

「お待たせ」
「綺麗なマンションだねーここ。あの駅で降りるのも初めてだったから不安だったけれど、一本道で助かった」

 声楽コースに在籍する美由紀の声は小さめの声でもよく通る。手にケーキの小箱を持っており、それは彼女の自宅の近所にある有名菓子店の物だ。梨乃もその店のケーキが好物で、美由紀の家に行くときは必ず持参する。

「美由紀、今度からはエントランスホールにある総合インターホンで私の部屋番号を入力してくれたら、上で解錠するから。あとは直接来てくれればいいよ」
「さすが女子高校生の独り暮らしの部屋ともなると、セキュリティがしっかりしているわね。あちこち監視カメラだらけだし、エレベーターにも指紋認証だの暗証番号入力だの厳重ね」

 感心したように呟き、最上階まで移動し梨乃の部屋へ。話には聴いていたグランドピアノの存在に、更に美由紀は感嘆の声を上げた。

「すごい、すごーい。梨乃、良かったねグランドピアノで練習できて。しかもこの部屋、完全防音でしょ?」

 いいなぁという目で美由紀は見てくる。二人は親友ということもあり、美由紀が試験を受けるときの伴奏は梨乃が担当する。これから美由紀の試験前には、この部屋で練習することも当たり前の光景になるのだろう。窓から最上階からの眺めを堪能したりと落ち着かなかったが、梨乃が香り豊かなコーヒーを運んでくると嘘のように大人しくなった。

「コーヒー、ありがとう。さっそくだけど、食べようよ」

 年頃の女の子が二人揃い、しかも甘い物があるとなれば一も二もなくお喋りタイムが始まる。梨乃はガトーショコラ、美由紀は三種類のベリータルトをチョイスし、新学期からのことや新生活のことなどを話す。

「ところで両隣の住人って、どんな人たち?」
「右隣はヘアメイクアーティストで、結婚式場に勤めているオネエ。左隣はこのマンションのオーナーで、神無城(かんなぎ)学園高等部の教員。二人共二十代前半よ」
「え、隣がオネエと高校教師? なにそれ、何て濃いメンバーなの?」

 腹を抱えて笑う美由紀を目で窘めつつ
「二人とも、とってもいい人たちよ」
 とフォローすることを忘れない。笑いすぎて目尻に涙を浮かべつつもようやく笑いを引っ込めた美由紀は、落ち着くためにコーヒーを飲んだ。

「二人とも二十代前半? ってことはオーナーさんって、今年から教員になったの?」
「そうみたいよ。神無城学園はもう、新学期が始まっているらしいけれど」
「いやん、梨乃! これはチャンスよ、新しい出会いよ! 女子高校生と、学校は違えど高校教師との禁断の関係! マンションの隣人という近くて遠い関係から、やがて二人は愛を深め……きゃあっ、ドラマみたい! いいなぁ、そんな恋をしてみたーい!」

 一気に妄想モードに突入した美由紀を止める(すべ)を、梨乃は持ち合わせていない。仮に止めようとしても、親友はこういう状態になると人の話などまるで耳に入らなくなる。ひとしきり騒ぐだけ騒ぐと落ち着くので、それまで静観するのが最善の方法だということを長年の経験で学んでいる。五分ほど美由紀の興奮と妄想語りが続いたが、やがてにやけた顔で梨乃を見つめてきた。
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