第14話

文字数 1,341文字

 この高等部の教員で独身は、恭一と丸山と成瀬の三人しか居ない。しかも成瀬には婚約者が居るので、どうやら教員同士の恋愛問題に巻き込まれずに済みそうだと胸を撫で下ろした。同時に梨乃の顔が浮かんできて、今朝の行ってらっしゃいという台詞が脳内で再生される。ズキッと胸の奥が痛んだ気がして、邪念を振り払うかのように頭を振った。

(彼女いない歴がちょっと長かったからかな……でも、よりによって女子高校生に)

 惚れるなんて……と続けようとして、ぎくりと身を強張らせた。ごく自然に浮かんだ己の思いに、自分自身で驚く。梨乃のことが気になるのは、あくまでもマンションのオーナーとして、そして隣人としてだ。まだ高校生なのに独り暮らしをするから、保護者代わりだ……最初はそう思っていたはずなのに、いつの間にか梨乃をひとりの女として見始めている自分に気付く。

(バカな、相手は女子高校生だぞ。そしてや俺は高校教師。彼女に対して邪な思いをかけている場合じゃないだろう)

 ふうと息を吐き、気持ちを切り替えるように同期の丸山の許へ行き、落ち着いたら飲み行く約束を交わす。雨宮教頭の案内で高等部の校舎を回りながら、恭一は自分は教育者だと呪文のように脳裏で念じていた。

 神無城学園では新卒は部活動の副顧問を主に受け持ち、三年目くらいから副担任に、五年目以降でクラス担任を受け持つ。丸山は実績を買われていきなり柔道部の顧問に、恭一は他に人材がいなかったので映画研究会の顧問になった。どちらも異例の抜擢と言えよう。

 映画研究会は同好会の扱いだが、会員数や生徒会からの予算その他は同好会のレベルを凌駕しており、映画研究部と名乗ってもおかしくないのだが何故か同好会のままだ。現段階での会員数は十八名。脚本や大道具・小道具に監督や撮影班から編集に至るまで全て生徒が担当する。慢性的な人手不足で、クラブ活動をしていない生徒のヘルプも多いそうだ。渡された会員名簿を見ながら、名前を頭に叩き込む。初年度の今年は新一年生と二年生の授業を数クラスずつ受け持つ。同好会の会員が何人かいるので、彼らと授業で顔を会わせるのが楽しみだった。

 取り敢えず今日は入学式のみであり教職員の顔合わせなので、定時に学校を出ることが出来た。これから教師としての生活が本格的に始まる。着慣れないスーツで肩が凝ったため、マンションに帰り着くとラフな部屋着に着替え、アルトサックスのケースを手にエレベーター横の扉からスタジオに向かった。リードを専用のケースから取りだしセットすると、軽く目を閉じた。

 チューニングを済ませると、スタンダードナンバーの一曲である『MISTY』の主旋律を吹き始めた。甘やかで魅惑的な旋律がスタジオ内に響き、恭一は続けて『Days of Wine and Roses~酒とバラの日々~』を吹く。映画と同名のこの曲は彼が初めて演奏した思い出深い曲だ。

 亡父はトランペット奏者だが、息子はアルトサックスを選んだ。渡辺貞夫の『カリフォルニア・シャワー』を聞き、それ以来彼の大ファンになったことがきっかけだ。父は息子がアルトサックスを選んだことに関して、何も言わなかった。むしろ同じ自分とは違う楽器を選んでくれたことに、嬉しさを覚えていた節がある。
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