第52話

文字数 1,101文字

 無事にコンクールは閉幕し、表彰も終わった。

 ロビーで熊坂と美由紀に挟まれながら、梨乃は歓喜の涙を流していた。

「おめでとう鮎川さん、本当におめでとう!」
「梨乃、良かったね、頑張ったもんね。うう、自分のことのように嬉しい!」
「ありがとうございます熊坂先生。これも先生のご指導のお陰です。ちょっと美由紀、鼻水でてるよ!」

 喜びの涙を流す者、口惜しさの涙を流す者――会場のロビーではそんな人間模様が描かれている。梨乃はというと――喜びの涙を流していた。

「梨乃、二位おめでとう! あー、わたしも頑張らなきゃな」

 美由紀の感激した声に、梨乃は嬉しそうにはにかんだ。高校生部門の優勝は逃したが、それでも十年前にトラウマを植え付けられた因縁のコンクールで二位という申し分のない好成績に満足感を覚え、涙が止まらない。一刻も早く恭一にもこの結果を知らせたいのだが、そうは問屋が卸さないのが世の常だったりする。学校への連絡、隣人たちへの蓮宅に神崎夫妻の祝福を受けたりで、気がつけばいつの間にか陽はとっぷりと暮れていた。今夜は熊坂と共にホテルに一泊し、翌日帰る予定だ。美由紀は受験勉強があるために一足先に帰ったが、帰る前に恭一と付き合うことになったことを半ば脅すようにして聞き出しご機嫌だったことを付け加えておく。

 熊坂は涙を流さんばかりに喜び、吉柳(きりゅう)女子学院でもこの快挙を祝ってくれた。二月なので三年生は自由登校となっており報告のために学校に来た梨乃は、校長からこの目出度いニュースを聞いた後輩たちに囲まれ、祝福の花束を受け取るのに大わらわだ。理事長をはじめとする各理事や教職員への挨拶、一、二年生を前にしての記念演奏などであっという間に一日が終わってしまった。

 コンクールの地方大会前にオーストリア政府公認ドイツ語検定の一級を取得したため、家に帰れば帰ったでドイツの音大に提出する語学証明書の記入やビザの申請などの留学準備に追われる。大学で師事したい先生に直接メッセージを送った結果、四月下旬から個人指導を受ける約束を取り付けた。そんな風に忙しい日々を送っている彼女は恋人となった恭一と隣り合って住んでいるにもかかわらず、顔を合わせる機会が減ってしまった。もっぱら電話とメッセージでのやり取りが中心で顔を合わせても挨拶程度の時間しか取れす、本当に付き合っているのかと円果や美由紀には疑問に思われていた。

 しかし顔を合わせる時間が少なくても、当の二人は頻繁に互いの近況を報告し合ったり励まし合っているので、特に支障はないと感じていた。四月以降はこうした事が当たり前になるのだ。少し前倒しになったと思えば、どうってことはない。
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