第29話
文字数 980文字
「あの……私、演奏に関してトラウマがあるんです」
そう前置きすると梨乃は食事の手を止め二人の顔を見た。彼らがどうぞ話してと目で促したので、梨乃も小さく深呼吸をすると自分のトラウマを話し始めた。
「演奏することが嫌いなわけじゃないんです。予選の時は強く意識をしないのに、どういうわけか本戦になると萎縮してしまって普段の力が発揮できないんです。国際的に活躍できるピアニストを目指しているのに、このトラウマを克服できないために後一歩の所で、き詰まってしまって」
いつの間にかうっすらと涙を浮かべ、訥々と語り終えた梨乃に円果はかける言葉が見付からない。楽器は違えど奏者として、恭一には言いたいことがある。今の梨乃に届くかどうかは判らないが、自身もかつて亡父に言われた言葉を伝えたいと思った。
「鮎川さん、音楽っていう字はどう書く?」
突然の声に、梨乃はおろか円果も戸惑った目を恭一に向ける。どういう意図で質問されたのか真意が分からず、梨乃はじっと言葉を待つ。
「音楽という字は音を楽しむと書くだろう? 聴衆だけが楽しむのではなく演奏者も楽しまなければ本当の音楽ではないと、俺は思うんだ……死んだ親父の受け売りだけどね」
そんなことは言われなくても判っていると言わんばかりに、梨乃の目がスッと細められ些か憤然とした面持ちで再び食事をする手を動かし始めた。だが恭一はそんな彼女の様子に頓着せず、持論を述べる。
「聴衆も奏者も演奏を聴いて幸せを感じられることが、本当の音楽の素晴らしさじゃないかと思うんだ。ジャンルは関係なしにね……鮎川さんの話を聞いていて、すごく勿体ない話だと思ったよ。鮎川さんも聴衆も、全然楽しめていない」
いつの間にか恭一の目は真剣なものになっており、まるで教鞭を執るときのような雰囲気が全身を包んでいる。アルトサックスを演奏している時とも、普段の様子とも違う姿に、梨乃は思わず目を奪われる。学校が違うために教師としての姿を知らないが、こんな風に授業をするのかもと思った。
「演奏する側が楽しまなければ、聴衆だって楽しめない。怖くなんかない、音楽はみんなを楽しませるものなんだ。それを忘れなければ、きっと素晴らしい演奏ができるよ」
微笑みながら言った後、恭一は食べることに専念し始めた。円果はポカンとした顔で恭一を見つめ、梨乃は恭一の台詞を胸の内で反芻していた。
そう前置きすると梨乃は食事の手を止め二人の顔を見た。彼らがどうぞ話してと目で促したので、梨乃も小さく深呼吸をすると自分のトラウマを話し始めた。
「演奏することが嫌いなわけじゃないんです。予選の時は強く意識をしないのに、どういうわけか本戦になると萎縮してしまって普段の力が発揮できないんです。国際的に活躍できるピアニストを目指しているのに、このトラウマを克服できないために後一歩の所で、き詰まってしまって」
いつの間にかうっすらと涙を浮かべ、訥々と語り終えた梨乃に円果はかける言葉が見付からない。楽器は違えど奏者として、恭一には言いたいことがある。今の梨乃に届くかどうかは判らないが、自身もかつて亡父に言われた言葉を伝えたいと思った。
「鮎川さん、音楽っていう字はどう書く?」
突然の声に、梨乃はおろか円果も戸惑った目を恭一に向ける。どういう意図で質問されたのか真意が分からず、梨乃はじっと言葉を待つ。
「音楽という字は音を楽しむと書くだろう? 聴衆だけが楽しむのではなく演奏者も楽しまなければ本当の音楽ではないと、俺は思うんだ……死んだ親父の受け売りだけどね」
そんなことは言われなくても判っていると言わんばかりに、梨乃の目がスッと細められ些か憤然とした面持ちで再び食事をする手を動かし始めた。だが恭一はそんな彼女の様子に頓着せず、持論を述べる。
「聴衆も奏者も演奏を聴いて幸せを感じられることが、本当の音楽の素晴らしさじゃないかと思うんだ。ジャンルは関係なしにね……鮎川さんの話を聞いていて、すごく勿体ない話だと思ったよ。鮎川さんも聴衆も、全然楽しめていない」
いつの間にか恭一の目は真剣なものになっており、まるで教鞭を執るときのような雰囲気が全身を包んでいる。アルトサックスを演奏している時とも、普段の様子とも違う姿に、梨乃は思わず目を奪われる。学校が違うために教師としての姿を知らないが、こんな風に授業をするのかもと思った。
「演奏する側が楽しまなければ、聴衆だって楽しめない。怖くなんかない、音楽はみんなを楽しませるものなんだ。それを忘れなければ、きっと素晴らしい演奏ができるよ」
微笑みながら言った後、恭一は食べることに専念し始めた。円果はポカンとした顔で恭一を見つめ、梨乃は恭一の台詞を胸の内で反芻していた。