27. お嬢様・・・

文字数 2,174文字

 そしてエミリオには、透き通った頭の先がリンの体と重なって、見え隠れに現れだしたのが分かった。首輪の呪いと同化していたその娘は、あまりに長いあいだ閉じこもっていたこともあってか、やはりなかなか上手くいかないらしい。それでも、確かに勇気を出して外へ出ようとしている・・・と、エミリオは信じた。まるで人見知りの激しい子供が頑張る様子を見ているようだと、胸中で励ましながらじっと待つ。

 やがて、やっと現れた彼女の姿を見た時、エミリオは笑顔でため息を漏らした。

「どんな子だ?」と、ギルはエミリオの耳元に顔を寄せる。

「とても可愛い。まだ十代じゃないかな。色白(いろじろ)で赤味を()びた金髪に茶色の瞳、少し上向きの(べに)をさしたような唇が魅力的な、素敵な子だよ・・・透けて見えるけどね。」

「俺も見たいな・・・。」

 リンから娘の霊が離れた時、ふらついて倒れそうになった小さな体は、カイルが素早く支えていた。母親の霊がカイルから離れたのはそのあとのことだったので、とっさにカイルの意識が働いたのかどうか定かではないが、憑依(ひょうい)が解かれたということは、カイルもまた突然の疲労感と脱力感にいっきに襲われることになる。そのせいでカイルは呆然としていたが、それからのろのろと両手を目の前に持ってきて、何か珍しいものでも見つめるように自分の体を眺めだした。

「戻ったか。」
 ギルは〝意識が〟を省略。

「お帰り。」と、リューイもそんな声をかけた。

「え、あ・・・ただいま。」
 今の状況が分かっているのかどうか、カイルは曖昧(あいまい)な返事。

「解決したみたいだぞ・・・ほら。」
 レッドがリンに目を向けてみせた。

 体調はさておき、肌や目の色などはすっかり元通りで笑顔を浮かべているリンは、顔を()け反らせて独り言を連発している。その内容からしてミーアを母親に紹介しているようだが、リンは読唇術(どくしんじゅつ)を身に着けていないので会話はできない。ただ一方的に喋っているだけだ。

 そして、カイルの目にはもう一人、透き通った娘の姿も一緒に見えている。

 カイルはそっとほほ笑んだ。 
「うん・・・知ってる。」

 全てが見えているカイルは、満足気にその様子を眺めていた・・・が、ふと気付く。リンの母親が、怪訝(けげん)そうにやしろの方を向いていることに。

「あれ・・・?」

 そこへ視線を伸ばしてみると、理由が分かった。

「ねえ、こっち見てる人がいる・・・。」

 カイルがそう言うのでみな目を向けてみたが、誰もいない。ということは・・・。

 エミリオとリンにも見えているその人は、いつの間にかやしろのそばに現れていた。彫りの深い生真面目(きまじめ)そうな顔つきの、一本気な性格という印象の男性である。彼は歩行せずにスッと寄ってきて、地に足をつけるように舞い降りた。

〝お嬢様・・・。〟

 この時の彼の視線は、明らかに娘の顔にある。ひたむきな眼差しで、その面上には何とも言えない感極まるものが現れていた。

 そこで娘の顔をうかがうと・・・やはり、今度は心当たりがあるようだ。

 これに続く会話は完全に異次元だけのものとなり、全く入っていくことができない者たちは、それを見つめるエミリオやカイルの顔を見つめるしかない。

〝下界におられましたか。探しました・・・何百年も。その後、傭兵(ようへい)となって戦死した私は、黄泉(よみ)の国であなたに会えると思って・・・。〟

〝どうして・・・。〟

〝力不足でお救いすることができず、無念でなりませんでした。〟

〝助けようとしてくれたの?私のこと。〟

 男性の霊は悲しい微笑で応えたあと、一変して悲痛に歪んだ顔のまま頭を下げた。

〝間に合わず・・・誠に、申し訳ございませんでした。〟

「ねえ、今度は誰?」
 シャナイアが適当なタイミングで問う。

「分からない・・・分からないが・・・。」と(つぶや)いて、エミリオは目を細めた。

 そして、万事解決とばかりにカイルが一言。
「誰もが一人じゃない・・・ってことかな。」 

 気付けば雨は止み、洞窟の前には光が降りてきていた。それをたどるように視線を高く上げていくと、そこには白い輝きを(まと)う灰色の雲の層。何とも神秘的な空に()せられたこの瞬間、雨雲がすっかり風に流されるようにして完全に浄化した魂を、今そこにいる誰もが感じた。

〝彼女を連れていくから、道案内をお願いできるかしら。〟

 雲間(くもま)から差すその天使の梯子(はしご)を見上げて、リンの母親の霊は言った。

〝天界へ行かれるのですね。お供いたします。〟と、男性の霊は執事(しつじ)のように腰を曲げる。

 お安い御用と()け合ったカイルは、目を閉じてさっそく右手を(ひたい)の辺りへもっていき、静かに呪文を唱え始めた。

 間もなくやってきたのは黄泉を(つかさど)る神の使い、霊魂を導く精霊たちである。

 その案内のもと、一緒に舞い上がった三人の魂は、光をたどるようにして天へと昇っていく。はぐれないように優しく手を引かれながら昇天する娘の姿を、エミリオは頬に笑みを浮かべて見つめていた。その様子を、ほかの者は残念ながら見ることができない。だから、エミリオがそうしているあいだ、そしてカイルの呪文を唱える声が止むまで、それを想像しながら、ただ同じ空を見上げ続けた。

「行っちゃった・・・。」

 リンが寂しそうにそう(つぶや)いたのと、カイルが口を閉じて目を開けたのとは、同時だった。

 そこで何人かが、忘れていた・・・というような顔に。
 
 あ・・・リンの首輪を外していなかった。


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