8. スラバの村の青年

文字数 2,544文字


 事件から数か月が経った。

 さすがにいろいろと上の機関に怪しまれはしたものの、家族の中で死亡したのは結局ファトラ一人であったため、上手く誤魔化(ごまか)し、モリス子爵とその一家にとっては、ひとまず事なきを得た。

 アレン・バルトは、その後まもなくリディバの町を出たという。放浪(ほうろう)生活を選んだわけだが、手練(てだ)れの剣士である彼なら、どこへ行っても働き口くらい(いく)らでもある。以前の安定した生活には何の未練もない。ただ、ファトラを救えなかった無念だけは一生バルトの心にあり、度々彼を苦しめ続けるだろう。

 そして例の首輪は、バルトも一度 (おとず)れた町の精霊使いが浄化していた。その男は、こんな言葉を残している。

「儀式は行いましたが、なぜか首輪は砕けずこの通り・・・。私が持つべきものではありませんので、お返しに上がりました。外せるようにはなりましたから、浄化はされているはずです。もう妖魔が現れることはないでしょう。ですが、これには何か特別な意味があるのかもしれません。何も問題が起きなければ、こちらで大切に保管なさってください。」

 そう言われてしまうと気味が悪くても処分できず、置き場に困ったダリアは、最もふさわしいと思われた場所として、とりあえず、今は亡き末娘の部屋のドレッサーにそれをしまった。そして、その両方の記憶を抹消(まっしょう)しようとするかのように、血塗られたその部屋には(じょう)が付けられ、以来、開かずの間と化した。





 赤い三角屋根の建物が(のき)を連ね、泉の広場に女神の彫像(ちょうぞう)が点在するそこは、通りにお洒落(しゃれ)アイテムを売る店が並ぶ買い物スポット。高級な貴金属や宝石だけでなく、天然石などを使った低価格のアクセサリーも扱う店もあり、種類豊富に幅広く選ぶことができる宝飾店の激戦区だ。それらを求めて、ここへ遠くの街からやってくる旅人も多い。

 そして今、迷い子のように、疲れきったため息をついた彼もまた旅人。その若者は、まだ青々とした葉を茂らせている街路樹の下へ向かうと、そこに大きな荷物を二つ並べた。それから、お尻に敷いても問題のない方に腰を下ろした。外套(がいとう)と毛布をまとめて丸めたその荷物の座り心地はなかなか・・・であるにもかかわらず、どうしたのか、彼の表情はまだ冴えない。

 本来は、人懐(ひとなつ)っこさと人の良さを感じさせる端整(たんせい)な童顔の彼。ただ、薄茶色のくせ毛にはやんちゃな印象がある。それに、背は高い方でスラッとしていながら、その子供っぽさには不釣り合いな引き締まった体格をしていた。半袖から伸びている腕の盛り上がりは、日常的に(きた)えている筋肉と見て取れる大したもの。

 その通りで、彼は二十五歳の大工(だいく)見習い。とはいえ、子供の頃からそれに関する作業等に(たずさ)わっており、腕はかなりいい。名前はリアン。

 実は、リアンはたった今、店から出てきたばかり。なので、店の正面にある街路樹の木陰(こかげ)に荷物を下ろし、のろのろと背中を返して、その上に座ったリアンの目の前には、この時、一軒の宝飾店があった。

 入るだけ無駄だと思ってしまうような店、つまり、商品が全て話にならないほど高級高額に違いないという雰囲気の所は敬遠して、それ以外の頑張れそうな店舗を全て回った。ここが、最後の店だったというわけである。リアンが、その窓越しに見える店内を眺めながらため息を止めることができないのは、予算内で気に入ったものが結局見つからなかったからだ。

 しかし手ぶらでは帰れない理由があった。

 悩みすぎたリアンは、クシャクシャッと片手で髪を掻き回し、ふうっと息を吐いて気持ちを切り替える。そして、目に焼き付けてきた何品かをよくよく思い出しながら、頭の中でそれらを激しく競い合わせた。デッドヒートが、その後、二十分以上も続いた。

「あなた、何かお困りのようね。もしかして宝石がご入り用かしら。」

 不意にそんな声をかけられて、リアンは驚いたように首を向けた。あまりに真剣に考え込んでいたため、通り過ぎる人の気配を感じることが全く無かった。自分が今どこにいるのかも忘れかけていたリアンを、その声は一瞬で引き戻したのである。リアンの耳に街の音が(よみがえ)った。

 そこには、いかにも裕福そうな貴婦人がいた。ネックレスと指輪に付いている、透き通って輝く大きな石が、そうはっきりと証明していた。それはまさしく、希少(きしょう)性や耐久(たいきゅう)性、そして硬度(こうど)などにおいてその条件を満たしている〝宝石〟と呼ばれるもの。それに違いない。なにしろ、そういうものがズラリと並ぶ店舗ばかりを、リアンはこの日、何時間もかけて歩き回っていたのだから。

 リアンは一応周りに目を向けてから、またその人を見た。
 執事(しつじ)らしき男性が差している日傘の陰で、その貴婦人は優しそうな笑みを(たた)えている。

「僕・・・ですか。」

「ええ、突然ごめんなさいね。宝石店の前であんまり深刻な顔をしているものだから。あなた、どこから来たの?旅の人でしょう?」

「はい。東の森の岩山にあるスラバという村からです。」

「少し遠いわね。」

「そうですね。徒歩だと何日もかかってしまいます。でもこの近くまでなら、たまに仕事で来ますよ。」

 リアンがそう答えると、彼女はなぜか思案しだしたような顔になり、沈黙した。何か不可解なことでも口にしただろうかと、リアンはその様子を(うかが)う。

 だがすぐ、彼女はまた笑顔に戻って、自然に会話を続けた。
「それで、気に入る宝石が見つからないのかしら?」

「ああいえ、宝石なんて高級なもの、僕には買えませんよ。」

 そう自嘲(じちょう)して、着ている薄汚れたシャツを見下ろしたリアンは、彼女に視線を戻すと、軽く肩をすくってみせる。

 そうでしょうね・・・と、彼女は心で答えて、青年には(ひか)えめな苦笑を返した。

「ただ、見た目に高価そうな首飾りが欲しくて・・・。実は近々結婚を控えていまして、彼女に綺麗な首飾りを着けさせてあげたかったんですが・・・天然石でも、思った以上に高いですね。」

「それなら、ちょうどいいものがあるわ。みな(とつ)いで、もう若い娘は誰もいなくなったから、無駄にしまってある首飾りなの。宝石に(おと)らず綺麗だけど、天然石だから、もし気に入れば(ただ)で差し上げるわ。」

 初対面だというのに、リアンは疑いもなく喜んだ。

 そして、誘われるままに、彼女が路肩(ろかた)で待たせていた馬車の席に腰を下ろした。


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