11. 繰り返される災い

文字数 3,029文字

 森の枝葉(えだは)を揺らす夜風もゆるく、ぼんやりと浮かぶ月をちぎれ雲がずっと(おお)っていた、真夜中。

 背中に傷を負った女性が、玄関からこけつまろびつ飛び出して来た。

「だだ、誰か!早く、誰か来て!」

 そう叫ぼうとしたが、恐ろしさのあまり声が出ない。そこで彼女は、腰が抜けて動かない足に(むち)打ちながら、隣の家の玄関を目指した。幸い追いつかれるよりも早くたどり着くことができ、精一杯力を込めて夢中で木戸を叩く女性。

 すぐに反応があった。何事かと驚いた住人が、急いで顔を出してくれたのである。

「ビエラさんじゃないか。いったいどうした。」
「レネが、レ・・・。」
「ビエラさん、落ち着いて。レネちゃんが何?いや、とにかく家に ――」

 ビエラは激しく首を振ってみせた。ダメだと言いたいのだが、上手く(しゃべ)ることができない。

 男性が怪訝(けげん)に思った次の瞬間、隣の家、つまりビエラの家から、身も(すく)みあがる破壊音が上がった・・・!

 窓が割れる音、棚が倒れる音、誰か・・・いや、あのしっかり者のレネが、狂ったように暴れている⁉

 ビエラはとうとう気を失ってしまい、男性に体を支えられた。彼の背後には、この騒動(そうどう)で寝てなどいられないほかの家族も起きてきて、心配そうにしている。

「レネちゃんに何かあったらしい。お前たち、急いで村の皆を起こしてきてくれ。」

 気を失ったビエラを妻に預け、自らもそうしようと男性が外へ出ると、すでに気付いた近所の村人たちが次々と外に集まっていた。そうして、ものものしいレネとビエラの家を、遠巻きに(うかが)っている。

 すると、レネがゆらりと外へ出て来た。

 うつむいたまま、何か悪い物でも食べたか吸ったのではないか・・・と思われるような、怪しい雰囲気で(ひさし)の下に佇んでいる。それに、着衣から出ている腕や足が、夜の闇のせいか妙な色に見えた。

「なんか・・・とてつもなく機嫌(きげん)が悪そうだ。」
「リアンと喧嘩でもしたのか。」

 口々に心配するリアンの友人たち。

「いや・・・そうじゃなさそうだぞ。そんなものじゃあ・・・。」
 まじまじと目を()らしていた若者たちは、そろって一歩身を引いた。

 ヌッと顔を上げたレネは、真っ赤に充血した目で、殺気を(はら)んだ狂気の表情をしている。驚いたことには、その肌はやはり尋常(じんじょう)ではなく紫色だ。

「 ―――― ⁉」 
 
 仰天(ぎょうてん)した村人たちは、悲鳴を上げて逃げ(まど)った。もはやレネではない何かは、不意に地面を()ると、いきなり走り寄って来たのである。

 狙いをつけられたその若者は、背中を見せずにさっと身をかわして避けたが、肩を引っ掛かれて(うめ)いた。幸い大きな傷ではないが、彼女の指先は着衣を(やぶ)り、そこから血を滲ませるほど(するど)いものになっている。とにかく普通じゃない。

 リアンとレネの友人たちが大人たち以上に戸惑い、動転しているそこへ、躊躇(ためら)いもなく走り込んできた者がいた。 

「レネ!」

 今駆けつけたばかりのリアンだ。

 思わず、村人たちはみな固唾(かたず)をのんで見守った。
 愛する人を目にすれば正気に戻るか。

 だが次の瞬間見たものは、恋人に抱き付くというより、まるで獲物にありつけた野獣そのものの動きで、リアンに襲いかかったレネのあるまじき姿だった。現にリアンは、勢いよく振り下ろされたレネの両腕を、とっさに(つか)んで阻止(そし)している。

 仕事で(きた)えた腕力のおかげで、倒されても辛うじて対抗することができた。

 おかしい・・・!

 自分の方が遥かに力はあるし、レネはか弱い。なのに、信じられないこの豪腕。体勢を立て直すことができないどころか、すぐにもたなくなる。

「レネ、やめっ・・・!なんで、レネッ!」

 渾身(こんしん)の力でリアンは押し返したが、その拍子(ひょうし)にレネは一瞬頭を上げただけで、今度はリアンの首のあたりを狙ってきた。ぐわっと口を開けてだ。犬歯が牙のように鋭く伸びていた。

 そして・・・!

「ああっ・・・!」
 反射的に出した腕に喰らいつかれて、リアンは痛烈な悲鳴を上げた。

 激痛のはず。だがそのあとのリアンの表情に、それは無かった。牙、豪腕、しきりに上げる(うな)り声、そして一生忘れられないだろう魔物の形相(ぎょうそう)。そんな驚愕(きょうがく)の数々も、腕の痛みも今のリアンは気にすることができない。それほどの激しい悲しみに、リアンは苦しみ(もだ)えた。

 一か月後には何の問題もなく一緒になれるはずだった。

 なぜ・・・変わり果てた恋人を、涙を流しながらむしろ呆然(ぼうぜん)と見つめるリアン。

 今、人目もはばからず泣いている悲痛なその顔も彼女には届かず、妖女と化したレネは狂って異常なままだ。

「くそっ、ダメだっ!」
「早く!皆でレネを押さえろ!」

 (たくま)しい若者たちが慌てて動き出し、村で一番の力持ちが、まず彼女の背後に回った。そして脇を抱え上げてリアンから引き離そうとする。しかし、レネの力が強すぎてやはり離すまではできず、右からも左からも、ほかの者が手を貸してやっと、彼女の下からリアンを引き摺り起こしてやることができた。

 このあと彼女をどうすればいいのか・・・。若者たちが必死でレネを捕まえているのを見守りながら、大人たちがそう思案していると、村長であり村で唯一の術使いでもある老人、その名もサムジがようやく最後にやってきた。どんなに()かしても、七十を過ぎた老体は軽快に走ることができなかったらしい。

「ああ、サムジさん!レネちゃんがおかしいんです!」
 そばにいた女性が気づいて、そう報告した。

 ただおかしいだけでないことを、サムジはすでに感じ取っている。

「これは、なんたる邪気・・・⁉」 

 それを聞いた者たちがぞっとして注目する中、続いて苦々しく告げられた。 
「呪われておる。」と。

 その直後。さらに混乱をきたした村人たちの前に、サムジの言葉を決定づけるものが突如(とつじょ)として現れた。

 レネの首から ―― 正確には首輪から ―― 獣と人間が合体したような大柄な生き物が姿を現したのである。さらにそれは分裂して、二体、そして三体になった。

「なんだ、あれは⁉」
「みな、下がっておれ。」

 その警告を聞く前にもう、レネを捕まえていた若者たちは驚いて退避している。

 何があっても決して(あせ)ることのないサムジは、ほかの誰にも分からない次元の違う言葉を流暢(りゅうちょう)に喋り始めた。

 サムジは、呪文を唱えながら虚空(こくう)に絵を描くように指先を走らせたり、腕を波打たせるように大きく動かし続けている。その姿は神々(こうごう)しく、超自然の存在めいていた。

 そして次々と起こる超常現象。

 熟練の精霊使いであるサムジは、まず炎の精霊に命じて魔物を一度に焼き殺し、次に光の精霊を呼び寄せて、辺りを真昼のように明るく照らし出したのである。すると光を、特に陽光を嫌う魔物たちが(ひる)み、首輪から出て来なくなる。

煉瓦(れんが)小屋へレネを誘い込む。扉を開けてきておくれ。レネが中へ入ったら、すぐに閉めるんじゃあ。」

「そんな、止めてください!彼女を助けて!」
 元に戻してもらえると信じていたリアンは、驚き叫んだ。

「リアン、ひとまずサムジさんの言う通りに。きっと大丈夫だ。」
 肩に手を置いてそう説得したのは、リアンの父親である。

 周りにいる友人たちも次々と(うなず)きかけた。

 レネの体に取り()いている何かは、いまいまし()に手を動かして、強烈な光を(さえぎ)ろうともがいている。それを見つめるリアンが逆らうことはなかった。

 すぐに闇の精霊を呼び寄せたサムジは、煉瓦小屋へと続く夜道を作ることによってレネを誘導する。

 その道しるべに気付くと、レネは逃げ道を求めるように(すみ)やかに従った。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み