3 アリストテレス『政治学』(2)
文字数 2,569文字
さてと、そもそもアリストテレス『政治学』のテーマは、具体的にね、同時代に存在した国家共同体(ポリス)を調査しつつ、どのタイプの国家共同体が一番マシか(最善か)について論じることだ
このタイプ、類型をね、アリストテレスは国制というが、次のとおり言葉の説明をしている
「国制とは国家のさまざまな公職の組織立てであり、そのなかでもとくに、あらゆることに対して最高の権限をもつ公職の組織立てである。というのも、すべての国家において統治者集団こそが国家における最高の権限をもち、そして国制は統治者集団にほかならないのだから」[『政治学』:P146]
「国制とは国家のさまざまな公職の組織立てであり、どのような仕方で公職は配分されるのか、国家統治の最高の権限を握っているものは何か、それぞれの共同体は何を目的としているのか、ということを規定する」[『政治学』P194]
学校のクラスでたとえようか、バッサリとね。
国制=学級は、給食委員とか美化委員とか、どんな「公職」があるのか、それぞれの公職がどのように体系化・編成されているのか、そして、それら委員はどのように選ばれるのか、選挙か、テストの成績順か何なのか、で、そもそも最高の実力者、究極の権限は、どこの役職(の誰)に付与されるのか、どのようにして選ばれるのか、などによって区分されることになるわけ
さて、アリストテレスはじつにたくさんの国制について議論してるんだが、ぼくらはべつにアリストテレスの政治哲学について研究してるわけじゃないし、古代ギリシアの国制について知りたいわけじゃないからね、要点だけ、またしてもバッサリと整理しちゃいましょう
まず、アリストテレスは最高の権限をもつ公職がどのように配分されているか(誰に帰属しているか)に着眼し、3つに分類した。
①たった一人が最高権限をもつ(公職につく)
②少数の人が最高権限をもつ(公職につく)
③多数の人が最高権限をもつ(公職につく、ことができる。たとえばくじ引きとか、交代交代に、とか)
つぎに、国家共同体(ポリス)は共通善=最高善を求めるものであるが、逸脱(堕落)することがあるとし、上述した3つの分類を、①本来あるべきカタチ、②逸脱したカタチ、の2種類に分類した。
順番に説明していこう
(①+)たった一人が最高権限をもつ、すなわち単独者支配制が、キチンと共通善=最高善を意志しているのであれば、これを王制という
(①-)ところが、こいつがね、トンデモなヤツでさ、最高権力を悪用し、共通善=最高善を無視してね、私利私欲に走ってしまった場合、これを僭主制という
そうだよ。
実際、アリストテレスも僭主制が一番ダメだといってる
(②+)少数の人が最高権限をもつんだが、キチンと共通善=最高善を意志しているとき、これを貴族制(優秀者支配制)という
(②-)ところが、こいつらがよってたかって既得権益に群がり、手放そうとしないなど、やはり私欲に走ってしまった場合、これを寡頭制という
(③+)多数の人に(最高の公職に選挙やくじ引きでつくことができたり、あるいは共同体が抱える問題は議決するとかいったカタチで)最高の権限があり、かつ共通善=最高善を意志するものを共和制という
それぞれの分類の中では、いまの日本に一番近いパターンかな?
で、それが数にモノを言わせて堕落し、私利私欲に走った場合、たとえば、何でもかんでも多数決で決まるならさ、みんなでグルになり、突出した金持ちはみんな吊るし上げてしまえ! とかいうことにもなりかねない。
そういうふうにね、ルサンチマンな感情だけが先走って暴走しちゃったケースをね、民主制という
あれ、民主制って言葉が悪い意味で使われてるんですね
で、結局アリストテレスは、①王制、②貴族制、③共和制の、どれがベストな国制だと見てるんですか?
おおむね、次の2つの観点から最善の国制について論じている、と見てよいだろう。
①現実(実現可能性)をカッコにくくり、あくまで理念的に考えられ得る最善の国制
②机上の空論ではなく、置かれた状況に向き合い、その中で求められ得る最善の国制
でだ、机上の空論はさておき、あくまで実践的なレベルにおいてだと、当然、②を意識することになるよね?
そして、この場合はね、とくに留意しないといけないのが、富と貧困
「民主制と寡頭制を互いに区別する真の根拠は貧困と富である。つまり、少数者であるか多数者であるかにかかわらず、人々が富のゆえに支配の座に就くならば、その国制は必然的に寡頭制であり、貧困者たちが支配の座に就くならば、その国制は必然的に民主制なのである」[『政治学』:P152]
現実問題、国家共同体は往々にして、少数の富裕層(VS)多数の貧困層という火種を抱え込んでいる。
ここで、少数の富裕層が実権を握ると寡頭制へ、逆に多数の貧困層が実権を握ると民主制へ至るってわけ
でね、寡頭制において、実権を握る富裕層がさ、自分たちだけで美味しい汁を吸い続けていると、それこそ最悪の寡頭制となり、場合によっては、貧困層による内乱を招いてしまう。
このとき、貧困層による反乱をひっぱるリーダーが、アリストテレスのいう民衆扇動家。
ところが、だ。
いわば革命が成功した途端に、この民衆扇動家がね、独裁者に転じてしまうことがある。
つまり、今度は逆に最悪の僭主制を招いてしまう、ってわけ
あるいは、寡頭制が貧困層による反乱を招かなかったとしても、財をむさぼる富裕層が欲に目がくらんでね、いわば共喰いをしていくと、結局、私利私欲の王様みたいな独裁者が誕生することになる。
つまり、これはこれで最悪の僭主制を招く、というわけだ
以上を、図式的にまとめると・・・・・・
僭主制←寡頭制←少数の富裕層(VS)多数の貧困層→民主制→僭主制
ということでね、
見事なまでに一周する。
最悪のループ、出口なし
いや、出口はあるんだよ。
それが、アリストテレスのいう、現実的なレベルでの最善の国制だ
[引用文献]
・『アリストテレス全集17 政治学・家政論』神崎繁・相澤康隆・瀬口昌久訳、岩波書店、2018
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