8 ホッブズ『リヴァイアサン』(2)
文字数 1,932文字
まぁね。そのとおり
ちなみに、今村仁司(1942-2007)さんは、『排除の構造』(ちくま学芸文庫、1992)の中で、最初のパターンのイジメを下方排除、後者のパターンのイジメを上方排除とし、概念化している
『排除の構造』は名著だと思う。
いずれ、チャットノベル『哲学探究Ⅱ <社会>とは何か?』を連載していく予定でいるので、そのときにね、あらためてイジメのことも含め、この本を取り上げつつ、社会的排除の問題を論じてみたいと思うね
ホッブズはいう。
「蜂や蟻の調和は自然のものであるが、人間相互の調和は、契約にもとづかない限り成立しない。それは人為的なものである。したがって、人間相互の調和を恒常的、永続的なものにするためには、当然のことながら、契約のほかに何か別の要素が必要になる。それは、人間を畏怖させ、共通の利益に向けて人間の行動を方向づける公的な権力である」[『リヴァイアサン(2)』(以下②とする):P19]
ところが、人間の場合、一つには他者たちに対する(殺されたくないという)恐怖心から、一つには私財を奪われずにいたい、つまり努力すればそれらの財がキチンと手に入り、かつ確保・維持できるようでありたいという願望や期待感から、この闘争状態はなんとかならんものか、と思うようになる、とホッブズはいう。
ただしこれはね、あくまで欲望のレベルの話
自然法とは「理性によって発見された人倫すなわち普遍的な行動規範」[①P223-4]のことなんだけど、もう少し補足してみよう。
そもそも人間に理性を授けてくれたのは、造物主=神。
でね、自然法とは、その理性の声に耳を傾けたとき、聞こえてくるもののこと。
さらにいうと、人間ならばみな同じ声が聞こえてくるんだ。それが普遍ってことの意味。
でね、ちゃーんと耳をすますことができたなら、自然法がいう「こうしたら、いいのに~」「このルールをみんなで仲良く守ることができたら、万人が万人を敵とする闘争状態は終わらせることができるのに~」という声に従うことができたなら、闘争状態は終わるよ、ってわけ
[引用文献・参考文献]
・ホッブズ『リヴァイアサン(1)』角田安正訳、光文社古典新訳文庫、2014
・ホッブズ『リヴァイアサン(2)』角田安正訳、光文社古典新訳文庫、2018
・今村仁司『排除の構造』ちくま学芸文庫、1992