14 ロック『統治二論』(2)
文字数 1,748文字
ロックもまたホッブズと同様、人間は基本的に平等だと考えている。
で、統治権力(法)のない状態においては、内なる神の声ともいえる理性=自然法に基づいて暮らしているのが本来的な在り方だ、とする。
このへんは、ホッブズと同じだ
ロックは言う。
【自然状態はそれを支配する自然法をもち、すべての人間がそれに拘束される。そして、その自然法たる理性は、それに耳を傾けようとしさえすれば、全人類に対して、すべての人間は平等で独立しているのだから、何人も他人の生命、健康、自由、あるいは所有物を侵害すべきではないということを教えるのである。というのは、人間が、すべて、ただ一人の全能で無限の知恵を備えた造物主の作品であり、主権をもつ唯一の主の僕であって、彼の命により、彼の業のためにこの世に送り込まれた存在である以上、神の所有物であり、神の作品であるその人間は、決して他者の欲するままにではなく、神の欲する限りにおいて存続すべく造られているからである】[『統治二論』:P298-9]
ただ、同じ自然状態を論じていも、
ホッブズの場合は、人間は本来的に平等(似たり寄ったり)であるがゆえ、互いに(襲われるんじゃないかという)疑心暗鬼に陥り、万人が万人を敵とする闘争状態へシフトしがちだ、とするが、
ロックの場合は、万人が理性=自然法に従う平和共存的な自然状態と、ホッブズが描くような戦争状態とは区別すべきだ、とした
誤読を怖れず平易に言い切るなら、性善説と性悪説の違い、みたいな・・・・・・
私見としては、ホッブズはニヒルなリアリストだなぁ、って感じ。
ロックの場合、彼にとって人間とはあくまで神の作品だからね、自然状態においてすでに神の作品である人間が汚れてちゃアカンでしょう
ニュアンスの問題だよ。
ぼくらのいう所有権はさ、宗教的な色には染まってないでしょ。
だからプロパティを所有権とはストレートに訳せないんだよ。
平易に言うなら、ロックの「固有権」が世俗化したものが「所有権」だといえる
ちなみに、ロックはね、原初的な時代においては、固有権(あるいは所有権)の争いは生じにくい、とする。
というのも、狩りで獲物をとってきたところで、保管がきかないからね、すぐに食べるにしても、限度がある。だから仲間と争わずに分けあう。
万事そんな具合でね、蓄積がきかないからさ、人と人とは分かちあいの関係になる
あえて補足するなら、貨幣がまだない自然状態ならば、まぁ簡単に言うとね、手に入るものがすぐに腐ってしまうから、所有の格差が生じず、かつ同時に所有をめぐる争いもなかった。
が、貨幣の登場により、所有を無際限に膨らませることができるようになると、いよいよ所有と所有が競合し、ぶつかり合うようになる。
ゆえに、その裁き手である第三者権力(公権力)が求められる、ってとこかなぁ
[引用文献・参考文献]
・ジョン・ロック『完訳 統治二論』加藤節訳、岩波文庫、2010
・加藤節『ジョン・ロック ―神と人間との間』岩波新書、2018