6 音楽は「魂」によい?
文字数 2,813文字
『政治学』末尾に公教育についての話がでてくるんだ。
アリストテレスはね、基本的な教科として、
①読み書き
②体育
③音楽
④図画
を挙げている。
①と④は実用的であり、②は勇気を育てる、とする。
勇気は戦士として共同体を守るにはふさわしい資質であるから、まぁ、実用的ともいえるけどね
詳しくは別の機会に話すこととして、論点だけ記しておくとね、
①そもそも、魂とか心なるものを実体化してしまう思考は間違えている(この点については、チャットノベル『世界宗教探究Ⅰ:インド篇』で脳科学を援用しながら部分的に触れる予定)。魂は身体の中に入っていないし、心もまた脳の中には入っていない。
音楽というインプット(S=刺激)が身体=脳に作用すると、中に入っている魂=心が豊かになる(R=反応)という、極めて単純なSR理論は、そもそも成立してないんだよ。
https://novel.daysneo.com/works/74e4566c2914912a141ca08628f51925.html
また、②音楽など芸術に触れると心が豊かになる、という言説は、そもそも空虚なんだよ。
これについては、チャットノベル『「社会包摂」が「過剰包摂」にならないためのABC』で少し触れているので、参照されたい。
https://novel.daysneo.com/works/ee8663c0e8bcf60540066965404f7812.html
さて、アリストテレスに戻ると、彼はね、魂に善い効果を与える音楽(や楽器)は好ましいが、そうでないものはダメだ、といっている。
ここは注目してよい。
たとえば、熱狂的なムードを煽る「笛」は基本的にはダメだというんだ。
今日でいうなら、ヴァイオリンは善いが、エレキギターはダメってことだろうね
話せば長くなるから、一言だけに止めると、ここには西洋的あまりに西洋的な二項対立的価値基準が横たわっているんだよ。
たとえば、「精神(>)肉体」と「男(>)女」を使って説明するとね、
精神は肉体より優れており、男は女より優れている、
また、男は精神的な生き物であり、女は肉体的な生き物である、とかね・・・・・・
つまり、西洋的思考は、往々にして、+の概念と-の概念を対にしてね、「+(>)-」としてね、それぞれの「+」の項と、「-」の項を連結・接続していくんだよ。
たとえば、「硬いもの(>)もろいもの(移ろいやすいもの)」という二項対立的価値基準がある。
彫刻は硬いからね、芸術として価値があり、ファッションは移ろいゆくからね、劣るとされるんだわ、マジで。
もっというと、彫刻は男の仕事、ファッションは女の仕事、とか連結していく・・・・・・
また、男(の身体)は硬く、女(の身体)はもろい、とか連結していく・・・・・・
音楽の話に戻すとね、
「落ち着いたもの(>)慌ただしいもの」
「じっとしているもの(>)騒々しいもの」
という二項対立的価値基準がある。
たとえば、沈思黙考する哲学者は価値が勝り、あくせく動き回る労働者は劣る。
精神は落ち着いたものであり、身体は動き回るものだ。
と、似たような発想でもってね、ゆったりとした音楽は価値が勝り、胸の鼓動を慌ただしくドンドンと突いてくるような音楽はダメだ、劣るんだって価値観と容易に連結する
あるアーティストから、音響効果が健康状態に影響を及ぼすというデータがあるって聞かされた。
実際に論文とか見てるわけじゃないから、なんとも言えないが、あり得る、と思う。
物質的(周波数的)、あるいは化学反応的なレベルで、本能的なレベルで、音楽と身体が関係したとしても不思議じゃないよね?
そういう意味では、「善い音楽/悪い音楽」を完全に相対主義的価値観(文化)の問題に還元してしまうのは間違いだろう
[参考文献・引用文献]
・『アリストテレス全集17 政治学・家政論』神崎繁・相澤康隆・瀬口昌久訳、岩波書店、2018