13 ロック『統治二論』(1)

文字数 2,529文字

さてと、ホッブズについては以上としよう
ふぁーい

<civil society>という言葉は、アリストテレスがいう『国家共同体』の訳語として16世紀末に導入されていたが、ホッブズの段階へ至ると、<Common-wealth(コモン・ウェルス)>へ切り替わっていた、ということだけ押さえておこうね。

ま、植村さんのウケウリだけどさ

でね、この<Common-wealth(コモン・ウェルス)>なる概念をさ、かの有名なジョン・ロック(1632-1704)もまた踏襲するわけ
う~ん、なかなか市民社会がでてこないですね~
うん、そうだね

さて、ロックには、アメリカの独立宣言やフランス革命に影響を与えたとされる、世界史の教科書にもでてくる『統治二論』(1690)なる大著がある。

ちなみに、ぼくがガキだった頃は、先生からね、『統治二論』はイギリスの名誉革命を正当化するために執筆された、と教えられたんだが、現在の研究成果としては、それは否定されてる。

というのは、名誉革命よりも前に、原稿が整っていたからだ

ホッブズのところでふれたとおり、イングランドの政治は、国王(VS)議会という緊張関係を孕んでいた。

ホッブズの場合、『リヴァイアサン』を見る限り、一者支配にシンパシーがあるように読めるが、ただ、あくまで理論的にはね、どっちゃでもえーから、2頭はダメよ、1頭じゃないと分裂するよ、という主張だった

船頭は1つ、ってことね

ロックの場合も、あくまで理論的には、国王か、議会か、とかいうのは根本的な問題ではなく、後で詳しく見ていくが、法に基づく固有権(プロパティ)の保全の方が肝心、ということになっている。

が、『統治二論』を見る限り、一者支配にはネガティブだったと思われる。

このへんが、あくまで印象的にはね、ホッブズとは真逆であり、現代の民主主義的観点からするとね、ホッブズよりもロックの方が好かれる所以となるのだろう

実際、『統治二論』の前半、最初の論はね、徹底していわゆる王権神授説を叩き潰しにいっている。

ロックが『統治二論』を執筆していた時代背景として、国王権力を拡張しようとする動きがあったからだ。

当時、国王権力の絶対性と神聖性を説くサー・ロバート・フィルマー(1588頃‐1653)の『パトリアーカ』ほか、その著作が次々に再刊されていたという

『パトリアーカ』をぼくは読んでないから知らないけれど、ロックはね、フィルマーの主張を2点に集約させている。

①すべての統治は絶対王政であること。

②いかなる人間も自由には生まれついてないということ。

フィルマーの論拠は、簡単に言うとね、

(1)この世界を創造した神は、アダムに地上(イブと子どもたちを含む)の支配権を与えた。

(2)現在の君主は、アダムの末裔(直系)である。

(3)ゆえに、君主は(アダムの子孫たちに対する)絶対的な支配権をもつ。

というものだ

無茶苦茶な論法ですね

キリスト教徒ではないぼくらから眺めると、失笑するしかない論法なのだが、ロックはね、敬虔なキリスト教徒だったので、かなり真面目な反論を長々と展開している。

正直、前半は退屈だ・・・・・・

たとえば、【神は、この贈与において、世界を人類に共通に与えたのであって、アダムだけに特別に与えたのではない】[訳書:P73]とか言って反論している
【聖書は、父親と母親との権威を、彼らが儲けた子供との関係に関してはまったく同等にしている】[訳書:P123]とも
つまり、アダム(およびその直系)は、地上に対する独占的な権限も、妻=女に対する一方的優位も、2人で儲けた子どもに対する独占的権限も、所持してはいない、ってことね

現代人からすると、当たり前の話ですよね。

親権は平等!

ここには、敬虔なキリスト教徒としてのロックのね、独特な人間観があるんだよ
フィルマーの王権神授説を認めてしまうと、人々はみな君主の奴隷のような扱いになってしまい、かつ、それが神の意志だとされてしまう

ロックの人間観は、それを絶対に許さないんだ。

ロックの研究者である加藤節さんはね、ロックの人間観について、【人間を、「神の目的」に仕えるべき義務を負って創造された「神の作品」とみなす信念】[訳書:P602-3]と記している

また、同じく加藤さんは、『ジョン・ロック ―神と人間との間』(岩波新書、2018)の中で、次のように記してもいる。

引用しよう

【ロックは、『統治二論』、とくにその前篇において、人間が「自由には生まれついていない」ことを強調するフィルマーの家父長権論版王権神授説を次のように批判した。すなわち、フィルマーの主張によれば、人間は、ただ「絶対的な君主権」に受動的に服従することしかできない無力な「奴隷」に還元されてしまうというのがその批判の要点であった】[加藤:P85]
【この批判もまた、ロックが、フィルマーの思想に、人間が神への義務をはたす可能性を閉ざす危険性をみたことを示すものであった。君主権力にただ隷従するだけの人間は、神があたえた「自分自身の義務を発見するのに十分な光」である理性を用いて神への義務を自ら認識し、実践する自発性や主体性を発揮する道を奪われてしまうからである】[加藤:P86]

要するに、ロックの人間観はね、一人一人が神の意志に沿った自己実現をしていくことさ。

それが、ひとたびフィルマーの王権神授説を認めてしまうならば、あるいは、それを理論的バックボーンとしてね、王権が際限なく伸長していくならば、人々はみな奴隷のようになってしまい、神の意志を生きる術がなくなる、だからNO! ってこと

西洋思想における、キリスト教の影響力って、パないね
そうだよ、もちろん
ロックの思想は、そのベースとなるキリスト教的人間観、あるいは信念からしてね、独裁的な専制権力とは根本的に相いれないんだよ

なるほど。

にしても、まだ市民社会の話は遠そうですね・・・・・・

先取りすると、ヘーゲルの登場まで待たないといけない
それはさておき、まずはロックをもう少し見てみようよ
ふぁ~い

[引用文献・参考文献]

・ジョン・ロック『完訳 統治二論』加藤節訳、岩波文庫、2010

・加藤節『ジョン・ロック ―神と人間との間』岩波新書、2018

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登場人物紹介

デンケンさん(49)・・・・・・仙人のごとく在野に生きることを愛する遊牧民的活字ドランカー。かつては大学院にいたり教壇に立ったりしていたが、その都度その都度関心があることだけを考えていきたい、という専門性を磨こうとしないスタンス、及び『老子』の(悪)影響があり、アカデミズムを避けた・・・・・・がゆえに一介のサラリーマンである(薄給のため独身、おそらく生涯未婚)。

朝倉恭平(30)・・・・・・ご近所の鷺ノ森市文化創造センターに契約職員として勤務。

(チャットノベル『毒男女ぉパラダイス!!』の登場人物・朝倉5年後の姿)

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