13 ロック『統治二論』(1)
文字数 2,529文字
<civil society>という言葉は、アリストテレスがいう『国家共同体』の訳語として16世紀末に導入されていたが、ホッブズの段階へ至ると、<Common-wealth(コモン・ウェルス)>へ切り替わっていた、ということだけ押さえておこうね。
ま、植村さんのウケウリだけどさ
さて、ロックには、アメリカの独立宣言やフランス革命に影響を与えたとされる、世界史の教科書にもでてくる『統治二論』(1690)なる大著がある。
ちなみに、ぼくがガキだった頃は、先生からね、『統治二論』はイギリスの名誉革命を正当化するために執筆された、と教えられたんだが、現在の研究成果としては、それは否定されてる。
というのは、名誉革命よりも前に、原稿が整っていたからだ
ホッブズのところでふれたとおり、イングランドの政治は、国王(VS)議会という緊張関係を孕んでいた。
ホッブズの場合、『リヴァイアサン』を見る限り、一者支配にシンパシーがあるように読めるが、ただ、あくまで理論的にはね、どっちゃでもえーから、2頭はダメよ、1頭じゃないと分裂するよ、という主張だった
ロックの場合も、あくまで理論的には、国王か、議会か、とかいうのは根本的な問題ではなく、後で詳しく見ていくが、法に基づく固有権(プロパティ)の保全の方が肝心、ということになっている。
が、『統治二論』を見る限り、一者支配にはネガティブだったと思われる。
このへんが、あくまで印象的にはね、ホッブズとは真逆であり、現代の民主主義的観点からするとね、ホッブズよりもロックの方が好かれる所以となるのだろう
実際、『統治二論』の前半、最初の論はね、徹底していわゆる王権神授説を叩き潰しにいっている。
ロックが『統治二論』を執筆していた時代背景として、国王権力を拡張しようとする動きがあったからだ。
当時、国王権力の絶対性と神聖性を説くサー・ロバート・フィルマー(1588頃‐1653)の『パトリアーカ』ほか、その著作が次々に再刊されていたという
フィルマーの論拠は、簡単に言うとね、
(1)この世界を創造した神は、アダムに地上(イブと子どもたちを含む)の支配権を与えた。
(2)現在の君主は、アダムの末裔(直系)である。
(3)ゆえに、君主は(アダムの子孫たちに対する)絶対的な支配権をもつ。
というものだ
ロックの人間観は、それを絶対に許さないんだ。
ロックの研究者である加藤節さんはね、ロックの人間観について、【人間を、「神の目的」に仕えるべき義務を負って創造された「神の作品」とみなす信念】[訳書:P602-3]と記している
要するに、ロックの人間観はね、一人一人が神の意志に沿った自己実現をしていくことさ。
それが、ひとたびフィルマーの王権神授説を認めてしまうならば、あるいは、それを理論的バックボーンとしてね、王権が際限なく伸長していくならば、人々はみな奴隷のようになってしまい、神の意志を生きる術がなくなる、だからNO! ってこと
[引用文献・参考文献]
・ジョン・ロック『完訳 統治二論』加藤節訳、岩波文庫、2010
・加藤節『ジョン・ロック ―神と人間との間』岩波新書、2018