7 ホッブズ『リヴァイアサン』(1)
文字数 2,652文字
ホッブズの著書『法の原理』(1940)にも『市民論』(1942)にも<civil society>がでてくるらしいね。
ただし、後で説明するけど、ホッブズはアリストテレス『政治学』の内容には批判的であったため、国家共同体を表す用語としても、いわばアリストテレスの色に染まった<civil society>の使用を放棄し、<Common-wealth(コモン・ウェルス)>という概念を用いるようになる、その後は
うん。
ただ、ホッブズは国家共同体の意味で使ってるんだけどね。
海獣リヴァイアサンは、地上においては神の次に強いというが、それって現実には国家でしょ?
あるいは、国家はそうあらねばならない、的な含みがあるのだろう。
後で説明するが、もっと言うと、地上の平和を守るのは、究極的には神様なんだろうが、現実には国家だ、ってことだね
まず、ホッブズとアリストテレスは共同体を論じる上で、そのベースが、決定的に異なるんだ。
アリストテレスの場合、すでに見てきたように、人の自然的性向としてね、「支配する者/される者」の区分が自ずから生じてくる、とする。
具体的には、たとえば、男が支配し、女は支配されるものだ、そうなるものだ、とする。
自由人と奴隷の区分も、人が集まり暮らせば自然と生じてくるものだ、とする
ホッブズの場合、そういった「支配する者/される者」という区分は、自ずからそうなっていくものではなしに、完全に人為的なものだ。
なぜなら、人間はその能力において、所詮は似たり寄ったりであり、大きな差はなく、平等にできているからだ、という。
引用しよう
ホッブズは、所詮人間なんて似たり寄ったりで、その能力値はおおむね平等にできてる、と考えていた。
「いや、そんなことない」と思うのは、自身の自惚れによるものである、と。
もっと言うとね、たいていの人間は「(他人より)頭がいい」と思ってるけれども、それ、みんなが同じように思ってることだよね、と。
大半の人間は、たいしたことないにも関わらず、自分は特別だ! なーんて思ってる、と
となると、どうなるか?
どんなに自分が強くとも、人間たちの間にあってはまったく安心できない、自分の所有物は奪われるかもしれない、あるいは自分の命も狙われるかもしれない。
不安で、不安で、たまらなくなる。
ゆえに、猜疑心がつのり、相手(他者たち)を信頼できず、疑心暗鬼になる。
と、ホッブズは心理シミュレーションする
また、いつ襲われるかとビクビクしてても仕方ないし、安心できないので、だったら先手を打って敵(仮想敵)を潰してしまえ! と考えたりするようになる。
敵愾心が高まってくる。
とも、ホッブズは心理シミュレーションした
さらにホッブズは、人間というのは気位が高いのが常で、プライドが傷つけられるとキレる。
ゆえに、自負心から喧嘩に走りやすいとも考えた。
ホッブズはいう。「人間の本性には紛争の原因となるものが主として三つあることが分る。第一に、敵愾心、第二に、猜疑心、第三に、自負心。これらのものに突き動かされると人は侵略に走る。第一の、敵愾心にもとづく侵略は、利益の獲得を目的とする。第二の、猜疑心にもとづく侵略は、安全を確保するためである。第三の、自負心にもとづく侵略は、名声を得るためである」[①:P216]
[引用文献]
・ホッブズ『リヴァイアサン(1)』角田安正訳、光文社古典新訳文庫、2014