7 ホッブズ『リヴァイアサン』(1)

文字数 2,652文字

さて、<civil society>という言葉は、アリストテレスがいう『国家共同体』の訳語として16世紀末に導入された、ってことだったね

その後、どのように展開していったのかというと、植村さんによれば、大著『リヴァイアサン』で有名なトマス・ホッブズ(1588-1679)に使われている、という

ホッブズの著書『法の原理』(1940)にも『市民論』(1942)にも<civil society>がでてくるらしいね。

ただし、後で説明するけど、ホッブズはアリストテレス『政治学』の内容には批判的であったため、国家共同体を表す用語としても、いわばアリストテレスの色に染まった<civil society>の使用を放棄し、<Common-wealth(コモン・ウェルス)>という概念を用いるようになる、その後は

コモン・ウェルス、どっかで聞いたことあるような気が・・・・・・

それじゃ、ホッブズの政治思想について概観してみようか。

<Common-wealth>が登場するのは、さっきいった主著ともいえる『リヴァイアサン』だよ。

読んだことある?

ないけど、リヴァイアサンならわかるよ。

旧約聖書にでてくる海の怪獣でしょ?

うん。

ただ、ホッブズは国家共同体の意味で使ってるんだけどね。

海獣リヴァイアサンは、地上においては神の次に強いというが、それって現実には国家でしょ?

あるいは、国家はそうあらねばならない、的な含みがあるのだろう。

後で説明するが、もっと言うと、地上の平和を守るのは、究極的には神様なんだろうが、現実には国家だ、ってことだね

なるほど。

なんつーか、『リヴァイアサン』って書名、カッケーですね

ぼくもそう思う。

タイトルだけで買っちゃいそうな・・・・・・

ちなみに『リヴァイアサン』は全4部から成るが、1部と2部については新訳がでている。

角田安正さん訳で、光文社文庫から。

オススメ

ぼく、耳学問派なんで
あ、そうだったね・・・・・・

まず、ホッブズとアリストテレスは共同体を論じる上で、そのベースが、決定的に異なるんだ。

アリストテレスの場合、すでに見てきたように、人の自然的性向としてね、「支配する者/される者」の区分が自ずから生じてくる、とする。

具体的には、たとえば、男が支配し、女は支配されるものだ、そうなるものだ、とする。

自由人と奴隷の区分も、人が集まり暮らせば自然と生じてくるものだ、とする

ホッブズの場合、そういった「支配する者/される者」という区分は、自ずからそうなっていくものではなしに、完全に人為的なものだ。

なぜなら、人間はその能力において、所詮は似たり寄ったりであり、大きな差はなく、平等にできているからだ、という。

引用しよう

造物主は人間を心身のさまざまな能力において平等につくった。したがって、他と比べて明らかに身体が頑健で、頭がよいという者がしばしば見受けられるにしても、すべての能力を総合するなら、個人差というものはたいして大きくならない」[『リヴァイアサン(1)』(以下①とする):P212]
「人によってはもしかすると、このような平等性を信じないかもしれない。それは、自分には才知があるという自惚れが働くからである。大半の人間は、一般大衆よりもはるかに才知があると自己評価している」[①:P213]

ホッブズは、所詮人間なんて似たり寄ったりで、その能力値はおおむね平等にできてる、と考えていた。

「いや、そんなことない」と思うのは、自身の自惚れによるものである、と。

もっと言うとね、たいていの人間は「(他人より)頭がいい」と思ってるけれども、それ、みんなが同じように思ってることだよね、と。

大半の人間は、たいしたことないにも関わらず、自分は特別だ! なーんて思ってる、と

あ、なんかオレ、ホッブズに共感するわ。

いいこと言う

ただね、ホッブズの場合、人間の能力値が平等であるからこそ、逆に問題が発生するという。

たとえば・・・・・・

「肉体的な強さについて言えば、最もひよわな者であっても、密かに陰謀を企てるか、あるいは自分と同様の危険にさらされている者を語らうかすれば、最強の者を討つことは可能である」[①:P212]

つまり人間の場合、弱肉強食とはいかない。

強い肉だって、徒党を組んだ弱者と対峙すれば、食われてしまうことになる

となると、どうなるか?

どんなに自分が強くとも、人間たちの間にあってはまったく安心できない、自分の所有物は奪われるかもしれない、あるいは自分の命も狙われるかもしれない。

不安で、不安で、たまらなくなる。

ゆえに、猜疑心がつのり、相手(他者たち)を信頼できず、疑心暗鬼になる。

と、ホッブズは心理シミュレーションする

また、いつ襲われるかとビクビクしてても仕方ないし、安心できないので、だったら先手を打って敵(仮想敵)を潰してしまえ! と考えたりするようになる。

敵愾心が高まってくる。

とも、ホッブズは心理シミュレーションした

さらにホッブズは、人間というのは気位が高いのが常で、プライドが傷つけられるとキレる。

ゆえに、自負心から喧嘩に走りやすいとも考えた。

ホッブズはいう。「人間の本性には紛争の原因となるものが主として三つあることが分る。第一に、敵愾心、第二に、猜疑心、第三に、自負心。これらのものに突き動かされると人は侵略に走る。第一の、敵愾心にもとづく侵略は、利益の獲得を目的とする。第二の、猜疑心にもとづく侵略は、安全を確保するためである。第三の、自負心にもとづく侵略は、名声を得るためである」[①:P216]

で、このような状態であるから、つまり人間は本性において平等であるがゆえに互いに疑心暗鬼となり、先手を打って相手を傷つけたり(先制攻撃)、あるいは猜疑心から相手を信用せず、守りを固めたり(軍備増強)、あるいは相手と自分は同等だと思っているがゆえにプライドを傷つけられるとキレたり、あるいは相手に自分の威を認めさせるため、喧嘩をふっかけたりと、なにかと人間の間には争いが絶えなくなる
この袋小路な状態を、ホッブズは、万人が万人を敵とする闘争状態と呼称する
あ、なんか聞いたことある

だよね。

有名だよね

人間は平等であるがゆえに、放っておくとね、闘争状態に陥りやすいってことだよ
さてと、それじゃあこのね、万人が万人を敵とする闘争状態を終わらせるためには、どうすればよいか?

リヴァイアサン、でしょ?

話の流れからすると

うん

[引用文献]

・ホッブズ『リヴァイアサン(1)』角田安正訳、光文社古典新訳文庫、2014

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登場人物紹介

デンケンさん(49)・・・・・・仙人のごとく在野に生きることを愛する遊牧民的活字ドランカー。かつては大学院にいたり教壇に立ったりしていたが、その都度その都度関心があることだけを考えていきたい、という専門性を磨こうとしないスタンス、及び『老子』の(悪)影響があり、アカデミズムを避けた・・・・・・がゆえに一介のサラリーマンである(薄給のため独身、おそらく生涯未婚)。

朝倉恭平(30)・・・・・・ご近所の鷺ノ森市文化創造センターに契約職員として勤務。

(チャットノベル『毒男女ぉパラダイス!!』の登場人物・朝倉5年後の姿)

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