10 ホッブズ『リヴァイアサン』(3)
文字数 1,856文字
ホッブズは(国家の)主権者に権限を集中させるべきだ、しかも徹底的に大きくだ、としながらも、捕まったって臣民は自白しなくていい、とか、戦争へ行けといわれたって納得してないなら行かなくていいよ、とか、まるで主権者の権限を軽視するようなことを許している。
一見すると、矛盾しているように思える。
しかしこれには、理由がある
ホッブズが最重要視するのは、各人の生命の安全、ならびに、ただ命があるだけでは意味ないから、そこそこの暮らしを支えるための財、それが他人に奪われないこと、だ。
しかしすでに言ったように、万人が万人を敵とする闘争状態においては、それが期待できない。
いつ命を奪われるか、いつ財を奪われるか、わからないから・・・・・・
ゆえに、公権力を要請したわけだね
ところが、だ。
そう思って公権力の傘下に入ったはいいが、逆にね、むしろ自分の生命が(その公権力によって)脅かされてしまうようでは本末転倒ってことになる。
だからホッブズは、たとえば、国家のために命を捨てよ! なんてことは絶対に言わない。
国家の存続より、自分の命のほうが優先するんだからね。
ただし、国家が征服される=自分が殺される(あるいは奴隷にされる)がゆえに、命をかけて戦う、という選択が勇敢だと推奨されることにはなるだろうが
ホッブズの立論は3層仕立てでね。
まず第1層、根っこの部分には、自己保存の欲望がある。つまりは身の安全と私財の確保。
その上、第2層には、自然法がある。自然法は繰り返しになるが「公平・正義・慈悲・謙虚などの、守るべき倫理的な徳目」[②:P330]だ。
万人が自然法に従うなら、国家は不要だ。しかし、そうはいかない。
ゆえに、さらにその上、第3層に国家が誕生することになる。
ツールってドライに言い切ってしまうと、いくつかある手段の一つ、みたいな感じに聞こえてしまうけど、ホッブズ的にはね、安全保障のためには、他のツールがないんだから、ちょっとニュアンスが違うかなぁ
だからね、ホッブズはこうもいう。
「不可抗力の事故のために、みずからの勤労による自活が望めない人が少なからず存在する。そのような人々は、民間の慈善に任せるのではなく国家の法によって(生活の必要に応じて)養ってやるべきである」[②:P307]
つまり、そうはならないように、国家的救済措置の必要性をうたってる
さて、ここまでの話を簡単にまとめておこう。
ホッブズの立論の特徴はね、
①権限は徹底して一箇所(主権者)に集める、
けれども、それは各人の自己保存のためであるから、
②べつに主権者の奴隷になるわけじゃない(個人が優先)、
ってところかな。
だから、前にも言ったけど、ときどき「ホッブズは独裁国家(専制君主)を肯定した」なんて誤解してる人がいるんだけど、それは違うってのがわかるでしょ?
国家のためにも君主のためにも死ぬ必要はない。滅私奉公する義理もない。
一番大切なことは、我が身なんだから、ね
[引用文献・参考文献]
・ホッブズ『リヴァイアサン(2)』角田安正訳、光文社古典新訳文庫、2018