15 ロック『統治二論』(3)

文字数 2,234文字

さて、ホッブズの場合、万人が万人を敵とする闘争状態を終わらせるために、公権力が要請されたが、ロックも基本線は似ている

まず、ロックは以下のとおり述べる。

神は、人間を次のような被造物に創造された。すなわち、神は、「人独りいるのは善からず」との判断から、人間を、必要性、便宜、性向という強い拘束の下に置かれて社会をなさざるをえないようにされるとともに、社会を存続させ享受させるために、人間に知性と言語とを与えられたのである】[『統治二論』:P384]

神の意志により、まずは人間たちは家族を形成するようになる、とロックはいう。

ちなみにアリストテレスの場合はさ、神を持ちださず、人間の本来的性向からそうなる、としていたよね

そうでしたね

ただし、単に家族が至る所に併存するだけではね、いつでも戦争状態へ巻き込まれてしまう可能性がある。

たとえば、暴力的なトンデモ血縁集団が出現し、近隣の家族に襲い掛かるかもしれない。

そうなるとまさにホッブズのいう、万人が万人を敵とする闘争状態だ。

つーことで、やっぱりロックもね、平和と安全のために、公権力を要請するんだわ。

ちょっと長いが引用してみよう

【人間は、生まれながらにして、他のどんな人間とも平等に、あるいは世界における数多くの人間と平等に、完全な自由への、また、自然法が定めるすべての権利と特権とを制約なしに享受することへの権原をもつ。それゆえ、人間には、自分の固有権、つまり生命、自由、資産を他人の侵害や攻撃から守るためだけではなく、更に、他人が自然法を犯したときには、これを裁き、その犯罪に相当すると自らが信じるままに罰を加え、自分には犯行の凶悪さからいってそれが必要と思われる罪に対しては死刑にさえ処するためにも、生来的に権力を与えられているのである。しかし、政治社会は、それ自体のうちに、固有権を保全し、そのためにその社会のすべての人々の犯罪を処罰する権力をもたない限り、およそ存在することも存続することもできないから、政治社会が存在するのは、ただ、その成員のすべてが、(自然法を自ら執行する)その自然の権力を放棄して、保護のために政治社会が樹立した法に訴えることを拒まれない限り、それを共同体の手に委ねる場合だけなのである。こうして、個々の成員の私的な裁きがすべて排除され、すべての当事者にとって公平で同一である一定の恒常的な規則によって、共同体が審判者となるのである】[『統治二論』:P392-3]

自然法に基づき、人間は固有権を他者の攻撃から守る権利をもっている、と同時に、報復する権利、つまりは損害賠償を求める権利をもっている。

が、それを求める相手が暴力的に強すぎるとね、当たり前だが、泣き寝入りするしかなくなるよね。

だからこそ、公権力(政治社会)の樹立が求められるってわけさ。

自然法により、各人が一応は損害賠償を求める権利をもってはいるが、それを一斉に放棄し、公権力(政治社会)に委ねるってこと

【このようにして、政治的共同体は、その社会の成員の間で犯され、当然罰するに値すると考えられるさまざまな法律違反行為に対してどのような刑罰を加えるべきかを決定する権力(これが立法権力である)をもつようになり、同時にまた、その成員ではない者がその成員に対してなした侵害を罰する権力(これが戦争と平和の権力である)をもつようになる。そして、これは、すべて、その社会の成員の固有権を可能な限り保全するために他ならない】[『統治二論』:P394]

公権力は何よりもまずは立法権力となり、共同体内における各人の固有権を保護するため、違反者を取り締まる。

また、同時に、共同体の外からの侵略に対しては、これを撃退せんとするんだね

ちなみに立法は、公共善に基づかねばならない、とロックはいう。

また、【政治社会においては、いかなる人もその法を免れることはできない】[『統治二論』:P403]とする。

ここが、ホッブズとは異なる

ホッブズは、すでに見てきたとおり、統治権力を一箇所に集中させていく。

でね、最高権力は、ある面では法に縛られないとした。

これも、すでに見てきたとおり。

なぜ最高権力が法に縛られないのかというと、まさにそれが最高権力だからだよ。

最高権力が法に縛られるのであれば、最高権力とは言えないだろう、という理屈。

もっとも、じゃあ最高権力は何をしても許されるのかっていうと、そうではなく、神の理法である自然法には従わないといけないだろう、ってのがホッブズだった

でも、最高権力が自然法を無視しても、その最高権力を<上>から罰する権力が無い

うん、そうだね。

だからホッブズの場合、もしそういう事態に陥ったならば、自己保存のため、社会学者・上野千鶴子さん風の言い方を真似るならね、各人は、

逃げよ生き延びよ

とした。

つまり、もはや各人は従わなくていい、とした

ところがロックの場合、一切権力は法に拘束されるんだよ。

法を無視していい権力者は共同体内には存在しない。

ちなみに、法はね、政治的共同体を構成する多数派の意見に基づくものだ

ここでね、多数決という、民主主義の原則みたいなものが語られてるんだけどさ、ねぇ、ちょっと考えてみなよ。

多数決ってホントに正しく、かつ合理的な決議方法だと言えるんだろうか?

少しね、ここで踏み止まり、そのへんについて言及してみたい。

ちょっと脱線するけどねぇ

ふぁ~い

[引用文献]

・ジョン・ロック『完訳 統治二論』加藤節訳、岩波文庫、2010

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登場人物紹介

デンケンさん(49)・・・・・・仙人のごとく在野に生きることを愛する遊牧民的活字ドランカー。かつては大学院にいたり教壇に立ったりしていたが、その都度その都度関心があることだけを考えていきたい、という専門性を磨こうとしないスタンス、及び『老子』の(悪)影響があり、アカデミズムを避けた・・・・・・がゆえに一介のサラリーマンである(薄給のため独身、おそらく生涯未婚)。

朝倉恭平(30)・・・・・・ご近所の鷺ノ森市文化創造センターに契約職員として勤務。

(チャットノベル『毒男女ぉパラダイス!!』の登場人物・朝倉5年後の姿)

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