17 多数決を疑う(2)
文字数 1,449文字
さて、続き。
ペア敗者規準を満たすボルダルールって良いよね~って話だったんだけど、コンドルセ(1743-1794)っていうフランスの知識人がでてきてね、「否、ボルダルールはダメ。ついでにスコアリングルールもダメ」だと批判した
その理由は、ペア敗者規準は満たしても、逆に、ペア勝者規準は満たさないことがある、という理由によるものだ。
たとえば、Aさん、Bさん、Cさん・・・・・・の中で、投票により、Aさんが選ばれたとする。
しかし、AさんよりはBさんの方がマシだった、と考える人が、BさんよりAさんの方がマシだった、と考える人より多数派になる(A<B)可能性があるってことだ
坂井さんは、いくつかの投票方法、具体的には、
①通常の多数決
②ボルダルール
③コンドルセ・ヤングの最尤法
④通常の多数決に、決選投票を付け加えたもの
⑤最下位を消去しながら多数決を繰り返していく方法
の5つが、実際に投票してみたところ、
すべて違った結果になってしまうという、マルケヴィッチの反例を紹介しているが、
ことほどさように、どれが正解なのか、わかりましぇ~ん
う~ん、ていうか、どういう場合に、どの多数決の方法を選択するのか、といった、選択の仕方が重要になってくるってことかなぁ。
たとえばF1の場合、1位10点、2位9点、とかいうボルダルールではなしに、1位の配点を高く設定しているのは、「1位になることには、2位とは違う、特別な価値がある」っていう価値観を重視してるでってことでしょ?
ロックは、国王専制を正当化する言説である王権神授説をボロクソに批判し、否定した。
その上で開かれてくる世界というのは、一言でいうなら民主主義だろう。
しかし、だ。
ロックは「多数派の決議」とかいう、非常にアッサリとした記述しか遺していない。
逆説的な言い回しになるが、多数派の決議がホントに多数派が求めていたものだと言えるのか?
多数派の決議がホントに民主的だと言えるのか?
多数決は絶対的に正しいのか?
といった疑問が呈せられるようになってきたわけ。
ロックが死んだ、後でね
[参考文献]
坂井豊貴『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』岩波新書、2015