9 ホッブズ(VS)新自由主義

文字数 4,955文字

もう一度ホッブズの言葉を引用しよう。

「蜂や蟻の調和は自然のものであるが、人間相互の調和は、契約にもとづかない限り成立しない。それは人為的なものである。したがって、人間相互の調和を恒常的、永続的なものにするためには、当然のことながら、契約のほかに何か別の要素が必要になる。それは、人間を畏怖させ、共通の利益に向けて人間の行動を方向づける公的な権力である」[②:P19]

朝倉君の指摘どおり、みんながみんな理性の内なる声=自然法に従ってくれたなら、闘争状態を終わらせることができるんだが、現実的には、そうはならないため、ホッブズは「人間相互の調和は、契約にもとづかない限り成立しない」と断ずるんだ。

ちなみに、自然法について補足すると、それは「人々を平和と服従の方向に仕向ける徳性のことにほかならない」ともホッブズはいう[②:P176]

人間の場合、平和を維持するためには契約が必要ってことで・・・・・・つまりはね、「オレはあんたの財産を奪わないから、おまえも奪うなよ」とか、そういう相互契約が必要ってことだ

そんな口約束、簡単に破られちゃうよ。

安心したところを、寝首を搔かれる

そう、そのとおりだね

だからホッブズはさらに踏み込む。

人間相互の調和は、蜂や蟻とは異なり、それこそ人為的な契約に基づく必要があるんだが、ただし、その契約がキチンと守られるためには、第三者権力によって保証されないといけない、と。

つまり、契約を破ると、この第三者権力によって痛い目に合わせられるのでなければならない、と。

そうじゃなきゃ契約は守られない

それが公権力ってことね?

そう。

公権力によって個々の契約の実効性が保証されるなら、人間相互の調和が成立し、闘争状態を終わらせることができる、とね

でだ、その公権力の打ち立て方だが・・・・・・
「公的な権力を樹立するには、方法は一つしかない。すなわち、あらゆる力をすべて一人の人間または一個の合議体にさずけるのである。力をさずけられた側では、多数決の原理にもとづいて、人々の意志を一つの意志に集約することが許される。これは、次のように命じているのに等しい。自分たちの人格を代表してくれる一人の人間または一個の合議体を任命せよ。その代表者が何をおこない、何を命令しようとも、それが全体の平和と安全を気にかけてのことであれば、各人は、代表者の行動を発案したのは自分であると認めよ。そして、自分たちの意志をすべて代表者の意志に従わせ、自分たちの判断を代表者の判断に従わせよ。これは同意とか協調とかの次元を超えている。それは、全員の参加する真の統一体である」[②:P20]
「そこには一個の人格がそなわっている。こうした統一体を成り立たせるのは、各人と各人の契約である。契約は、各人が各人に対して次のように宣言する形でおこなわれる(もっとも、これは擬制であって、実際にそのようなことをするわけではない)。『みずからを治める権利を、私はこれこれの人に(あるいは、これこれの合議体に)譲渡する。ただし、それには条件がある。すなわち、あなたもみずからの権利を同じ人物に譲渡し、その人物のすべての行動を正当と認めなければならない』」[②:P20-21]
「このような続きが完了し、多数の人々が合流して一個の人格を帯びると、それは、英語では国家(コモンウェルス)、ラテン語ではキウィタスと呼ばれる。こうして誕生したのが、強大な怪物リヴァイアサンである。あるいは、もっと厳粛に言うなら、地上の神である。人間が不滅の神のもとで平和を保ち、敵に抗することができるのも、地上の神のおかげである」[②:P21]

でましたね。コモンウェルス!

ま、要するに、リーダーを定めて、その支配下に入れってことね?

いわば共同体を<上>から吊り支えてもらうんだよ。

それが一人の人物なら、専制君主だといえる。

ただしホッブズはね、べつに一人じゃなくていい、合議体でもいいと言ってるんだから、その場合はね、議会とかも含めてよいことになるだろう


専制君主、または議会(行政府)とかが、私人相互の契約を<上>から保証しろ、ってことね?

わりとフツーの話だね

まぁ、そうなんだけど・・・・・・

ただ、ホッブズの立論の特徴としてはね、2つ。

1つ目はね、徹底して権力を一点集中させようとするところ。

つまり、中央権力はとにかくできる限り強大じゃなきゃいけない、って考えているところ。

なぜか?

これには、時代背景があるんだよ

ホッブズは、いわゆるピューリタン革命(1642-49)の時代を生きている。

当時の統治システムは、田中浩さん曰く「『国王の権限は法(制定法、コモン・ロー)によって、さらには議会によって制限される』というイギリス伝統の『制限・混合王政論』」に基づいていた[田中:P28]。

王権は議会により制約されていた(とりわけ課税権が)。

ところがね、17世紀に入ると、国王が権限の拡張をもくろむようになる。

でね、当然のごとく、議会と対立するわけだ

まず、1628年、国王は議会からね、「承諾なければ課税なし」という要求を盛り込んだ「権利の請願」を突き付けられてしまう。

ところが、そうはいっても増税(財源確保)したい国王は、「船舶税」を導入しようとする。

でね、それを議会じゃなしに、拒否されるのが自明だからね、裁判所の方へ持ち込んだんだ。

すると、見事この作戦が功を奏し、「国王は国の危急にさいしては国王の判断で税を徴収できる」との裁決が下りた。要するに国王が勝訴した。

しかしだ、当たり前だが議会は黙っていない。黙ってるわけがない。

とうとう、いよいよ、国王VS議会という仮借なきバトルが展開。

それが、ピューリタン革命だ。

最終的には、国王サイドが負けるんだね。国王は処刑されちまった

さて、実際に『リヴァイアサン』を読んでみると、とてもよくわかるんだが、とにかくホッブズは内乱を嫌ってるんだ。

ちなみにピューリタン革命はイングランド史上初の内乱だ。

ホッブズ的にはね、すでに見てきたように、極論するならさ、べつに①国王が支配しようが、②合議体(議会)が支配しようが、どっちでもいいんだよ。

絶対に避けなきゃいけないのは、内乱のほう

じゃなぜ内乱が起きちゃったのか?

問題を単純化するならさ、①国王が充分に強くなかった、あるいは、②議会が充分に強くなかった、ってことさ

いわゆるイングランド伝統のね、制限・混合王政論はさ、ホッブズにいわせれば2頭の怪物。

2頭じゃダメなんだよ。分裂するから。内乱につながる。

そうじゃなく、ホッブズは怪物の頭は1つじゃなきゃダメ、とした。

でね、とにかく権限は1つの頭に集め、分散させないことが大事、とした

引用しよう。

「権限は国王・貴族院[上院]・庶民院[下院]のあいだで分割されているのだという見解がある。そもそもこのような見解がイングランドの大部分で受け入れられていなかったら、国民が分裂し内乱状態に陥るということはなかったであろう(ちなみに、内乱の争点となったのは最初、政策であり、次いで信仰の自由であった)。こうした反省から、主権に関して貴重な教訓が得られ、現在イングランドでは、大半の人々は『これらの権限は相互に不可分だ』ということを悟っているはずである。また、今度平和が回復されたときには、右の反省はあまねく共有されるであろう」[②:P38]

ふ~ん、ま、権限の分割はよくないってのはさ、船頭多くして船山に登る、ってことでしょ、たとえば。

わかるよ

国王だろうが議会だろうが何でもいーからさ、船頭は絶対に一つだ、ってのがホッブズの思想ね。

てか、ホッブズ自身が実体験の中でリアルに感じてしまったことさ

ちなみに、ときどきね、「ホッブズは独裁国家(専制国家)を肯定してる」とか誤解してる人がいるんだけど、そうじゃないよ。

単純に、船頭を多くしちゃダメって言ってるだけ。

とにかく権限を一箇所に集めないことには分裂を生むからダメ、って言ってるわけ

余談だが、主に左派系の論客からボロクソに叩かれて言論界じゃ瞬殺されちまった新自由主義という経済思想があるんだが、新自由主義だと、逆にね、権力は集中させたらダメだ、できるだけ分権化するのがベターだ、と考えられている。

ホッブズとは発想が真逆だね。

新自由主義については、いずれどこかで取り上げてみたいと思う。

有名どころの本を1冊だけ紹介すると、ハイエク『隷属への道』(1944)、なんてのがある。

知識人たちが揃いも揃って社会主義(旧ソ連)を賛美していた頃、真っ向からその仕組みを批判したんだ。

ハイエクは、いわば新自由主義の教祖の一人と目されているね

う~ん、その新自由主義ってのが、分権化を善しとするなら、なんていうの、中央集権的な日本の土壌には合わないだろうね?

だから、瞬殺された?

いや、どちらかというと、新自由主義はね、競争主義的であり、市場至上主義的であり、結果として経済的格差を助長することになるからケシカランって(主に左派から)批判されたんだよ。

ただし、そう断ずる論客たちがね、たとえばハイエクとかマトモに読んでるのか疑わしかったりする・・・・・・

ちなみに、論客たちの受け売りをしてね、口を揃えて「新自由主義⇒格差の助長」みたいな、なんというか、パブロフの犬的条件反射なね、大合唱が巻き起こっていたが、個人的には閉口モノだった

たとえば、新自由主義のね、もう一人の教祖とされるミルトン・フリードマン(1912-2006)に『資本主義の自由』(1962)って本があるんだけど、ここでね、今日でいうベーシックインカムが提唱されている

どういうことかというと、新自由主義はたしかに格差については容認する。

ただし、貧困は容認しないんだよ。

格差と貧困とは次元が異なる問題だ

話が脱線してるから、コンパクトにまとめてしまうと、新自由主義はね、

①すべての人が同じ土俵で勝負できるよう、まずは既得権益を徹底して破壊する。

②その上で、つまりは平等な競争によって、できてしまった格差ならば、それは容認する。

③ただし、すべての人が人間として最低限度の文化的な生活を享受できるよう、仕組みを整えるべきだとする。競争に負けたら餓死、では困る。

④ので、たとえばベーシックインカムを導入し、セキュリティーネットを事前に張っておく。むしろセキュリティーネットがあるからこそ、人は思い切って勝負することができるようになる。

といった感じの思想をベースに持っている。

簡単にいうと、新自由主義が容認しているのは格差であって貧困じゃない!

そこを誤解している人が、あまりに多すぎる・・・・・・

デンさんは、新自由主義を支持してるの?

そうでもないよ。

ただ、新自由主義の葬られ方に、同情してるだけ

ぼくが新自由主義について思うところがあるとすれば、それが、あまりに理想主義的なところかな・・・・・・

新自由主義的な世界が実現するためには、まずは、既得権益をもってる人が、それを手放す必要がある。

簡単にいうと、権力(権益)をもってる人が、それを手放さないことにはスタートが切れない。

じゃないと、平等な競争が成立しないからね

既得権益をみずから進んで手放す人なんて、ゼロ、でしょ?

・・・・・・なかなか難しいよね。

人間がやってることだからさ・・・・・・

朝倉君、行政にいるならさ、そういうのよくわかるでしょ?

痛烈に、わかるね、ホント痛烈に・・・・・・

いいかげん話を元に戻そうか、ホッブズの話に。

とにかく、新自由主義とは異なり、ホッブズは分権論者じゃないんだよ。

多頭のバケモノは絶対ダメ! とする

それが、ホッブズ思想の特徴の、まずは1つ目。

次に、2つ目の特徴はね、ホッブズの考え方がね、ある意味、非常に徹底した個人主義であるところだ

個人主義?

[引用文献・参考文献]

・ホッブズ『リヴァイアサン(1)』角田安正訳、光文社古典新訳文庫、2014

・ホッブズ『リヴァイアサン(2)』角田安正訳、光文社古典新訳文庫、2018

・田中浩『ホッブズ リヴァイアサンの哲学者』岩波新書、2016

・F・A・ハイエク『隷属への道』西山千明訳、春秋社、1992

・ミルトン・フリードマン『資本主義と自由』村井章子訳、日経BP社、2008

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登場人物紹介

デンケンさん(49)・・・・・・仙人のごとく在野に生きることを愛する遊牧民的活字ドランカー。かつては大学院にいたり教壇に立ったりしていたが、その都度その都度関心があることだけを考えていきたい、という専門性を磨こうとしないスタンス、及び『老子』の(悪)影響があり、アカデミズムを避けた・・・・・・がゆえに一介のサラリーマンである(薄給のため独身、おそらく生涯未婚)。

朝倉恭平(30)・・・・・・ご近所の鷺ノ森市文化創造センターに契約職員として勤務。

(チャットノベル『毒男女ぉパラダイス!!』の登場人物・朝倉5年後の姿)

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