9 ホッブズ(VS)新自由主義
文字数 4,955文字
もう一度ホッブズの言葉を引用しよう。
「蜂や蟻の調和は自然のものであるが、人間相互の調和は、契約にもとづかない限り成立しない。それは人為的なものである。したがって、人間相互の調和を恒常的、永続的なものにするためには、当然のことながら、契約のほかに何か別の要素が必要になる。それは、人間を畏怖させ、共通の利益に向けて人間の行動を方向づける公的な権力である」[②:P19]
朝倉君の指摘どおり、みんながみんな理性の内なる声=自然法に従ってくれたなら、闘争状態を終わらせることができるんだが、現実的には、そうはならないため、ホッブズは「人間相互の調和は、契約にもとづかない限り成立しない」と断ずるんだ。
ちなみに、自然法について補足すると、それは「人々を平和と服従の方向に仕向ける徳性のことにほかならない」ともホッブズはいう[②:P176]
だからホッブズはさらに踏み込む。
人間相互の調和は、蜂や蟻とは異なり、それこそ人為的な契約に基づく必要があるんだが、ただし、その契約がキチンと守られるためには、第三者権力によって保証されないといけない、と。
つまり、契約を破ると、この第三者権力によって痛い目に合わせられるのでなければならない、と。
そうじゃなきゃ契約は守られない
いわば共同体を<上>から吊り支えてもらうんだよ。
それが一人の人物なら、専制君主だといえる。
ただしホッブズはね、べつに一人じゃなくていい、合議体でもいいと言ってるんだから、その場合はね、議会とかも含めてよいことになるだろう
ただ、ホッブズの立論の特徴としてはね、2つ。
1つ目はね、徹底して権力を一点集中させようとするところ。
つまり、中央権力はとにかくできる限り強大じゃなきゃいけない、って考えているところ。
なぜか?
これには、時代背景があるんだよ
ホッブズは、いわゆるピューリタン革命(1642-49)の時代を生きている。
当時の統治システムは、田中浩さん曰く「『国王の権限は法(制定法、コモン・ロー)によって、さらには議会によって制限される』というイギリス伝統の『制限・混合王政論』」に基づいていた[田中:P28]。
王権は議会により制約されていた(とりわけ課税権が)。
ところがね、17世紀に入ると、国王が権限の拡張をもくろむようになる。
でね、当然のごとく、議会と対立するわけだ
まず、1628年、国王は議会からね、「承諾なければ課税なし」という要求を盛り込んだ「権利の請願」を突き付けられてしまう。
ところが、そうはいっても増税(財源確保)したい国王は、「船舶税」を導入しようとする。
でね、それを議会じゃなしに、拒否されるのが自明だからね、裁判所の方へ持ち込んだんだ。
すると、見事この作戦が功を奏し、「国王は国の危急にさいしては国王の判断で税を徴収できる」との裁決が下りた。要するに国王が勝訴した。
しかしだ、当たり前だが議会は黙っていない。黙ってるわけがない。
とうとう、いよいよ、国王VS議会という仮借なきバトルが展開。
それが、ピューリタン革命だ。
最終的には、国王サイドが負けるんだね。国王は処刑されちまった
さて、実際に『リヴァイアサン』を読んでみると、とてもよくわかるんだが、とにかくホッブズは内乱を嫌ってるんだ。
ちなみにピューリタン革命はイングランド史上初の内乱だ。
ホッブズ的にはね、すでに見てきたように、極論するならさ、べつに①国王が支配しようが、②合議体(議会)が支配しようが、どっちでもいいんだよ。
絶対に避けなきゃいけないのは、内乱のほう
いわゆるイングランド伝統のね、制限・混合王政論はさ、ホッブズにいわせれば2頭の怪物。
2頭じゃダメなんだよ。分裂するから。内乱につながる。
そうじゃなく、ホッブズは怪物の頭は1つじゃなきゃダメ、とした。
でね、とにかく権限は1つの頭に集め、分散させないことが大事、とした
引用しよう。
「権限は国王・貴族院[上院]・庶民院[下院]のあいだで分割されているのだという見解がある。そもそもこのような見解がイングランドの大部分で受け入れられていなかったら、国民が分裂し内乱状態に陥るということはなかったであろう(ちなみに、内乱の争点となったのは最初、政策であり、次いで信仰の自由であった)。こうした反省から、主権に関して貴重な教訓が得られ、現在イングランドでは、大半の人々は『これらの権限は相互に不可分だ』ということを悟っているはずである。また、今度平和が回復されたときには、右の反省はあまねく共有されるであろう」[②:P38]
ちなみに、ときどきね、「ホッブズは独裁国家(専制国家)を肯定してる」とか誤解してる人がいるんだけど、そうじゃないよ。
単純に、船頭を多くしちゃダメって言ってるだけ。
とにかく権限を一箇所に集めないことには分裂を生むからダメ、って言ってるわけ
余談だが、主に左派系の論客からボロクソに叩かれて言論界じゃ瞬殺されちまった新自由主義という経済思想があるんだが、新自由主義だと、逆にね、権力は集中させたらダメだ、できるだけ分権化するのがベターだ、と考えられている。
ホッブズとは発想が真逆だね。
新自由主義については、いずれどこかで取り上げてみたいと思う。
有名どころの本を1冊だけ紹介すると、ハイエク『隷属への道』(1944)、なんてのがある。
知識人たちが揃いも揃って社会主義(旧ソ連)を賛美していた頃、真っ向からその仕組みを批判したんだ。
ハイエクは、いわば新自由主義の教祖の一人と目されているね
いや、どちらかというと、新自由主義はね、競争主義的であり、市場至上主義的であり、結果として経済的格差を助長することになるからケシカランって(主に左派から)批判されたんだよ。
ただし、そう断ずる論客たちがね、たとえばハイエクとかマトモに読んでるのか疑わしかったりする・・・・・・
ちなみに、論客たちの受け売りをしてね、口を揃えて「新自由主義⇒格差の助長」みたいな、なんというか、パブロフの犬的条件反射なね、大合唱が巻き起こっていたが、個人的には閉口モノだった
話が脱線してるから、コンパクトにまとめてしまうと、新自由主義はね、
①すべての人が同じ土俵で勝負できるよう、まずは既得権益を徹底して破壊する。
②その上で、つまりは平等な競争によって、できてしまった格差ならば、それは容認する。
③ただし、すべての人が人間として最低限度の文化的な生活を享受できるよう、仕組みを整えるべきだとする。競争に負けたら餓死、では困る。
④ので、たとえばベーシックインカムを導入し、セキュリティーネットを事前に張っておく。むしろセキュリティーネットがあるからこそ、人は思い切って勝負することができるようになる。
といった感じの思想をベースに持っている。
簡単にいうと、新自由主義が容認しているのは格差であって貧困じゃない!
そこを誤解している人が、あまりに多すぎる・・・・・・
ぼくが新自由主義について思うところがあるとすれば、それが、あまりに理想主義的なところかな・・・・・・
新自由主義的な世界が実現するためには、まずは、既得権益をもってる人が、それを手放す必要がある。
簡単にいうと、権力(権益)をもってる人が、それを手放さないことにはスタートが切れない。
じゃないと、平等な競争が成立しないからね
[引用文献・参考文献]
・ホッブズ『リヴァイアサン(1)』角田安正訳、光文社古典新訳文庫、2014
・ホッブズ『リヴァイアサン(2)』角田安正訳、光文社古典新訳文庫、2018
・田中浩『ホッブズ リヴァイアサンの哲学者』岩波新書、2016
・F・A・ハイエク『隷属への道』西山千明訳、春秋社、1992
・ミルトン・フリードマン『資本主義と自由』村井章子訳、日経BP社、2008