1 東欧革命と市民社会
文字数 2,105文字
え? <civil society>の訳語が市民社会ですよね?
死語?
もっと古くからある、それこそ息の長い言葉だったんじゃないんですか?
「日本には市民社会が育ってない」とか何とか、なんかそういうセリフ、昔、シェアハウスで一緒だった中田さんっつう奇人から聞かされたような記憶が・・・・・・
東欧革命でね、デモなどの市民運動が注目されたんだよ。
でね、市民運動が共産党の独裁体制を打破し、民主化への道を切り開いた、と評されたわけ。
ただ、実際のところはね、こうした見方はとても一面的だ。
背景には何よりもまず、ソ連の国力低下にともなう「ブレジネフ・ドクトリン」(社会主義陣営全体のためには、東欧諸国への武力をともなう内政干渉も辞さず、とする方針)の否定があった。
民主化や市場経済の導入へ向けて舵切りした途端、背後からソ連に斬られるとあっては、政権側の態度は軟化しなかっただろう
また、各国が民主化(及び部分的な市場経済の導入)へ至った経緯というのも、それこそ様々だ。
むしろ共産党自身が自己反省的に一党独裁を廃止しようとしていたハンガリー、
反体制的な自主管理労組「連帯」が民主化運動を牽引していったポーランド、
知識人グループの活動が影響力をもっていたチェコスロバキア、
市民運動というよりは共産党内部の政権争い的なニュアンスが濃いルーマニア、
ハンガリーがオーストリアとの国境を開放したため、そこを経由して東ドイツから西ドイツへ脱出しようとする市民が絶えず、歯止めがきかなくなり、いわばなし崩し的に倒壊していった東ドイツなど、
街頭デモといった市民運動が民主化へ向けての大きな要因であったことは事実であるにせよ、それがすべてではなかったろう
とはいえ、この一連の東欧革命の過程でね、国家の横暴(独裁)と立ち向かい、民主化を切り開く市民運動(=市民社会)という構図が浮かび上がってきた。
でね、まさに植村さんが指摘するように、死語だった市民社会という言葉が復権してきたんだ
あの頃は、べつにSEALDsだけではなしに、全国各地でね、デモとか集会とかあったよね。
うちの両親も電車に乗って移動してね、はるばる参加しに行ってたよ。
親からも知り合いからも誘われたりしたけど、ぼくはね、動いていない
[参考文献]
・植村邦彦『市民社会とは何か 基本概念の系譜』平凡社新書、2010
・三浦元博、山崎博康『東欧革命 -権力の内側で何が起きたか-』岩波新書、1992