番外編 分光石(四/四)
文字数 3,290文字
黄鉄鉱を返すために茴香が店を訪れたところ、そこにはすでに先客がいた。
茴香の用件はあやしい光についての報告だけだったので、話の合間に会ってもらえることになる。そうして座敷へ向かったところ、襖越しに聞こえてきたのは、こんな話し声だった。
「こいつにそんなもん持たすのはなあ。俺は賛成しないが――」
案内してくれた桜がひとこと声をかけてから、茴香は中へと通される。座敷にいたのは、作業着姿の四十代くらいの男性と、もうひとり――
その青年の顔を見て、茴香は思わず顔をしかめてしまった。似た顔を、遠い昔に見たことがある……
思わず呆けてしまったが、皆が注目していることに気づいて、茴香は慌ててこう言った。
「すみません。話に割り込んでしまって」
「かまわんよ。こっちは、ちょいと込み入った用件なんでね。むしろ、俺たちの方こそ席を外した方がいいんじゃないのかい」
中年の男性はそう言った。青年の方は何を言うでもなく、無愛想にそっぽを向いている。
「あたしはかまいません。すぐに済みますから」
そもそも茴香の方は約束もしていないのだから、彼らが順番を譲ってくれなければ、日をあらためなければならないところだった。人に聞かれて困るような話でもないので、同席することについても、茴香は特に気にしない。
とはいえ、この人たちがこの店のことをどこまで知っているかは知らないが。槐が問題ないと思っているなら、そういうことなのだろう。
茴香はさっそく、洋館の周囲であったことを槐に話した。泥棒に出くわしてしまったこと。あやしい光の正体が、懐中電灯の光だったこと――
「それで、青白い光の方なんですけど……」
茴香はそこまで話してから、その先を言い淀んだ。
あのとき出会った伊吹という名の青年のことだけは、話そうかどうか、いまだに迷っていた。とはいえ、光る鳥のことを教えてくれたのは彼なのだから、やはりあの青年のことにもふれた方がいいだろうか、とも思う。
さて、どこまで話したものか――
茴香はひとまずこうたずねた。
「その……青鷺火って知ってますか?」
その言葉を聞いただけで、槐は合点がいったように、ああ、とうなずいた。
「怪火の正体とされるものに、もうひとつ鳥がありましたね」
あっさりとそう返されてしまったものだから、茴香は思わず目をしばたたかせた。もしかして、あれは珍しいものではなかったのだろうか。
槐はこう話し始める。
「青鷺火は鳥山石燕の『今昔画図続百鬼 』にあります。夜に光る鳥の怪異ですね。アオサギ――あるいはゴイサギとも言われていますが――それらの鳥は夜に羽が光って見える、ということで広く知られていたようです」
確かにあのとき茴香が見た鳥も、青白い光を放っているように見えた。とはいえ――
その現象はおそらく、鳥の羽が暗闇の中で月の光などを反射してそう見える、ということだろう。しかし、あのときの鳥はそんな感じではなく、自ら光を放っていたような気がする。それどころか、口から火まで吹いていたような……
茴香はふと、伊吹が言っていた、幻想のもの、という言葉を思い出した。秘密、ということは、やはりあれは普通の存在ではなかったのかもしれない。
茴香はあの鳥のことを、あえて話さないでおくことにした。とはいえ、黄鉄鉱は知っているのだから、彼がこのことをどう考えているかはわからないが。少なくとも、この場では青白い光の正体は鳥、ということでかまわないだろう。
そんな風に、茴香が自分の中でひとり納得していたところ――
「横からすまんが」
と声を上げたのは、それまで無言で話を聞いていた中年の男性だった。
「お節介かとは思うが、夜遅くに若い娘さんがうろつくのは感心しねえな。まあ、何かしら対策はしてたのかもしれんが……今回は問題なかったとしても、あまり無謀なことはしない方がいい。おっさんの説教なんざ、聞きたくもないだろうが。俺も娘がひとりいるんで、他人ごとだとは思えなくてな」
不器用な言い方ではあるが、初対面ながら茴香のことを心配してくれていることはわかる。茴香はありがたいと思ったのだが――それを伝えるより先に、それまでずっと黙っていた青年が、ふいに口を開いた。
「ていうか、おっさんの娘って三歳くらいでしょ。無理に持ち出さなくてもいいって」
そう言ってから、青年は茴香に向かってこう続ける。
「気をつけなよ。このおっさん、隙あらば自分の娘の動画とか見せてくるから。面倒くさいよ」
「は? おまえ、この前はうちの娘のこと、かわいいって、言ってたじゃねえか」
男はものすごい形相でにらみつけていたが、青年はあくまでも平然としている。
「そんなの社交辞令でしょ。同じような動画見せられても違いなんてわからないんだから、そう何度も見せなくたっていいよ」
「おい。ふざけるな。おまえ、表へ出ろ」
そんなふたりのやりとりを、茴香は呆気にとられながら、ながめていた。何なのだろう。この人たち。
槐も、そのとなりにいる桜も――よくあることなのか、呆れているのか――彼らを止めようという気配もない。
ともかく、このよくわからない争いを終わらせなければ。そう思って、茴香はとっさにこう言った。
「えっと……無謀なことをしたのは、そのとおりなので――心配していただいて、ありがとうございます。あのときも、たまたま居合わせた人が助けてくれなければ、どうなっていたか……」
茴香は思わずそう言ってしまったが――
思えば、あの人も変わった人ではあったが、悪い人ではなかった。彼があの場で助けてくれたことは、本当にありがたいことだったのだと、茴香はあらためて思い返す。
槐たちがいぶかしげな表情をしているのは、それまで彼のことを話していなかったからだろう。ここまで話してしまったなら、隠す意味もない。そう思って、茴香はさらにこう続けた。
「何というか。少し変わった人でした。突然、犬の遠吠えの真似をしたり。まあ、ちゃんと名乗ってくれましたけど。隼瀬伊吹って――」
折しも、作業着姿の男は落ち着くためにお茶を口にしていたところで――しかし、彼はその名を耳にした途端、唐突に咳き込んだ。そうして、しばらく苦しそうに呻いた後、声を出せるようになると、すぐにこう問い返す。
「隼瀬、だあ?」
茴香は思わずきょとんとしてしまったが、周りの反応もだいたい同じ感じだ。皆が注目する中で、男だけが何やらぶつぶつと呟いている。
「いや。伊吹っていうと、本家の末の坊っちゃんか。だったら、俺のところに来たってわけじゃねえな……」
「おっさん。何焦ってんの」
青年が一笑したのを、男は鋭い視線でにらみ返している。しかし、この場で彼を咎めることについてはもはや諦めたのか、男は茴香の方へ向き直ると、あらためてこう言った。
「まあ、そいつが俺の知ってる人物なら、悪いやつじゃねえよ。保証する」
そもそもの話。茴香はこの人がどんな人なのかも知らないのだが――ともかく、そこは素直にうなずいておくことにした。まさか、たまたま出会った人同士が知り合いだったとは。世間は狭い。
そうして怪火の件について報告し終えた茴香は、槐に礼を言って座敷を出た。その後は、石の部屋へと通してもらう。
借りていた黄鉄鉱を棚へと戻しながら、茴香はあらためてこう言った。
「ありがとう。黄鉄鉱」
「あまり力にはなれなかったけれどね」
黄鉄鉱はそう返したが、茴香は首を横に振る。
「そんなことないよ。とても心強かった」
茴香は心の底からそう思っていた。彼がいたからこそ、あのときの茴香は不安で足がすくむこともなかったのだろう。
自分の向こう見ずなところをあらためるのはなかなか難しいが、それでも、茴香の周りには知恵や力を貸してくれる人がいて、忠告をしてくれる人もいて。だから、そう悲観的になることもないだろう、と今は思い始めていた。
胸に秘めたこの夢も、いつかは実現できるかもしれない。
至らないところには苦笑を浮かべながらも、茴香はこれからのことについて、ほんの少しでも希望の光が灯ったような――そんな気がしていた。
茴香の用件はあやしい光についての報告だけだったので、話の合間に会ってもらえることになる。そうして座敷へ向かったところ、襖越しに聞こえてきたのは、こんな話し声だった。
「こいつにそんなもん持たすのはなあ。俺は賛成しないが――」
案内してくれた桜がひとこと声をかけてから、茴香は中へと通される。座敷にいたのは、作業着姿の四十代くらいの男性と、もうひとり――
その青年の顔を見て、茴香は思わず顔をしかめてしまった。似た顔を、遠い昔に見たことがある……
思わず呆けてしまったが、皆が注目していることに気づいて、茴香は慌ててこう言った。
「すみません。話に割り込んでしまって」
「かまわんよ。こっちは、ちょいと込み入った用件なんでね。むしろ、俺たちの方こそ席を外した方がいいんじゃないのかい」
中年の男性はそう言った。青年の方は何を言うでもなく、無愛想にそっぽを向いている。
「あたしはかまいません。すぐに済みますから」
そもそも茴香の方は約束もしていないのだから、彼らが順番を譲ってくれなければ、日をあらためなければならないところだった。人に聞かれて困るような話でもないので、同席することについても、茴香は特に気にしない。
とはいえ、この人たちがこの店のことをどこまで知っているかは知らないが。槐が問題ないと思っているなら、そういうことなのだろう。
茴香はさっそく、洋館の周囲であったことを槐に話した。泥棒に出くわしてしまったこと。あやしい光の正体が、懐中電灯の光だったこと――
「それで、青白い光の方なんですけど……」
茴香はそこまで話してから、その先を言い淀んだ。
あのとき出会った伊吹という名の青年のことだけは、話そうかどうか、いまだに迷っていた。とはいえ、光る鳥のことを教えてくれたのは彼なのだから、やはりあの青年のことにもふれた方がいいだろうか、とも思う。
さて、どこまで話したものか――
茴香はひとまずこうたずねた。
「その……青鷺火って知ってますか?」
その言葉を聞いただけで、槐は合点がいったように、ああ、とうなずいた。
「怪火の正体とされるものに、もうひとつ鳥がありましたね」
あっさりとそう返されてしまったものだから、茴香は思わず目をしばたたかせた。もしかして、あれは珍しいものではなかったのだろうか。
槐はこう話し始める。
「青鷺火は鳥山石燕の『
確かにあのとき茴香が見た鳥も、青白い光を放っているように見えた。とはいえ――
その現象はおそらく、鳥の羽が暗闇の中で月の光などを反射してそう見える、ということだろう。しかし、あのときの鳥はそんな感じではなく、自ら光を放っていたような気がする。それどころか、口から火まで吹いていたような……
茴香はふと、伊吹が言っていた、幻想のもの、という言葉を思い出した。秘密、ということは、やはりあれは普通の存在ではなかったのかもしれない。
茴香はあの鳥のことを、あえて話さないでおくことにした。とはいえ、黄鉄鉱は知っているのだから、彼がこのことをどう考えているかはわからないが。少なくとも、この場では青白い光の正体は鳥、ということでかまわないだろう。
そんな風に、茴香が自分の中でひとり納得していたところ――
「横からすまんが」
と声を上げたのは、それまで無言で話を聞いていた中年の男性だった。
「お節介かとは思うが、夜遅くに若い娘さんがうろつくのは感心しねえな。まあ、何かしら対策はしてたのかもしれんが……今回は問題なかったとしても、あまり無謀なことはしない方がいい。おっさんの説教なんざ、聞きたくもないだろうが。俺も娘がひとりいるんで、他人ごとだとは思えなくてな」
不器用な言い方ではあるが、初対面ながら茴香のことを心配してくれていることはわかる。茴香はありがたいと思ったのだが――それを伝えるより先に、それまでずっと黙っていた青年が、ふいに口を開いた。
「ていうか、おっさんの娘って三歳くらいでしょ。無理に持ち出さなくてもいいって」
そう言ってから、青年は茴香に向かってこう続ける。
「気をつけなよ。このおっさん、隙あらば自分の娘の動画とか見せてくるから。面倒くさいよ」
「は? おまえ、この前はうちの娘のこと、かわいいって、言ってたじゃねえか」
男はものすごい形相でにらみつけていたが、青年はあくまでも平然としている。
「そんなの社交辞令でしょ。同じような動画見せられても違いなんてわからないんだから、そう何度も見せなくたっていいよ」
「おい。ふざけるな。おまえ、表へ出ろ」
そんなふたりのやりとりを、茴香は呆気にとられながら、ながめていた。何なのだろう。この人たち。
槐も、そのとなりにいる桜も――よくあることなのか、呆れているのか――彼らを止めようという気配もない。
ともかく、このよくわからない争いを終わらせなければ。そう思って、茴香はとっさにこう言った。
「えっと……無謀なことをしたのは、そのとおりなので――心配していただいて、ありがとうございます。あのときも、たまたま居合わせた人が助けてくれなければ、どうなっていたか……」
茴香は思わずそう言ってしまったが――
思えば、あの人も変わった人ではあったが、悪い人ではなかった。彼があの場で助けてくれたことは、本当にありがたいことだったのだと、茴香はあらためて思い返す。
槐たちがいぶかしげな表情をしているのは、それまで彼のことを話していなかったからだろう。ここまで話してしまったなら、隠す意味もない。そう思って、茴香はさらにこう続けた。
「何というか。少し変わった人でした。突然、犬の遠吠えの真似をしたり。まあ、ちゃんと名乗ってくれましたけど。隼瀬伊吹って――」
折しも、作業着姿の男は落ち着くためにお茶を口にしていたところで――しかし、彼はその名を耳にした途端、唐突に咳き込んだ。そうして、しばらく苦しそうに呻いた後、声を出せるようになると、すぐにこう問い返す。
「隼瀬、だあ?」
茴香は思わずきょとんとしてしまったが、周りの反応もだいたい同じ感じだ。皆が注目する中で、男だけが何やらぶつぶつと呟いている。
「いや。伊吹っていうと、本家の末の坊っちゃんか。だったら、俺のところに来たってわけじゃねえな……」
「おっさん。何焦ってんの」
青年が一笑したのを、男は鋭い視線でにらみ返している。しかし、この場で彼を咎めることについてはもはや諦めたのか、男は茴香の方へ向き直ると、あらためてこう言った。
「まあ、そいつが俺の知ってる人物なら、悪いやつじゃねえよ。保証する」
そもそもの話。茴香はこの人がどんな人なのかも知らないのだが――ともかく、そこは素直にうなずいておくことにした。まさか、たまたま出会った人同士が知り合いだったとは。世間は狭い。
そうして怪火の件について報告し終えた茴香は、槐に礼を言って座敷を出た。その後は、石の部屋へと通してもらう。
借りていた黄鉄鉱を棚へと戻しながら、茴香はあらためてこう言った。
「ありがとう。黄鉄鉱」
「あまり力にはなれなかったけれどね」
黄鉄鉱はそう返したが、茴香は首を横に振る。
「そんなことないよ。とても心強かった」
茴香は心の底からそう思っていた。彼がいたからこそ、あのときの茴香は不安で足がすくむこともなかったのだろう。
自分の向こう見ずなところをあらためるのはなかなか難しいが、それでも、茴香の周りには知恵や力を貸してくれる人がいて、忠告をしてくれる人もいて。だから、そう悲観的になることもないだろう、と今は思い始めていた。
胸に秘めたこの夢も、いつかは実現できるかもしれない。
至らないところには苦笑を浮かべながらも、茴香はこれからのことについて、ほんの少しでも希望の光が灯ったような――そんな気がしていた。