第十七話 鶏冠石(四/四)

文字数 4,037文字

 そうして、百日目はやって来た。鶏冠石には、何の答えも告げられないままに。
 呪いを止めることができなかったあの日から、怯えながら時を過ごしていた。どうして呪いを止めなかったのか、とあの店の人たちや、深泥池で会った男の人に責められるのではないか、と不安になりながら。
 でも、誰も来なかった。店の人も深泥池の人も、女の人も――誰も。そうして何もかもをひとりで抱え込んだまま、この日を迎えることになってしまった。
 ぐるぐると、いろいろなことを考える。
 真っ先に思い出したのは、学校でのことだ。こんなことになったのは、そもそもあいつらが悪いんじゃないか。
 本当に、こんなに苦しまなければならないほどのことを、自分はしたのだろうか――いや、悪かったと思ったことは謝ったし、あれから気をつけるようにもした。なのに。
 ――悪いのは、そっちでしょ。
 かつての友人たちの、声がする。違う。違う――自分は悪くない。これで少しは、思い知ればいい……
 でも――思い知る、だろうか。呪いのことを知ったら、彼女たちはどう思うのだろう。何も思わないかもしれない。自分たちが悪いなんて、思っていないのだから。それに。
 ――だったら、あの人は、もっと悪くないじゃないか。
 深泥池で石を拾ってくれた人。ただ拾っただけなのに、巻き込んでしまった。このままでは、あの人まで道連れにしてしまう。
 そうして夜も更けた頃、かん、かん、かん――と音がし始めた。
 はっとして、思わず耳をふさぐ。音が鳴って、百日目。呪いが成就するのは、音が止んだそのときか。それとも、もう手遅れなのか。
 あの人が死んでしまう――
「ね、ねえ……止めてよ。私、嫌だよ。だから、この音を止めて!」
 赤い石に向かって、悲鳴のようにそう叫んだ。目の前に、赤い髪の青年が現れる。
「それで、いいんだな?」
 鶏冠石は笑っていない。ただ冷ややかなまなざしでこちらを見ていた。
「うん。ど、どうするの?」
 うなずいてそうたずねると、鶏冠石は黙って背を向けた。そして、こう話し始める。
「……ニワトリは昼と夜の(あわい)の生きもの。だから、鶏鳴は――魔を払う」
 そのとき、かん、かん、かんと鳴る音をかき消すように、長く力強い声が辺りに響き渡った。これは――ニワトリの鳴き声。
 やがて鳴き声が止むと、辺りはしんと静まり返った。かん、かん、かんという音も――もう、しない。
「止まっ……た?」
 その呟きを聞いて、こちらを振り向いた鶏冠石は、にやにやと笑っていた。そして、こんなことを言い出す。
「はん。こりゃ、俺の見立てどおり、タヌキの仕業だったな」
「……タヌキ?」
 思わずそう問い返すと、鶏冠石はうなずく。
「俺はキツネやタヌキには嫌われているからな。まあ、百日経てば呪い殺せるなんて、嘘だよ。嘘。あんたはタヌキに化かされたんだ。この程度の呪いで、人が殺せるもんか」
 嘘。だとしたら、誰も死ななかったということか。たとえ、あの音を止めなかったとしても。
 鶏冠石は笑う。
「まあ、槐も気づいていただろうけどな。あれでけっこう、たぬきだぞ。あいつは」
「でも、呪いは」
 そう言うと、鶏冠石は肩をすくめた。
「傷を負うだけでも、十分だろう?」
 その言葉に、思わず両の手を握りしめる。
 何だか力が抜けてしまった。何だったのだろう。結局、何をしたとしても、変わらなかったのか。だったら――だとしても。
 鶏冠石は問いかける。
「ほっとしたか? それとも、残念だった?」
「残念に思ってるって、言ったら?」
 すかさず言い返すと、鶏冠石はにやりと笑った。
「いいんじゃねえの? 別に。自分を傷つける奴らに、どうしてそんなに気兼ねするかね。俺にはそこんところがわかんないんだよなあ」
 鶏冠石は軽くふんと一笑した。そして、こう続ける。
「まあ、俺はあくまでも、あんたの意志で鳴いたんだ。そこんとこを、忘れないでくれよな。勝手に鳴いた、なんて言われて、責められるなんてのは嫌なんでね」
「言わないよ。そんなこと。いじわるだね」
 そう言うと、鶏冠石は笑い飛ばすようにこう言った。
「何言ってんだ。あの店には、毒砂(どくしゃ)なんて別名を持つ、もっとえげつないのがいるぞ。俺はせいぜい――動物よけだよ」

     *   *   *

 百日目の夜が明けた次の日に、かんかん石と鶏冠石を持って、少女は店に現れた。槐や桜はもちろん、花梨も一緒に彼女のことを出迎える。彼女は初めて来たときとは違って、ひとりでここへ訪れていた。
 顔を合わせてすぐ、桜がこんな風に声をかける。
「無事に呪いが返せて、よかったです」
 しかし、座敷に通された少女は、ふたつの石を座卓の上に並べるなり、ばつが悪そうにこう言った。
「ごめんなさい。その、鶏冠石が――あのときは、ひとりで考えることはできなかったから、あらためて自分で決めた方がいいって。それで、少し迷ってしまって」
 鶏冠石を渡されてから、すぐには呪いが返せなかったことを責められると思ったのかもしれない。しかし、それを聞いた桜はむしろ呆れたようにこう言った。
「そんなこと言ったんですか。相変わらず性格悪いですね」
「ああ? 何だと桜石」
 鶏冠石が姿を現して、すぐにそう言い返した。少女はそのやりとりを複雑そうな表情で見つめている。それに気づいて、桜はあらためてこう言った。
「いいんですよ。謝らなくて。どうせ、鶏冠石さんが意地の悪いことをしただけでしょうから」
 鶏冠石が、けっ、と悪態をつく。花梨はそれに苦笑しつつも、少女に向かってこう言った。
「とにかく、よかった。傷も、早く治るといいね。だって、ずっと――痛かったでしょう?」
 その言葉に、少女は花梨のことを見返すと、大きく目を見開いた。
「どうして……」
 少女のその呟きに、桜は首をかしげ、鶏冠石は顔をしかめている。槐はただ静かに見守るだけだ。
 花梨が手を差し伸べると、少女は黙って自分の両手を差し出した。長いセーターの袖に隠れていたのは――包帯が巻かれた手のひら。
 少女を見返しながら、花梨はこう続ける。
「深泥池でかんかん石を落としたのは、何でかなって思って。大事に持っていたなら、少し驚いたくらいでは手放さないでしょう? だから、もしかしてって」
 桜が思わず声を上げる。
「え? まさか、石をふれた者をって――でも、それじゃあ……」
 呪いの条件。ふれたものに害を為す。それは呪いを願った少女自身も対象なのではないか、と花梨は思っていた。
 それに気づいたのは、花梨もまた同じように――ずっとその傷を隠すように振るまっていたからだ。だからこそ、彼女が自分の手のひらを見せようとしないことに気づいた。
 呪いの石にふれてから今このときまで、彼女はひとり、その傷を抱えていたのだろう。治らない傷を、ずっと痛みに耐えながら。
 少女は自分の両手に視線を落としながら、静かに涙をこぼした。
「本当は、この石を誰かにさわらせるなんて……できなくて。学校にも行けてないし。顔を合わせるのも、怖かったから。でも、手にこんな傷ができるし。これが呪いなら、いっそこのまま――って。それでもいいと思ってた」
 涙まじりの声で、少女はそう話した。花梨は彼女の手のひらに、そっと自分の手のひらを重ねる。
「ずっと痛いのをがまんしてたんだね。そうしたら、それ以外のことについて、気が回らなくなってしまうでしょう? 私も、そうだったから。だから、今はとにかく、傷を治さなきゃ。ね?」
 その言葉に、少女はゆっくりと顔を上げる。そして、こう呟いた。
「うん。ずっと、痛かった……」
 少女は流れる涙を拭うと、大きく息をはいてから、花梨の手――包帯の巻かれた左手に目を向けた。
「ごめんなさい。ありがとう。誰も――死ななくて、よかった……」
 しんみりとした空気の中で、桜がこそっと鶏冠石にたずねる。
「……もしも止めなかったら、どうしてたんです? 鶏冠石さん」
「知らねえよ。まあ、何にせよ――あとひとつってところで止まるのが、お約束ってもんだろう?」
「何ですか、それ……」
 鶏冠石の答えに、桜は大きくため息をついた。
 きょとんとしている少女に、槐は苦笑しながらこう話す。
「よくある民話で、例えば――一晩のうちに百の石段を作ることができなければ、今後は村で暴れない、という約束を鬼と交わしたところ、九十九積み上がったときニワトリが鳴いたことで、鬼はそれを諦めて現れなくなった――というような話があるんです。ただ、それと同じような型で、祈願のために一晩で百の石垣を築こうとしたが、九十九出来上がったところでニワトリが鳴いてしまったので、成就できなかった――というような伝承もあります。その場合は、ニワトリを飼うことを禁忌にしている地域もあるんですよ」
 それを聞いた少女は、じっと鶏冠石のことを見つめている。しかし、鶏冠石は肩をすくめると、視線を避けるように黙って姿を消してしまった。
 その素っ気なさに、少女は少し寂しそうな表情を浮かべている。
 少女は鶏冠石を返すと同時に、かんかん石を槐に託した。今はもう、呪いの力は残っていないのだろう。槐は何ごともなく、その石を受け取る。
 ほっとしたところで、少女はふいにこう声を上げた。
「あの、私」
 少女はしばらく、その先を口にすることをためらったようだが――皆が見守る中で、彼女は意を決したようにこう言った。
「私は河内(かわち)百合(ゆり)です。またここに……遊びに来てもいいですか?」
 少女は花梨の方を見ながら、じっとその答えを待っている。
 そういえば、以前に彼女が訪れたとき、花梨は名乗ってはいなかっただろうか。だから、あらためて向き直ると、花梨は少女にこう言った。
「私は鷹山花梨。よろしくね。百合ちゃん」
 差し出した右手で、彼女の右手をそっと握った。そうして、手のひらの傷をいたわるように、花梨は少女と軽く握手を交わす。
 それまで表情の晴れなかった百合は――そこでようやく、心からの笑みを浮かべた。
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