番外編 珪藻土(ニ/三)

文字数 5,916文字

「ひとりでに転がっていく七輪、ね……」
 空木の話を聞き終えると、少女はうつむき考え込んだ。空木もまた、この現状についてぼんやりと考えを巡らせる。
 どうしてこんなことになってしまったのだろう。
 目の前にいるのは、間違いなく空木が探っている店にいた少女だ。しかも、思いがけず、こうして関わりを持つことになってしまった。
 こんなはずではなかったのに。
 とはいえ、少女が言うには、自分は火の手が上がったとき、たまたま近くを通りかかっただけ――なのだそうだ。本当のところはわからない。
 しかも、そのうえでこの少女は――空木に何かが見えていたなら、怪異の原因がわかるかもしれない。ひいては、次の被害を防げるかもしれない、と主張する。そんなわけで、空木は自分が見たもの――転がる七輪――についての話をした。
 さすがに家の前で立ち話はできないので、少し離れたところに移動している。七輪が消えた家からはそう遠くもないので、ある程度の様子はうかがえた。
 結局、あの七輪は何だったのだろう。異変が再び起こるとして、彼女に対処ができるのだろうか。
 とはいえ、目の前で燃え上がった炎がすぐに消えたのは、この少女が何かしたからではないか、と空木は思っていた。そうでなくとも、本人がやる気なのだから、何かしらの見込みはあるのだろう。
 それでも空木は、少女の言い分をすべて信じているわけではない。現れたタイミングからすると、どう考えても空木のことをつけていたようにしか思えないからだ。
 だとすれば、この少女には空木が店を探っていたことがばれているということになる。空木の前に姿を現したのも、何か意図があるのかもしれない。
 ともあれ。
 今はともかく七輪のことだ。先にそちらの方をどうにかする方が――どうにかできるなら、だが――先決だろう。空木はそう考えた。
「えーと。それで、君……」
 と空木が呼びかけると――
「椿」
 と、にこりともせずに少女は名乗る。これまでの流れからしてわかっていたことではあるが、どうにも手強い相手だった。
 ともかく空木はこう問いかける。
「椿ちゃんは見なかったのかい? 七輪。けっこう目立つ感じで、ごろごろ転がってたんだけど」
 できるかぎり気さくに話したつもりだったが、空木に向けられた椿の目は冷ややかだ。
「そんなわけのわからないものは見てない。というか、私には見えないと思うけど」
 本当に見ていないのだろうか。空木を追うことに気を取られて、目に入らなかっただけなのでは――
 それにしても、見えないと思う、とはどういうことだろう。その言い回しが気になって、空木は思わずこうたずねた。
「椿ちゃんは――何て言うかその、霊感とかはないのかい? ほら。さっきあの火を消したのも、君が何かしたからだろう?」
 椿はあからさまに顔をしかめた。
「は? 何それ。そもそも霊感って何? どうせ、霊感の定義すら曖昧なんでしょう? そんなもの、有る無しを話したところでどうなるの。馬鹿馬鹿しい」
 空木は閉口した。言っていることは間違っていないのかもしれないが、言い方が辛辣だ。そもそも普通ではない七輪の話をしているのだから、霊感という言葉を使ったとして、そんなに怒られるようなことではないと思うのだが。
 兄とは違った方向で面倒くさい。そう言えば、あの店主も雲をつかむような人物ではあった。そして、この少女の場合はそのあまりの刺々しさに、とてもではないがつかむどころではないようだ。
 ともかく、今は彼女の機嫌を損ねない方がいいだろう。空木はそう思って、椿の判断をおとなしく待つことにする。
 そうして彼女が次に呟いたのは、こんな言葉だった。
「その七輪、『今昔物語集』にある油瓶(あぶらかめ)の話みたいなものかもね」
 空木はぼんやりと思い出す。どこかで聞いたな、今昔物語集。そういえば、あの店主が引用していたのも今昔物語集じゃなかっただろうか。
 空木は思わずこう言った。
「…………もしかして、流行ってるのかい? 『今昔物語集』」
「どこで?」
 と問われて、君のおうちで――と言いかけて、空木は口をつぐんだ。
 今のところはまだ、空木が彼女と出会ったのは偶然、ということになっている。ならば、あの店につながるようなことを指摘するべきではない。
 そう考えて、空木は早々に話を元に戻した。
「で、その――油瓶の話ってのは?」
 椿は、そんなことも知らないのか、という表情を浮かべている。しかし、知らないものは知らない。学生の頃、古文の授業で取り上げられたかもしれないが、せいぜいそのくらいだ。
 椿は渋々と、そのあらましを語った。
「ある大臣が帰る途中に道行く油瓶を見つけて、とある家に入り込むところを見届ける。その後、探らせたところ、その家の娘がその日に死んでいた。もののけが油瓶の形をとって、恨みのために殺したんだろうって話」
 空木はとりあえず、ふむとうなずいた。
 その油瓶が七輪だとして、それの行く先で凶事が起こるという流れ自体は似てなくもないか。しかし、油瓶と言うからには火と関係があるのかと思ったのだが、どうもそうではないらしい。
 どこか釈然としないながらも、空木はこう言った。
「それにしたって、火を出すのと取り殺すのとでは、ちょっと方向性が違うんじゃないかな」
 そうでなくとも、その話の中では異変を知った者は特に何もしていないし、結末としても、油瓶に恨まれた誰かは難を逃れられてはいない。似ているからといって、対処法がわからないのであれば、引き合いに出す意味もない気がする。
 しかも、空木はそのとき、ふと思い出してしまった。あの店主が今昔物語集の話をしたときも、大して役に立たなかったことを。
 思わずうろんな目になってしまった空木に気づくこともなく、椿は淡々とこう答える。
「七輪が火と結びつくのは、そうおかしなことじゃない。それに、ひとりに対する恨みなら、その相手だけ殺せばいいだろうけど、あの場にはけっこう人がいたし。燃やした方が手っ取り早いと思ったんでしょ」
 何か、ものすごく物騒なことを言っている気がする。そうでなくとも、七輪が何もないところから火を出したのだとすれば、やはりそれは普通におかしなことだろう。
 空木が話についていけていないことに気づいたのか、椿はそこで大きくため息をついた。
「とにかく。その七輪は、何かの恨みの具現かもしれないってこと。だとすれば、恨みに思う人物が意図して送り込んだ可能性もあるけど……」
 椿はそう言うと、ふいに口をつぐんだまま――何かに耳を傾けているかのように――黙り込んだ。しかし、それもわずかな間だ。
「そういったものとは違うって」
 彼女はそう断言した。
 違うって――とはどういうことだろうか。それは誰の判断なのか。そもそも、彼女自身に霊感はないのでは。
 やはり、よくわからない……
 椿の言葉をどう捉えるべきか、空木が頭を悩ませていた、そのとき。
 例の家の前で何やらさわぎが起こっていた。見てみれば、先ほどまで空木が立っていた場所に誰かがいる。
 とはいえ、また火が出た、というわけではないようだ。どうも、若い女性が中の人たちともめているらしい。しかし、空木が何だろうと思っているうちに、女性はその場から去ってしまった。
「追いかけて」
 と言ったのは椿だ。
 しかし、行動を促したわりには、椿が自らその女性に声をかけることはない。むしろ、空木の背後に回って圧をかけ始める。
 仕方なく、空木は女性を呼び止めた。
「すみません。何かあったんでしょうか」
 振り返った女性は、明らかに怒っていた。空木が思わず怯むくらいには、あからさまに。
 しかし、女性は空木のことをいぶかしく思うでもなく――おそらくは感情のままに――こう答えた。
「あの人たちが、おじいちゃんの――祖父の家から、金目のものを持ち出しているんです!」
 その発言に、空木はぎょっとする。
「え? あの人たち泥棒だったんですか?」
「いいえ。親戚です!」
 女性はすぐさまそう返した。
 親戚なのか……
 空木は拍子抜けする。しかし、この女性の怒りようからすると、何やら事情があるらしい。
 そのことを空木がたずねるまでもなく、女性はこう説明した。
「泥棒は泥棒ですよ。祖父の世話をしないどころか、ろくに顔を合わせなかったくせに。亡くなった途端にこれです。これが泥棒ではなくて何ですか?」
「はあ。それはその、ご愁傷様で……ともかく。それなら、警察に――」
 そこまで言って、空木はその先を言い淀んだ。
 こういうもめごとを一方的な言い分のみで判断するのは早計だ。そうでなくとも、空木はこの件に深入りするつもりなどない。だとすれば、なおのことうかつに口を出すべきではないだろう。
 空木のそんな考えを察したのか、女性は思いのほか冷静にこう返す。
「言ったところでどうにもなりませんよ。親も関わるなと言っているくらいなので。あの人たち、他の親戚からも厄介者として扱われてるんです」
 空木はひとまず納得する。あの家にいた人たちは悪びれる様子もなかった。そもそも悪いことをしているとは思っていないか、あるいは単に厚かましいだけか。もしくは――
 ともかく、面倒くさい身内の対処が容易ではないことは、空木も身に染みてわかっている。
 とはいえ。
「それならあなたは、どうしてここに」
 彼女は素直にこう答える。
「だってくやしいじゃないですか。あの家にあるものなんて、大したものではありませんけど。でも。だからこそ、何もわかってない人に荒らされるのは」
 現実的な話は別として、感情として許しがたいということだろうか。そういう考え自体は、空木にも理解できなくはない。
 だから、空木は思わずこう言った。
「それだけ、亡くなったおじいさんのことが好きだったんですね」
「いいえ。私、そもそも祖父のことはあまり好きじゃないんです。気難しいし、すぐに説教するし」
 好きじゃないのか……
 わざわざ乗り込んで来るくらいなのだから、そうなのかと思ったのだが。あるいは、正義感が強いだけなのかもしれない。
 女性は大きくため息をつく。
「近所に住んでいるので、母や私でたびたび様子を見に行ってたんです。老人のひとり暮らしでしたし。ですから、少なくともあの人たちよりは、祖父のことをわかっていたと思うんですよ。それともこれ、うぬぼれですかね?」
 部外者の空木には何とも答えようがない。とはいえ、相手の方も答えを期待しているわけではないだろう。おそらくは、単に吐き出せる相手が欲しかっただけだ。
 ともかく。
 そもそもの話。空木は奇妙な七輪とそれが起こしたらしい現象を探っていたのだった。この女性から、何かしらの手がかりを引き出せないだろうか。
 そう考えたとき、ふとあることを思い出して、空木は女性にこうたずねた。
「えーと。あの家にいる人たちが出したゴミに、何と言うか、問題がありまして……ゴミ捨て場ってどこかわかります? まとめて出したとか何とか」
「ゴミ? それなら、家の勝手口の方かと……」
 そう答えはしたが、なぜそんなことをたずねられるのかと、女性は不審に思ったらしい。空木たちについて来ると言うので、その場所まで案内してもらうことにした。
 しかして、そこにあったものは――
 明らかにゴミと思われるものに囲まれて、その七輪はどこか所在なさげに捨て置かれていた。それは間違いなく、空木が道を転がるところを見たあの七輪だ。
 相当使い込まれていたせいか、よく見るとけっこう汚れている。とはいえ、周囲にある他のがらくたに比べれば、まだ使えそうではあった。
 しかし、そう思いながめてみると――この七輪、どこか様子がおかしい。いや、そのものとしてはおかしくはないのだが――道端に放っておかれているにもかかわらず、その内部が燃えているように見えたからだ。
 空木は思わず目をしばたたかせた。たった今、見えているこれは現実だろうか。それとも、やはり幻か。
 そんなことを考えているうちに、女性はその七輪を手に取ってしまう。
「これ、おじいちゃんの。こんなところに……」
「あ、熱くないんですか?」
 空木は思わずそうたずねた。しかし、女性はその言葉にけげんな顔をしている。
 少なくとも熱くはないらしい。とはいえ、空木は七輪など使ったこともないから、手に持ってどれだけ中の熱が伝わるものなのか、よくわからないのだが。
 ともかく、七輪を手にした女性はそこにある火に気づくこともなく、懐かしそうに話し始めた。
「私が家を訪ねるときは、おじいちゃん、なぜかよく七輪でおせんべいを焼いていて……私はそれを、単に好きだからだと思っていたんです。でも、母が言うには、たぶんそれは私のためだろうって。あまり覚えてないんですけど、小さい頃には、それを喜んで食べてたみたいで。でも私も、もういい大人なのに……」
 祖父のことはあまり好きではない、のでは――思いがけない昔話に空木がちらりと視線を送ると、女性は苦笑いを浮かべながらこう続けた。
「私、おじいちゃんのこと好きではないですけど、嫌いでもないんですよね。不器用だったんだな、とも思えるので」
 女性の話を聞いているうちに、空木の頭の中には、いつの間にか妙な光景が像を結んでいた。七輪が奇妙なことを起こしたのは、やはり亡くなった老人の魂が乗り移ったからで――その七輪が厄介者たちを炎によって一喝する、というものだ。
 あくまでも勝手な想像だが。
 そうして、あらためて七輪の内部を見てみると、そこには熾火のようなものがあるだけで、それも徐々に弱まり消えていった。この火が今にも燃え上がるのでは――と気が気でなかった空木は、内心でほっとする。それにしても――
 これはやはり、七輪に死者の恨みが宿っていた、ということだろうか。手にした女性が気づいていなかったことからしても、内部の火はおそらく空木の目にだけ見えていたのだろう。転がる七輪が、空木にしか見えていなかったように。
 その荒ぶる魂が、何によって怒りを鎮めたのかはわからない。いや――厄介な親戚を恨んでいるよりは、会いに来てくれた孫に心を寄せた方が死者の魂も安らかでいられるだろう。だとすれば、これは収まるところに収まった、ということだろうか。
 女性は七輪を抱えたまま、空木に向かってこう告げる。
「とりあえず、ありがとうございます。いろいろ話して、少しはすっきりしました。今日はこの七輪だけでも、家に持って帰ることにします」
 その表情には、初めて顔を合わせたときにあった怒りの様相はもうない。少なくとも、空木の目にはそう見えた。
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