第十話 忍石(二/六)

文字数 4,416文字

「翡翠。あなたは、あの石と話をしたことがあるの」
 部屋を出て通り庭へ向かう途中、椿は何気なくそうたずねた。翡翠からは短く、ある、とだけ返ってくる。
「だったら、神棚なんかに置かないで、あの部屋に並べておけばいいのに」
「あの石は、我々とは力の(よすが)が違う。我々とは似て非なるもの」
 特に深い考えがあっての呟きではなかったが、翡翠は思いがけずそう答えた。無口な彼にしては、珍しい。せっかくだからと、椿はもう少し踏み込んでみる。
「どうしてそんなものが、この家に厄介ごとを呼び込んでくるの」
「あの石の自我が、そういう者たちを助けるために生まれたからだ」
 ふうん、と椿は気のない返事をする。そもそもの話、椿は翡翠がどうやって自我を得たのかもよく知らない。
「椿。くわしく知りたいなら、(かや)が帰って来たときに、琥珀(こはく)にたずねるといい。あれのことは、彼の方がよく知っている」
 翡翠の言葉に、椿はため息をついた。
「別に、そのことを強いて知りたいわけじゃないけど。この家には、まだ私の知らない隠しごとがあるみたいだから」
 椿はそう言って、肩をすくめた。嫌みを含ませたことが伝わったのか、翡翠はほんの少し声の調子を落とす。
「椿のことを、ないがしろにしているわけではない。皆、まだ時ではないと思っているだけ」
「そういうことにしておく」
 坪庭と通り庭の境では桜が待っていた。椿の姿を見つけると、ほっとしたようにこちらに向き直る。
 それを見て、椿はふと思った。
「というか、あなたが連れて行けばいいだけじゃないの。あの部屋に」
「僕はダメですって。槐さんの許可もなしに、そんなことできませんよ。いろいろと、あるんです」
 そう言って首を横に振る桜を、椿は冷ややかな目で見返した。
 家事でも何でもだいたいのことはこなす桜だが、他の石とのことになると、たまにこういう反応を示す。どうも、あの部屋にある石の中に折り合いの悪いものがいるらしい。そんなこと、椿の知ったことではないのだが。
 椿はため息をつくと、桜を押しのけて通り庭をのぞき込む。とにかく、こんな面倒ごとは早く終わらせたかった。
 明るい坪庭の方から見ると、土間の通路はいかにも暗い。しかし、その暗がりは視線の先にいる者の姿を隠すほどのものではなかった。
 そこにいたのは制服姿の少女だ。高校生だろうか。こんなところで待たされていることに苛立つ様子もなく、こだわりもなさそうに、たたぼうっと周囲を見回している。
 ――どう声をかけようか。
 椿はとっさに言葉が浮かばず、立ち止まった。客の相手などまともにしたことがないのだから当然なのだが、それでもこんなときには少しもどかしく思う。
 迷った末に、椿はいつもどおりに接することにした。
「この店に、何か用?」
 佇む少女の目の前に歩み寄り、そう問いかける。が、意図せず突き放したような言い方になってしまった。やはり、慣れないことなどするものではない。
 しかし、相手はそれを気にした様子もなく、むしろ別のことに驚いたようだった。
「……女の子?」
 いぶかしげに首をかしげて、そう小さく呟く。その反応も無理はないだろう。待たされた挙げ句に現れたのが、自分よりも年下の子どもだったのだから。
 それでも、相手の方はさして不審がる様子もなく、すぐに気を取り直した。
「お店、見るだけでも大丈夫かな?」
 少女は親しげにそう問いかける。
「そこの戸をくぐり抜けた者なら、基本的にここは来る者拒まず、だから」
 椿は愛想笑いも浮かべずに、ただそう言った。
 それを聞いて、少女は表の格子戸を振り返る。何の変哲もない引き戸だ。しかし、この店に害のある者だと判断されれば、ここから入ることは容易ではない。もちろん、この少女はそんなことを知るはずもないが。
 どうぞ、と声をかけて、椿が奥の方を差し示すと、少女は何の疑いもなくそちらへ足を踏み入れた。椿は彼女の前は歩かずに、すれ違ってから後ろをついて行く。
 坪庭には桜がいる。少女は彼に導かれるまま座敷を通り過ぎ、あの部屋へと向かった。
「ところで、ここは何屋さん?」
 少女の問いかけに、椿は短く、石、とだけ返した。心の内では――そんなこともわからずに、よくこんなところへ入れるものだ、と思いながら。
 部屋への扉は桜が開ける。その先では、灰長石が静かに佇み待っていた。いつも槐がそうするように。しかし、灰長石は決して槐には似ていない。
 灰長石はどこかおもしろがっているような、そんな表情をしている。とはいえ、何も知らずに見れば、まさかこれが人ではないなどとは思わないだろう。
「ようこそ。お嬢ちゃん。さて、お嬢ちゃんは何をご所望かな」
「何って言うか……どうしても気になって。それで入って来ちゃったんですけど」
「かまわないよ。お嬢ちゃん、やはりあれに呼ばれたね」
 冗談っぽく言ってはいるが、聞いている方は気が気ではない。灰長石に任せてさっさと去ろうと思っていたのに、どうにも心配になって、椿は戸口にとどまった。
 少女は招き入れられた部屋の中心で、呆然と壁を見上げている。いつの間にか桜がいなくなっているが、給仕にでも行ったのだろう。
「ここって、こんな――」
 少女はそう言いながら、周囲を見回した。棚に並べられた、石たちを。
「ギャラリーみたいなところだったんですね」
「こういうところには、よく来るのかい?」
 灰長石はそうたずねた。こんなところが他にいくらもあるものだろうか、と椿は内心でいぶかしむ。
「個展とか、小さな店の企画展みたいのには、たまに。それに似てるかな。でも、こんな店は初めてかも。町屋を改造したんですか?」
「ここはちょっと……そういうのとは違うと思うけど」
 目を輝かせている少女に居たたまれなくなって、椿は思わずそう指摘してしまう。
「ところで、お嬢ちゃんはどこからいらしたのかな?」
 灰長石の問いかけに対して、少女は遠方の地名を口にした。京都には修学旅行で訪れたらしい。見かけない制服だから、そんなことだろうとは思っていた。とはいえ――
「ひとりかい? お友だちは?」
 少女は答えをはぐらかした。どうも規則を破ってひとりで行動していたようだ。
 椿は呆れたが、知らない少女相手に苦言を呈するつもりもない。それは灰長石とて同じだろう。特に気にする風もなく、こう続ける。
「そうかい。何にせよ、遠くからよくおいでになった。歓迎するよ。旅人というものは、福と(わざわい)をもたらす存在だ。だからこそ、もてなさなければね」
 灰長石の言葉に、少女は顔をしかめた。
「福も正直、大げさ過ぎてあれだけど、さすがに禍は嫌なんですけど……」
 その言葉に、灰長石は声を上げて笑う。
「だがまあ、初めて会うお人というのは、どんな人だかわからないものだろう? 福か禍か――だったら、そういう心持ちで接するに越したことはない」
「それが京都流のおもてなし?」
 少女の言葉に、灰長石は首を横に振る。
「いやいや。私の流儀だよ。しかし、京都というのは、おもしろい土地だ。おもしろいが、いろいろある分、面倒なしがらみもある。だから――」
 灰長石はそこで一旦区切ると、少女を真っ直ぐに見定めた。そして、こう続ける。
「ここではね、その禍を避けるためのお守りを貸している」
 黙って見守っていた椿は、そこでようやく、それが本題へ入るためのやりとりだったことに気づいた。とはいえ、やはりよくわからない理屈ではあるが。
 少女の方も、突然のことに軽く首をかしげている。
「お守りを貸す――お店なんですか? 売る、ではなく?」
「槐の坊っちゃんは、大事にしてもらえるなら、それで構わないと思ってそうだが。とりあえずは、ね」
 灰長石はわずかに寂しげな表情を浮かべたが、それはすぐに消え去った。人のよさそうな笑みに戻り、少女にこう問いかける。
「さて。何か気になる石はないかな? この中に、お嬢ちゃんの助けになる石があるはずだ」
 この状況に順応していた少女も、さすがにそこで――はいそうですか、と石を選び始めるようなことはしなかった。うろんげな目になって、こうたずねる。
「――それ、お金は?」
「お気持ちだよ。神社でのお参りと一緒だ」
 そんな理屈が通るのだろうか。椿は首をかしげたが、少女はそれを受け入れた。雰囲気にのまれているのか、それとも――
 何はともあれ、少女は部屋の壁まで歩み寄り、首をひねりながら棚をながめ始めた。当初こそおそるおそるという様子だったが、いろいろな鉱物を目にしたことで、そのうち夢中になっていったようだ。
 しばらくしてから、少女はふと、とある石の前で立ち止まった。
「これって葉っぱの化石ですか?」
 そう言って指差した石には、確かに表面に葉が貼りついたような模様があった。黒く、枝分かれした細かな葉。あるいは、その形は樹影にも似ている。
 灰長石は首を横に振った。
「いや。この石は泥なんかが積もって固まった岩に、金属の溶液が染み込んでこんな黒い模様になったものだよ。その模様がシダ植物のシノブの葉に似ているから、忍石(しのぶいし)と呼ばれている」
 灰長石がすすめるので、少女はそれを手に取った。彼女は興味深そうに、その石をのぞき込んでいる。
「それがお嬢ちゃんの気になる石かな? 忍石か。なら、何の問題もないだろう」
「問題のある石もあるんですか?」
 少女の問いかけに、灰長石は苦笑した。
「まあ、お嬢ちゃんがそれを求めるなら止めることはないが、鶏冠石(けいかんせき)や、硫砒鉄鉱(りゅうひてっこう)なら――ひとこと注意は必要だろうからね」
「どうして?」
「……ヒ素の鉱物だから」
 椿は思わずそう答えた。灰長石はうなずいたが、少女の方はいまいち理解が及ばなかったようだ。
「えっと……それって、毒ってこと?」
 灰長石は軽く笑う。
「扱いさえ間違えなければ、危ないものではないよ。ともかく、お嬢ちゃんの選ぶ石は忍石で構わないかな? よければ、お嬢ちゃんにはそれをお貸ししよう」
 灰長石は軽い調子でそう言ったが、少女の方は表情を曇らせる。
「でも、自由行動、明日までなんですよね。どうしよう。借りたとしても、返せなかったら?」
「しばらくは預かってくれてもかまわないよ。落ち着いたら、こちらに送ってくれるでもいい。もしも、どこかに捨てたとしても――こちらの方で探し出すからご心配なく。実際に、そうしたこともあったな。あのときは、大変だった」
 少女は困惑の表情を浮かべた。わざわざ探すという言葉に、若干引いている。無理もない。
 それでも少女は忍石に惹かれるものがあったらしい。彼女はその石を借りることを決めた。
 桜がお茶を持ってきたので、そこでひと息つく。少女は鉱物のことに興味を持ったらしく、熱心にいろいろとたずねていた。それには、灰長石が答えていく。
 そう長い時間ではなかったが、少女はそのひとときに満足して店を去っていった。忍石を持って。
「――よい旅を」
 そう言って、灰長石は少女を見送った。
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