第二十話 石英(一/八)

文字数 2,969文字

 大学が春休みの期間に入ってから、花梨はほとんどの時間を槐の店で過ごしていた。当然、それはアルバイトとして働くためだ。
 そうした結果、倉庫のようだった店もそれなりに片づいて――とまではいかないが、とりあえず置かれていたものは仕分けされ、場所を確保するくらいはできている。とはいえ、店としての体裁を整えるには、まだまだ時間がかかるだろう。
 ともかく、ここにある石を売るためには、何があるかを把握するところから――ということで店の整理を始めたのだが、これが思っていたよりも大変だった。
 部屋を占拠している箱のうち、それごとにひとつの石が分けられているようなものはまだいい。厄介なのは、何もかもが雑多に――鉱物も岩石も全てが一緒に――入れられているような箱があることだ。
 これを売りものにしようとするなら、ひとつひとつ何の石かを判別しないわけにはいかないだろう。しかし、そんなことをしていては時間がどれだけあっても足りない。ただでさえ、花梨はひと目で区別できるほどには、石についてくわしくはないのだから。
 さて、どうしたものか――と考えながらも、花梨がいくつかある箱のひとつをのぞいていると、それに気づいた槐がこう言った。
「それはいわゆる、ズリ(いし)と言われているものでして」
「ズリ石?」
 花梨が問い返すと、槐はさらにこう説明する。
「鉱山で鉱石などを採掘する際に出る不要な石をそう呼ぶのです」
「不要な石、ですか」
 花梨はあらためて、箱の中にある雑多な石に目を向けた。
 そこにあるのは道端に転がっていてもおかしくないような石ころが大半だ。しかし、その中にもきらりと光るものは――水晶だろうか――いくつか見えるのだが。
 槐はこう続ける。
「鉱石は資源として利用される鉱物や岩石のことですね。特定の鉱石を採掘するための鉱山では、それ以外の石は不要なものと見なされてしまいます。そういった捨石はズリ、あるいはボタなどと呼ばれていて、鉱山坑付近に山積しているんです」
 それを聞いていた桜が、運んでいた箱を下ろしながら、こう言った。
「ズリ石なんかは売り物になる石なんてあまりないんじゃないですか? 柾さんが石と見れば何でも持ってくるものだから……そのわりには、ほったらかしなんですよね。あの人」
 柾は槐の叔父――つまり椿の父らしい。この人も石好きとのことだが、そうして持ち込まれた石を見る限り、どうも大雑把な人物のようだ。店にある雑多な石の多くは、その人が集めたものとのこと。
 桜が言うには、埋もれてしまっている中にはもう少しましな扱いの収集品もあるそうだが――それらは、鉱物採取が趣味だった槐の祖父のものだそうだ。こちらなら、ひとつひとつ採取地を記したラベルが添付されているので、見ればわかるだろう、ということだった。
 ともかく、そういった現状を考えれば、売れる石から先に売っていった方がいいのかもしれない。花梨がそんなことを考えていると、そのときふいに、表の格子戸が開く音がした。
 花梨と槐と桜と――この場にいる三人が、そろって通りの方へと目を向ける。皆が見守る中で、おずおずと顔をのぞかせたのは――
「こ、こんにちは……」
 控えめなあいさつと共に、中に入ってきたのは百合だった。
「こんにちは。百合ちゃん」
「花梨さん!」
 百合は花梨と目が合うと、こわばった表情をぱっと明るくさせた。そうして、うしろ手で戸を閉めると、すぐに花梨の元へとかけ寄る。
 その途中、箱の中にあるもの気づいた百合は、大きく目を見開いた。
「わ。すごいですね。これ全部石ですか?」
 そうして室内を見回した百合は、ふと部屋の隅にある石に目を止めて――小さく、あ、と呟いた。
「かんかん石……」
 積み上げられたダンボール箱に囲まれながらも、かろうじて確保された空間に、古めかしい文机がぽつんと置かれている。この机は、店の奥で埋もれていたものをどうにか掘り起こしたものだ。
 机の上には、いくつかの石が並べられている。石燕、異常巻アンモナイト、玄能石、それから割れた火打ち石も。花梨にとっては見覚えのない黒い大きな牙のような石や、薄い板が重なったような石もある。そして、そのとなりには確かにかんかん石も置かれていた。
 それを目にした百合は、しばし無言になる。花梨は少しだけ心配になって彼女の表情をうかがった。かんかん石は、百合にとってつらい記憶と結びついているだろうと思ったからだ。
 しかし、そのことに気づいた百合は、花梨に向かって笑ってみせる。
「大丈夫です。その……これのこと、自分のことを守る武器みたいに思ってたこともあったから。うっかり落として、花梨さんにまで怪我させてしまったけど……だからこそ、これを見ても嫌とかじゃなくて、何となく気合いが入るというか」
 百合のその言葉に嘘はないようだ。少なくとも、花梨にはそう思えた。そのことに、花梨はいくらかほっとする。
「そっか。でも、ここに入ってくるときも、何だか元気がないみたいだったから」
 花梨がそう言うと、百合は慌てて首を横に振った。
「それは、その……違うんです。何と言いますか」
 百合は注目されていることに照れながらも、その理由についてこう答えた。
「何度か来たことはあるんですけど、ここの通り、似たような建物が並んでいるから、この場所で合っていたかどうか不安で――」
 確かに、槐の店がある通りは同じような町屋が並んでいるので区別がつきにくい。それでいて店には看板もないから、うっかり知らないところに入り込んでしまうのでは――と心配する気持ちは、花梨にもよくわかった。
 しかし、そもそも住人である槐や、外に出ない桜にはあまり実感できないことかもしれない。彼らはお互いに顔を見合わせていたが――それでも槐は何やら考え込んだかと思うと、こんなことを話し始めた。
「そういえば、磬石――かんかん石は、叩くための棒と一緒に門前に吊るして、呼び鈴代わりにしていたようなところもあったとか……」
 へえ、と感心したような声を上げながら、百合はあらためて、かんかん石の方へと目を向ける。
 叩くと、かんかん、と澄んだ高い音を鳴らす石。この石が、そんな風に身近に使われていたとは、意外だが――少しおもしろい。
 そんなことを考えながら、花梨も一緒になってかんかん石をながめていると、槐はこんなことを提案した。
「そうですね……これからは、うちでもかんかん石を吊るすようにしましょうか。呼び鈴代わりに――というわけではないですが、店を訪れる人も増えましたし、開いていることを知らせる印として。その方がわかりやすいでしょうから」
 それを聞いた百合はしばしきょとんとしていたが、すぐに笑みを浮かべた。
「それなら、これからはこの石を目印に来られますね。私、これなら絶対に間違いませんから」
 槐はかんかん石を手に取ると、どこに吊るすかを桜と相談し始めたようだ。そうしているうちに、花梨はそれまでの作業を片づけて、通り庭へと下りて行く。
「それじゃあ、槐さん。百合ちゃんと行って来ますね」
 花梨がそう言うと、槐は桜との話を止めてうなずいた。
「ええ。主催の方に、よろしくお伝えください」
 その言葉にうなずき返しながら、花梨は百合を連れて表へと出て行く。そうして、花梨たちが向かったのは――
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