10 平成最後の夏(前)

文字数 2,908文字

 夏休みの間はどうしても遅寝遅起の夜型生活になる。これは僕に限ったことではなく、夏休み中の学生なら誰しも陥る自然な現象だ。と思う。
 ところが大灯花火大会の朝、僕は朝の七時に目が覚めてた。これは普段、学校がある日にアラームで起きている時間だった。
 花火大会は夜七時からなので、ゆうに十二時間後である。余裕だ。
 とはいえ早く起きた理由は別にある。
 僕は枕元のスマホを引き寄せ、大灯花火大会の公式サイトにアクセスした。
 大会開催の可否を確認しなければならないのだ。
 ここ最近、気象が不安定な日が続いていた。台風やゲリラ豪雨の影響で打ち上げ会場の河川敷が増水したという情報もあり、当日の朝でないと開催できるかどうか決められないという異例の事態になっていたのだ。猛暑になったかと思いきや、風雨で急に気温が下がったりと、非常に手のかかる夏だ。
 アクセスが集中しているのか、サイトに繋がるのにはやたらと時間がかかった。
 もしも中止だったらどうしよう?
 その場合、後に延期日が発表されるらしい。ただしその日も那由多先輩の都合がいいとは限らない。むしろ勉強に忙しいので、無理だと思っておいた方がいい。
 とにかく今日が勝負なのだ。
 ようやくサイトにアクセスできた。『本日の大灯花火大会は予定通り開催いたします』という見出しが目に入った。
 僕は心の中でガッツポーズを作った。と思っていたら実際にやっていた。部屋の姿見鏡に自分のポージングが写っていて恥ずかしくなった。
 なにはともあれ無事に開催されるのは素直に喜ばしい。
 一応、念のために天気アプリでも確認しておいた。昨日までは雨だったが、今日だけ快晴、そして明日からはまた雨との予報だった。まるで雨雲が空気を読んだかのようだ。
 とりあえず僕は夏休みにしてはちょっと早めの朝食を取った。コーヒー牛乳と食パンを二枚。それからネットで電車の時刻表や会場付近の地図などを少し確認した。前からも下調べはしてきたが、初めて行く町なので調べすぎて無駄ということはないはずだ。
 あれこれしていたら九時になった。
 僕は那由多先輩に開催決定の旨をメッセージしようかどうか迷った。
 ほぼ一日分のイベントなので、連絡は早いに越したことはない。ただ、もしかしたら夜中まで勉強をしていて、まだ寝ているという可能性だってある。
 メッセージは電話と違っていつ見るのも相手の勝手、というのはわかっている。単に考え過ぎ、ということも承知している。だけど考えてしまうから仕方がない。
 結局、考えても無駄というシンプルな結論に至った。
 僕は手短にメッセージを送った。
『本日、予定通り開催とのことです』
 一分も経たずに返事は来た。寝てはいなかったようだ。
『了解。ところで確認なんだけど、待ち合わせ時間は十六時に秋葉駅前でよかったっけ?』
『そうです。あ、でも都合が悪いなら変えてもいいですよ』
『悪くはないよ。ただ、どれくらいの所要時間か前もって知っておきたくて』
『電車は大灯駅まで片道五十分。それから会場付近まで徒歩二十分くらいです』
『そっか』
 那由多先輩にしては歯切れの悪い文面のように感じた。
 僕は迷ったものの思い切って通話をかけた。忙しいなら出ない。逆なら出るだろう。
「はい。もしもし」
「あ、どうも。今、大丈夫でした?」
「うん。いいんだけど、ちょっと頭を悩ませててさ」
「え、何についてですか?」
 やっぱり都合が悪いのではないか、と思ったが杞憂だった。
「服装についてなんだけど、大灯駅から会場までは歩きで二十分だったよね? ということは往復で四十分だよね。単純計算しても」
 どうして服装と会場までの距離が一緒に質問に並ぶのだろう?
 と思ったものの、僕は素直に答えることにした。
「そうですね。ただ厳密に言えば、会場までの道は屋台とかがあってけっこう混むらしいです。あと、会場付近は有料席、無料席ともに非常に混雑するらしいので、ちょっとだけ離れた穴場スポットを目指そうと思ってます。ただそこは最後の五分くらい坂道になってるっぽいので、片道三十分、往復で一時間は見ておいた方がいいかと思います」
「ふうん。一時間か。ところで参考までに後輩くんはどんな格好で来るつもり?」
「え、特にこれといっては、たぶん普通ですけど」
「普通ってのは学校の制服ってこと?」
「まさか! 普通の私服ですよ。とりあえず今日はパーカーじゃないですかね。今から決めますけど」
「下は?」
「ジーンズじゃないですか?」
「いやいや。もっと下。靴のことさ」
「歩きやすいようにスニーカーですかね」
「ふうん。……と、いうのもね。浴衣で行くかどうか迷ってたんだよ」
「浴衣って、浴衣ですか?」
「花火といったら浴衣じゃないか。何をそんなに驚いてるのかな、後輩くんは」
「あ、いえ。なんか意外だったもので……」
「今年は平成最期の夏なんでしょ? 後輩くんが言ってたんじゃないか。だから本当は億劫だけど、ちょっと気合を入れて用意しようかなとも思ったんだけど……」
「けど?」
「浴衣だと必然的に下駄を履くことになるわけだよ。でも、これはとても歩き辛い。機動力が格段に落ちるんだよね。だからどれくらい歩くことになりそうか、今のうちに聞いてみたってわけさ」
「……ちょ、ちょっと待ってください。健闘。いえ、検討します」
 僕の中では花火が無事に開催され、那由多先輩と待ち合わせさえできれば、あとは自動的に花火を見るところまで進んでいくものと思ったいた。
 だから急に浴衣のことを訊かれても想定外すぎた。書店に入ったらラーメンが売っていた、くらい僕の中では唐突だった。
 もちろん浴衣で来てほしくないわけがない。あまり考えたことはなかったけれど、浴衣なんて滅多に見れるものではないのだ。本来的に有り難いもののはずだ。
 ただ、ここで僕は楽観視してはいけない。先輩は単に服選びを相談しているわけではなく、服装と機動性を天秤にかけて測定したいのだ。
 僕はスマホで地図を開いた。駅から会場付近の経路を検索する。もしかしたら裏道などを使うなど、細かく条件を加えれば少しくらい道のりを短縮できるのではないだろうか。そう期待したものの、時間が増すことはあっても、減るようなことは全然なかった。
「……すいません。やっぱり所要時間は変わりません。下駄での移動は難しいみたいです。それに今思い出したんですけど、帰りはさらに混雑するみたいなので、もっと時間がかかると思っていた方がいいかもしれません」
「なるほどね。歩く距離だけじゃなく、立ってる時間も長くなるってわけか」
「すいません。せっかくの申し出を無下ににするみたいで」
「まったくだよ。と言うのは冗談で、律儀に調べてくれてありがとう。足を痛めて勉強ができなくなったら元も子もないからね。歩きやすい格好で行くことにするよ。それじゃあ、十六時にまた改めて」
「はい。よろしくお願いします」
 電話を切った後、僕は少しだけ後悔した。でも、これでよかったのだ。
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登場人物紹介

湊 奏汰(みなと そうた)


主人公。高校2年生。図書委員。

那由多 宇宙(なゆた そら)


高校3年生。図書委員の先輩。

榎本 夏彦(えのもと なつひこ)


高校2年生。湊奏汰のクラスメイト。オカルト研究会。

榎本 夏鈴(えのもと かりん)


高校1年生。湊奏汰の後輩。図書委員。

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