5 フリマアプリ事件(中)
文字数 2,770文字
週が明けてから数日が経過した水曜日。
朝、バスで学校に向かっていると、スマホに先輩から「学校に着いたら図書室に」とメッセージが入ってきた。
先週までなら多少渋ったかもしれないが、今となっては正反対だ。
僕は昇降口で靴を履き替えると教室には向かわずに図書室へ直行した。
図書室には先輩が一人で僕のことを待っていた。
僕が中に入るとドアを閉めるように指示された。
「何かわかったんですか?」
僕が訊ねると先輩は閲覧用のテーブルに本を三冊積み重ねた。いずれもM沢の未返却本と同じ本だった。
「どうしたんですか、これは」
「買った」
「どこからですか?」
「フリマアプリからだよ。例の」
「た、高かったんじゃないですか?」
「そりゃあ、ね。普通には買えないからプレミア扱いになっていたんだろうし」
「し、しかも出品されてた三冊全部じゃないですか?」
「だってどれが本物か見分けがつかなかったからね。大丈夫だよ。犯人を特定した暁には必要経費として耳を揃えて返してもらうつもりでいるからさ。というか、必ず返させる」
「………………」
理屈の上ではそうだろうけれど、言い換えれば犯人を捕まえられなければ損を被ることになるのだ。先輩の決断力に僕は言葉が出なかった。とても僕には真似できそうにない。
「そ、それで、なにか手がかりはあったんですか?」
「うちの図書室のものかどうかはわからなかった、ということはわかったかな」
那由多先輩は本を三冊とも裏返して並べた。
うちの図書室の蔵書なら裏表紙の右下に管理番号のタグが貼ってある。ところが三冊のどれにもタグはついていなかった。最初からついていなかったのか、丁寧に剥がされてしまったのかは区別しようがない。
「そうだ。本が届いたってことは、送り主の住所はわかったんですよね?」
「全員しっかり個人情報を伏せて送ってきたよ。流石に個人情報を相手に開示しなくても取引ができることが売りのアプリなだけあるよね」
「ということは収穫ゼロってことですか?」
「って本気で思っているのかな、後輩くんは」
「え、違うんですか?」
「カウンターの端末でその本を検索してみて」
意図がわからないまま僕はカウンターにあるパソコンで蔵書検索を行った。
「え? あれ? 未返却じゃなくなってますけど?」
「そうなんだよ」
不可解なことにM沢の未返却はデータ上では戻ってきていることになっていた。
「先輩が返却処理したんですか? 本を買ったから?」
「まさか。誰かが勝手に返却処理をしたってことだよ」
「そんなことできるんですか?」
「基本的には司書の先生がやることになってるけど、ある程度経験がある人間なら処理できると思う。一応、わたしも知ってるし」
「僕は知りません」
「わたしも他に誰が知ってるかは知らない」
「M沢が図書室に誰もいない時に来て証拠隠滅しようとしたんでしょうか?」
「それができるなら自分でやってると思うんだよね、疑われる前に」
犯人(もはやM沢かどうかも僕にはわからない)が動きを見せたのはよかったけれど、結果的には煙に巻かれたような心境だった。
ホームルームの予鈴が鳴ったので僕は諦めて教室に移動しようとした。
「……結局、確たる証拠は出ないままでしたね」
しかし先輩から返ってきた言葉は意味深なものだった。
「証拠がないなら作ればいいのさ」
その意味は昼休みになってから発覚した。
昼ご飯を取りながらフリマアプリを開くと、例の本が出品されていた。しかも価格は前回のさらに倍、定価のゆうに四倍になっていた。
驚いた僕はすぐさま那由多先輩にこのことをメッセージで伝えた。
那由多先輩からの返信はすぐに来た。スタンプも顔文字もなかったけれど、察しの悪さい呆れたような文面だった。
『タイミング的にわからなかったかな。わたしだよ』
僕には先輩の意図がつかめなかった。昼の図書室では人に話を聞かれてしまう可能性があったので、代わりに屋上に来てもらうことにした。
「どういうことですか? これではまるで先輩が犯人みたいじゃないですか」
「わからないかな。犯人を捕まえるためには犯人になることが一番なんだよ」
「すいません。わかりません」
「いつか言わなかったっけ? 認識が世界を作るって。つまりは犯人の認識だよ」
「プロファイリングというやつですか? あまりミステリーには詳しくないんですけど……」
「キミが犯人だとしたら、このアプリに上がってきた出品物を見てどう思う?」
「え? まあ、高い本だなあ、としか」
「もっと犯人になりきるんだよ。キミは既に一冊、同じ本をフリマで売りさばいた犯人なんだ。さあ、もう一度考えて」
「僕が売った時よりも倍の金額で出品してるなんて、流石に売れないんじゃないかなあ、と」
「悪くはないけど、ちょっと冷めすぎだね。そもそも犯人は儲けたくて悪事に手を染めているんだ。飽くなき欲望を抱いているんだ。もっとアッパーに考えよう」
「もしかしたらこの金額でも売れたんじゃないだろうか……的な?」
「そう、それそれ。なかなかいい小悪党の思考になってきたね」
「もしかして犯人にもう一度、犯行を繰り返させようとしてます?」
「そういうわけさ」
証拠がないなら作ればいい、と朝に言っていた意味をようやく理解した。
「でも、犯人は図書室にはもう本がないと思ってますよ」
「そうだね。だからさっき、M沢のところに行って謝罪してきたんだよ」
「謝罪?」
「未返却本は図書委員の過失で紛失したことがわかったから補充したって。冤罪で申し訳なかった、って」
「M沢は犯人じゃない、って朝に言ってませんでしたか?」
「自分で図書室の端末をいじった可能性は少ない、ってだけだよ。今でも重要参考人のポジションに変わりはないね」
「犯行現場を押さえるために容疑者に情報を流した、ってことですか?」
先輩はしたり顔で頷いた。
言葉だけだと思っていた図書室警察が思った以上に本場めいてきた。
「でも、一度疑われているのにもう一度借りていくようなことするでしょうか?」
「まず、しないだろうね。延滞はもちろん、貸出履歴だって残したくないはずだよ」
「ということは?」
「犯罪というのは繰り返すほどに罪の意識が下がっていくものなんだ。貸出なんてまどろっこしいことはしないで、直に盗みに来るだろうね」
図書室のセキリティーはほぼないに等しい。管理タグはつけているものの、あくまで蔵書管理のためであって防犯上の機能はない。無断で図書室から持ち出されてもお店のように出入り口でアラームが鳴ったりはしないのだ。
「それじゃあどうするんですか?」
「閉架に置くんだよ。本も、人も」
「人も?」
朝、バスで学校に向かっていると、スマホに先輩から「学校に着いたら図書室に」とメッセージが入ってきた。
先週までなら多少渋ったかもしれないが、今となっては正反対だ。
僕は昇降口で靴を履き替えると教室には向かわずに図書室へ直行した。
図書室には先輩が一人で僕のことを待っていた。
僕が中に入るとドアを閉めるように指示された。
「何かわかったんですか?」
僕が訊ねると先輩は閲覧用のテーブルに本を三冊積み重ねた。いずれもM沢の未返却本と同じ本だった。
「どうしたんですか、これは」
「買った」
「どこからですか?」
「フリマアプリからだよ。例の」
「た、高かったんじゃないですか?」
「そりゃあ、ね。普通には買えないからプレミア扱いになっていたんだろうし」
「し、しかも出品されてた三冊全部じゃないですか?」
「だってどれが本物か見分けがつかなかったからね。大丈夫だよ。犯人を特定した暁には必要経費として耳を揃えて返してもらうつもりでいるからさ。というか、必ず返させる」
「………………」
理屈の上ではそうだろうけれど、言い換えれば犯人を捕まえられなければ損を被ることになるのだ。先輩の決断力に僕は言葉が出なかった。とても僕には真似できそうにない。
「そ、それで、なにか手がかりはあったんですか?」
「うちの図書室のものかどうかはわからなかった、ということはわかったかな」
那由多先輩は本を三冊とも裏返して並べた。
うちの図書室の蔵書なら裏表紙の右下に管理番号のタグが貼ってある。ところが三冊のどれにもタグはついていなかった。最初からついていなかったのか、丁寧に剥がされてしまったのかは区別しようがない。
「そうだ。本が届いたってことは、送り主の住所はわかったんですよね?」
「全員しっかり個人情報を伏せて送ってきたよ。流石に個人情報を相手に開示しなくても取引ができることが売りのアプリなだけあるよね」
「ということは収穫ゼロってことですか?」
「って本気で思っているのかな、後輩くんは」
「え、違うんですか?」
「カウンターの端末でその本を検索してみて」
意図がわからないまま僕はカウンターにあるパソコンで蔵書検索を行った。
「え? あれ? 未返却じゃなくなってますけど?」
「そうなんだよ」
不可解なことにM沢の未返却はデータ上では戻ってきていることになっていた。
「先輩が返却処理したんですか? 本を買ったから?」
「まさか。誰かが勝手に返却処理をしたってことだよ」
「そんなことできるんですか?」
「基本的には司書の先生がやることになってるけど、ある程度経験がある人間なら処理できると思う。一応、わたしも知ってるし」
「僕は知りません」
「わたしも他に誰が知ってるかは知らない」
「M沢が図書室に誰もいない時に来て証拠隠滅しようとしたんでしょうか?」
「それができるなら自分でやってると思うんだよね、疑われる前に」
犯人(もはやM沢かどうかも僕にはわからない)が動きを見せたのはよかったけれど、結果的には煙に巻かれたような心境だった。
ホームルームの予鈴が鳴ったので僕は諦めて教室に移動しようとした。
「……結局、確たる証拠は出ないままでしたね」
しかし先輩から返ってきた言葉は意味深なものだった。
「証拠がないなら作ればいいのさ」
その意味は昼休みになってから発覚した。
昼ご飯を取りながらフリマアプリを開くと、例の本が出品されていた。しかも価格は前回のさらに倍、定価のゆうに四倍になっていた。
驚いた僕はすぐさま那由多先輩にこのことをメッセージで伝えた。
那由多先輩からの返信はすぐに来た。スタンプも顔文字もなかったけれど、察しの悪さい呆れたような文面だった。
『タイミング的にわからなかったかな。わたしだよ』
僕には先輩の意図がつかめなかった。昼の図書室では人に話を聞かれてしまう可能性があったので、代わりに屋上に来てもらうことにした。
「どういうことですか? これではまるで先輩が犯人みたいじゃないですか」
「わからないかな。犯人を捕まえるためには犯人になることが一番なんだよ」
「すいません。わかりません」
「いつか言わなかったっけ? 認識が世界を作るって。つまりは犯人の認識だよ」
「プロファイリングというやつですか? あまりミステリーには詳しくないんですけど……」
「キミが犯人だとしたら、このアプリに上がってきた出品物を見てどう思う?」
「え? まあ、高い本だなあ、としか」
「もっと犯人になりきるんだよ。キミは既に一冊、同じ本をフリマで売りさばいた犯人なんだ。さあ、もう一度考えて」
「僕が売った時よりも倍の金額で出品してるなんて、流石に売れないんじゃないかなあ、と」
「悪くはないけど、ちょっと冷めすぎだね。そもそも犯人は儲けたくて悪事に手を染めているんだ。飽くなき欲望を抱いているんだ。もっとアッパーに考えよう」
「もしかしたらこの金額でも売れたんじゃないだろうか……的な?」
「そう、それそれ。なかなかいい小悪党の思考になってきたね」
「もしかして犯人にもう一度、犯行を繰り返させようとしてます?」
「そういうわけさ」
証拠がないなら作ればいい、と朝に言っていた意味をようやく理解した。
「でも、犯人は図書室にはもう本がないと思ってますよ」
「そうだね。だからさっき、M沢のところに行って謝罪してきたんだよ」
「謝罪?」
「未返却本は図書委員の過失で紛失したことがわかったから補充したって。冤罪で申し訳なかった、って」
「M沢は犯人じゃない、って朝に言ってませんでしたか?」
「自分で図書室の端末をいじった可能性は少ない、ってだけだよ。今でも重要参考人のポジションに変わりはないね」
「犯行現場を押さえるために容疑者に情報を流した、ってことですか?」
先輩はしたり顔で頷いた。
言葉だけだと思っていた図書室警察が思った以上に本場めいてきた。
「でも、一度疑われているのにもう一度借りていくようなことするでしょうか?」
「まず、しないだろうね。延滞はもちろん、貸出履歴だって残したくないはずだよ」
「ということは?」
「犯罪というのは繰り返すほどに罪の意識が下がっていくものなんだ。貸出なんてまどろっこしいことはしないで、直に盗みに来るだろうね」
図書室のセキリティーはほぼないに等しい。管理タグはつけているものの、あくまで蔵書管理のためであって防犯上の機能はない。無断で図書室から持ち出されてもお店のように出入り口でアラームが鳴ったりはしないのだ。
「それじゃあどうするんですか?」
「閉架に置くんだよ。本も、人も」
「人も?」