17 幽霊
文字数 3,890文字
一年前、那由多先輩が事故で亡くなった後、僕はインターネットをやっていた。
先輩の葬儀が行われた日も、僕は参列しないでインターネットを続けていた。
ニュース記事からSNSのつぶやき、ブログ、まとめ記事まで、当時の僕は那由多先輩に関する情報にすべて目を通していた。
そんなことをしても意味がないのは自分でもわかっていた。時間が時間が巻き戻るわけではない。ましてや那由多先輩が生き返ったりもしない。
それでも僕はネットを見ることをやめられなかった。
それ以外に先輩の死を実感する方法がなかったのだと思う。
もしも先輩が生きていたのなら「そんなことに時間を費やすくらいならもっと生産的なことをしようよ。本を読むとかさ」なんて諌めてくれたかもしれない。
でも死んだ人は口を聞くことはできない。
だから僕はずっと同じことを繰り返すしかなかった。
自分でもこんなことはやめなければいけないのはわかっていた。
那由多先輩の情報を目にする度に激しい苦痛に苛まれていた。
なのに僕は自分から情報を探したり、目についたものを端から追いかけた。
その度に自分を傷つけることを繰り返していた。
そんな状態から抜け出せたのはほとんど偶然だった。
ある日、SNSでうちの高校と思われる生徒が那由多先輩のことを茶化している発言を見つけた。
今となっては細かい内容は忘れてしまったけれど、その時の僕は我を忘れるほど頭に血が上ったらしかった。
気がついたら部屋の壁にスマホを叩きつけていた。
液晶画面にはヒビが蜘蛛の巣みたいにびっしりと入っていた。
流石に自分の感情をコントロールできないのは流石に拙いと思った。
これを機に僕はスマホを封印し、ネットを断ちを始めた。
代わりに勉強に専念することにした。
知識で頭の中を埋めることで、望まない情報が入り込まないようにしようとしたのだ。
最近までこの試みは成功していた。
というのは所詮は思い込みで、一年を経た【新元号】の夏、僕は再びネットの中に那由多先輩を探していた。
久しぶりに充電して復旧させたスマホは幸いにも正常に起動した。
ヒビのせいで画面は見づらかったが、どうにか使えないことはない。
気がつけば夏休みに入ってから僕は勉強を一切せずにネットばかりやっていた。
夏鈴さんの言っていたように、ネットには大灯市の幽霊についての情報がまことしやかに語られていた。根も葉もない流言飛語と言ってしまえばそれまでだけれど、一年も前の事故の割には、未だに話題に出している人の数が多い気がした。
(本当に幽霊がいるなんていると思っているのか?)
僕は僕に訊ねた。もちろんそんなことはない。
これまでの十七年間、心霊現象の類に遭遇したことは一度もなかった。
UFOだって見たことはないし、なんなら占いでさえ気休めだと思っている。
それなのに僕はネットをやめることができなかった。
ずっと那由多先輩について触れている文章を追い求め続けた。
そんな時、画面に通話の着信が入った。
一年近くも使っていなかったスマホに一体誰が、と思ったら夏彦からだった。
「どうしたんだよ、奏汰。スマホ復活させたのか?」
通話に出るなり夏彦は質問を浴びせてきた。
「そうなんだけど、なんで夏彦が知ってるんだ?」
「は? メッセージを開くと送り主がわかるSNSだからだよ。すげー久しぶりに既読がついたから驚いてかけたんだ」
そういえばそんな機能のついてるSNSもあったような。
そんなことすら忘れているくらい、スマホを使うのは久しぶりだったのだ。
ともあれこのままではネットのスパイラルから抜け出せそうになかったので助かった。
それにちょうどこちらから夏彦に訊きたいこともあったのだ。まさに渡りに船。僕は単刀直入に訊ねた。
「那由多先輩の幽霊が大灯駅前に出るって噂がネットに流れてるのは知ってる?」
電話口の向こうで夏彦が息を飲んだのがわかった。
「…………知ってる」
だけど、と夏彦は間髪を容れずに続けた。
「ネットなんて無関係な奴らが無責任なことを好き勝手につぶやいてる場所じゃないか。無法地帯だよ。そんなところの情報を真に受けるなんてどうかしてるぜ」
「そうだね。それはよくわかってるよ」
でも、と僕は続けた。
「調べてみたらちょっとおかしいんだよ。普通、噂って最初に盛り上がった後、次第に薄れていくものじゃないか。なのに先輩の幽霊の噂に限っては、なぜか最近になって徐々に増えてきているみたいなんだ」
「なんで増えてるってわかるんだよ?」
「自分でも引くくらい執拗に調べ上げて、情報を日付毎に並べたんだ。実際、今月に入ってからの目撃証言もあったりするんだよ」
夏彦はしばらく黙り込んだ後、諭すように僕に言った。
「夢を壊すようなこと言って悪いが、それはたぶん大灯の花火大会が近いからなんじゃないか? 花火を見に行こうとしている連中がネットで去年の記事を見て、話をそれっぽく盛っているんだ。言葉は悪いけど、今受けるネタとして情報が掘り起こされただけなんだ」
「……………………」
「だいたい、なんで今になってなんだよ? ネットの有象無象の情報から距離を取りたくて、スマホを封印してたんじゃなかったのか?」
「そ、それはそうだけど……」
「誰かから聞いたのか?」
夏彦が恐ろしく冴えた質問をしてきた。
「いや、なんとなく久しぶりにネットをやりたくなってさ」
僕はしらばっくれたが、あっさりと見透かされてしまった。
「下手な嘘つくな。一年近くネット断ちしてたのに、特に理由もなく復旧させるわけないだろ。やっぱり誰かから聞いたんだな? 大灯に幽霊が出るって」
「いいじゃないか。僕はもうネットで見てしまったんだし。今さら誰が言っていたかだなんて」
「わざわざ伏せようとするところがあやしい。まさか夏鈴か? 夏鈴なんだな!」
普段は鈍感な夏彦だったが、身内のことになると妙に洞察力が働くようだった。これ以上は誤魔化せないと僕も諦めるしかなかった。
「確かにそうだけど、夏鈴さんを責めないでくれ。彼女に悪気はなかったし、たぶん知らずに話してきたんだよ」
「知らなければ何を喋ってもいい、ってことにはならないんだよ。悪かった。後でこっぴどく言っておくから」
「いや、できれば言わないで欲しい。気を遣わせたくないんだよ」
「だけどそのままにしておくと、あいつのことだからまたデリカシーのないことを口にするかもしれないんだぜ?」
「構わない。それより夏彦がオカ研であることを見込んで訊きたいことがあるんだ」
「なんだよ? 急に改まって」
「幽霊って実在すると思う?」
「………………」
「いや、僕だって馬鹿げた質問だってのは承知してるよ。既にさっき、大灯の幽霊の目撃証言は否定されたばかりだし。それはそれでとりあえずはいいんだ。ただ、僕が訊きたいのはもっと広くて全般的なことなんだ。簡潔に言うと、夏彦は幽霊の存在を信じているかどうってこと」
「……それを訊いてどうするんだ?」
「今のところ、ただ訊きたいだけなんだ」
「俺が幽霊が信じてるかどうかってことを?」
「うん。っていうのもさ、夏彦だってそういう超常的なものが完全には否定できないと心のどこかで思っているから、オカ研に入ってるんじゃないのかな?」
「………………」
呆れているわけではないと思う。たぶん夏彦は考えをまとめてくれているのだ。
「……確かにそうあってほしいとは思ってる。どんなに科学が進んで解明できないことはあるだろうし、何より俺はオカルトにロマンを感じているんだ。でも」
「でも?」
「存在して欲しいと思うのと、実際に存在することは別だ。俺はオカルトをファンタジーとして楽しんでいる。宇宙人の存在を信じていなくてもSFは楽しめるし、タイムマシンが22世紀中に発明される見込みがなくてもドラえもんは好きだ」
だから、と彼は言う。
「先輩の幽霊はいない。それが俺の意見だ」
「………………」
僕は目をつむって彼の意見が自分に染み込むのを待った。
「……ありがとう。キッパリ言ってくれて。ずっと自問自答しすぎていて、そんな当たり前のことさえわからなくなっていたよ」
「悪い。野暮なことを言って」
「いいんだ。全然」
もちろん夏彦の言葉は辛かった。それでも彼と話すことで僕の気持ちは確実に整理されつつあった。
そしてあと少しという感覚があった。
「もう一つだけ訊きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「この際だから何個でも言ってくれ」
「今年は夏鈴さんを連れて大灯の花火に行くんだろ? 今回は特等席を用意しているらしいじゃないか。【新元号】最初の夏だからってことで」
「それも夏鈴から聞いたのか?」
「そうだね。というか先に花火に誘われて、僕が断ったから幽霊の話を出してきたんだ。僕の気を引けると思ったのか」
「ああ、そういう話の流れだったのか。っていうか、名誉のために一応言わせてもらうけど、俺は本当に今年は行く気はなかったんだよ。普通に勉強してるつもりだったんだ。なのに夏鈴が駄々こねて、見かねた親に連れていけくように命令されたんだ。不可抗力だったんだ」
「兄妹ってのも大変なんだね。ところでお願いがあるんだ」
「なんだよ。今さら遠慮なんかするなよ。期末考査のノートの借りだってあるしな」
「大灯の花火、途中まで僕も一緒に行ってもいいかな?」
先輩の葬儀が行われた日も、僕は参列しないでインターネットを続けていた。
ニュース記事からSNSのつぶやき、ブログ、まとめ記事まで、当時の僕は那由多先輩に関する情報にすべて目を通していた。
そんなことをしても意味がないのは自分でもわかっていた。時間が時間が巻き戻るわけではない。ましてや那由多先輩が生き返ったりもしない。
それでも僕はネットを見ることをやめられなかった。
それ以外に先輩の死を実感する方法がなかったのだと思う。
もしも先輩が生きていたのなら「そんなことに時間を費やすくらいならもっと生産的なことをしようよ。本を読むとかさ」なんて諌めてくれたかもしれない。
でも死んだ人は口を聞くことはできない。
だから僕はずっと同じことを繰り返すしかなかった。
自分でもこんなことはやめなければいけないのはわかっていた。
那由多先輩の情報を目にする度に激しい苦痛に苛まれていた。
なのに僕は自分から情報を探したり、目についたものを端から追いかけた。
その度に自分を傷つけることを繰り返していた。
そんな状態から抜け出せたのはほとんど偶然だった。
ある日、SNSでうちの高校と思われる生徒が那由多先輩のことを茶化している発言を見つけた。
今となっては細かい内容は忘れてしまったけれど、その時の僕は我を忘れるほど頭に血が上ったらしかった。
気がついたら部屋の壁にスマホを叩きつけていた。
液晶画面にはヒビが蜘蛛の巣みたいにびっしりと入っていた。
流石に自分の感情をコントロールできないのは流石に拙いと思った。
これを機に僕はスマホを封印し、ネットを断ちを始めた。
代わりに勉強に専念することにした。
知識で頭の中を埋めることで、望まない情報が入り込まないようにしようとしたのだ。
最近までこの試みは成功していた。
というのは所詮は思い込みで、一年を経た【新元号】の夏、僕は再びネットの中に那由多先輩を探していた。
久しぶりに充電して復旧させたスマホは幸いにも正常に起動した。
ヒビのせいで画面は見づらかったが、どうにか使えないことはない。
気がつけば夏休みに入ってから僕は勉強を一切せずにネットばかりやっていた。
夏鈴さんの言っていたように、ネットには大灯市の幽霊についての情報がまことしやかに語られていた。根も葉もない流言飛語と言ってしまえばそれまでだけれど、一年も前の事故の割には、未だに話題に出している人の数が多い気がした。
(本当に幽霊がいるなんていると思っているのか?)
僕は僕に訊ねた。もちろんそんなことはない。
これまでの十七年間、心霊現象の類に遭遇したことは一度もなかった。
UFOだって見たことはないし、なんなら占いでさえ気休めだと思っている。
それなのに僕はネットをやめることができなかった。
ずっと那由多先輩について触れている文章を追い求め続けた。
そんな時、画面に通話の着信が入った。
一年近くも使っていなかったスマホに一体誰が、と思ったら夏彦からだった。
「どうしたんだよ、奏汰。スマホ復活させたのか?」
通話に出るなり夏彦は質問を浴びせてきた。
「そうなんだけど、なんで夏彦が知ってるんだ?」
「は? メッセージを開くと送り主がわかるSNSだからだよ。すげー久しぶりに既読がついたから驚いてかけたんだ」
そういえばそんな機能のついてるSNSもあったような。
そんなことすら忘れているくらい、スマホを使うのは久しぶりだったのだ。
ともあれこのままではネットのスパイラルから抜け出せそうになかったので助かった。
それにちょうどこちらから夏彦に訊きたいこともあったのだ。まさに渡りに船。僕は単刀直入に訊ねた。
「那由多先輩の幽霊が大灯駅前に出るって噂がネットに流れてるのは知ってる?」
電話口の向こうで夏彦が息を飲んだのがわかった。
「…………知ってる」
だけど、と夏彦は間髪を容れずに続けた。
「ネットなんて無関係な奴らが無責任なことを好き勝手につぶやいてる場所じゃないか。無法地帯だよ。そんなところの情報を真に受けるなんてどうかしてるぜ」
「そうだね。それはよくわかってるよ」
でも、と僕は続けた。
「調べてみたらちょっとおかしいんだよ。普通、噂って最初に盛り上がった後、次第に薄れていくものじゃないか。なのに先輩の幽霊の噂に限っては、なぜか最近になって徐々に増えてきているみたいなんだ」
「なんで増えてるってわかるんだよ?」
「自分でも引くくらい執拗に調べ上げて、情報を日付毎に並べたんだ。実際、今月に入ってからの目撃証言もあったりするんだよ」
夏彦はしばらく黙り込んだ後、諭すように僕に言った。
「夢を壊すようなこと言って悪いが、それはたぶん大灯の花火大会が近いからなんじゃないか? 花火を見に行こうとしている連中がネットで去年の記事を見て、話をそれっぽく盛っているんだ。言葉は悪いけど、今受けるネタとして情報が掘り起こされただけなんだ」
「……………………」
「だいたい、なんで今になってなんだよ? ネットの有象無象の情報から距離を取りたくて、スマホを封印してたんじゃなかったのか?」
「そ、それはそうだけど……」
「誰かから聞いたのか?」
夏彦が恐ろしく冴えた質問をしてきた。
「いや、なんとなく久しぶりにネットをやりたくなってさ」
僕はしらばっくれたが、あっさりと見透かされてしまった。
「下手な嘘つくな。一年近くネット断ちしてたのに、特に理由もなく復旧させるわけないだろ。やっぱり誰かから聞いたんだな? 大灯に幽霊が出るって」
「いいじゃないか。僕はもうネットで見てしまったんだし。今さら誰が言っていたかだなんて」
「わざわざ伏せようとするところがあやしい。まさか夏鈴か? 夏鈴なんだな!」
普段は鈍感な夏彦だったが、身内のことになると妙に洞察力が働くようだった。これ以上は誤魔化せないと僕も諦めるしかなかった。
「確かにそうだけど、夏鈴さんを責めないでくれ。彼女に悪気はなかったし、たぶん知らずに話してきたんだよ」
「知らなければ何を喋ってもいい、ってことにはならないんだよ。悪かった。後でこっぴどく言っておくから」
「いや、できれば言わないで欲しい。気を遣わせたくないんだよ」
「だけどそのままにしておくと、あいつのことだからまたデリカシーのないことを口にするかもしれないんだぜ?」
「構わない。それより夏彦がオカ研であることを見込んで訊きたいことがあるんだ」
「なんだよ? 急に改まって」
「幽霊って実在すると思う?」
「………………」
「いや、僕だって馬鹿げた質問だってのは承知してるよ。既にさっき、大灯の幽霊の目撃証言は否定されたばかりだし。それはそれでとりあえずはいいんだ。ただ、僕が訊きたいのはもっと広くて全般的なことなんだ。簡潔に言うと、夏彦は幽霊の存在を信じているかどうってこと」
「……それを訊いてどうするんだ?」
「今のところ、ただ訊きたいだけなんだ」
「俺が幽霊が信じてるかどうかってことを?」
「うん。っていうのもさ、夏彦だってそういう超常的なものが完全には否定できないと心のどこかで思っているから、オカ研に入ってるんじゃないのかな?」
「………………」
呆れているわけではないと思う。たぶん夏彦は考えをまとめてくれているのだ。
「……確かにそうあってほしいとは思ってる。どんなに科学が進んで解明できないことはあるだろうし、何より俺はオカルトにロマンを感じているんだ。でも」
「でも?」
「存在して欲しいと思うのと、実際に存在することは別だ。俺はオカルトをファンタジーとして楽しんでいる。宇宙人の存在を信じていなくてもSFは楽しめるし、タイムマシンが22世紀中に発明される見込みがなくてもドラえもんは好きだ」
だから、と彼は言う。
「先輩の幽霊はいない。それが俺の意見だ」
「………………」
僕は目をつむって彼の意見が自分に染み込むのを待った。
「……ありがとう。キッパリ言ってくれて。ずっと自問自答しすぎていて、そんな当たり前のことさえわからなくなっていたよ」
「悪い。野暮なことを言って」
「いいんだ。全然」
もちろん夏彦の言葉は辛かった。それでも彼と話すことで僕の気持ちは確実に整理されつつあった。
そしてあと少しという感覚があった。
「もう一つだけ訊きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「この際だから何個でも言ってくれ」
「今年は夏鈴さんを連れて大灯の花火に行くんだろ? 今回は特等席を用意しているらしいじゃないか。【新元号】最初の夏だからってことで」
「それも夏鈴から聞いたのか?」
「そうだね。というか先に花火に誘われて、僕が断ったから幽霊の話を出してきたんだ。僕の気を引けると思ったのか」
「ああ、そういう話の流れだったのか。っていうか、名誉のために一応言わせてもらうけど、俺は本当に今年は行く気はなかったんだよ。普通に勉強してるつもりだったんだ。なのに夏鈴が駄々こねて、見かねた親に連れていけくように命令されたんだ。不可抗力だったんだ」
「兄妹ってのも大変なんだね。ところでお願いがあるんだ」
「なんだよ。今さら遠慮なんかするなよ。期末考査のノートの借りだってあるしな」
「大灯の花火、途中まで僕も一緒に行ってもいいかな?」