4 フリマアプリ事件(前)

文字数 4,638文字

 やむなく始めた未返却本の回収(図書室警察活動、と言うのにはまだ抵抗がある)だったけれど、これが予想外に上手く進んでいた。
 那由多先輩を見返してやりたい、という気持ちが微塵もなかったわけではないけれど、僕はそこまで勝ち負けにこだわるつもりはなかった。
 ただその気があろうとなかろうと、未返却本の回収は進めなければならない。そうしないと次の貸出希望者に本がいつまでも回らない可能性があるからだ。
 先輩から送られてきたリストには二十冊分ほどの情報が載っていた。一人で複数冊借りたままの延滞者も中にはいたけれど、ひとまず十冊ほど回収できれば過半数を越えたことになりそうだった。
 僕はひとまず一番楽そうなところから手をつけることにした。
 リストの中には隣のクラスの男子の名前があった。僕は早速、時間を見計らって彼に声をかけにいった。
「図書室の本が返却期限を少しだけ過ぎてしまっているみたいなんだけど、ちょっと確認してもらえないかな?」
 先輩の強引なやり方の反面教師で、かなりやんわりした催促になってしまった。
 流石に弱腰すぎたかと後悔したけれど、それは杞憂に終わった。彼は両手をすり合わせて頭を深々と下げてきた。
「悪い、完璧に忘れてた! ずっと机の中に置きっぱだったから今持ってくる!」
 相手はすぐさま自分の席から未返却本を持ってきた。
 あまりに事が上手く運びすぎて拍子抜けしてしまったほどだった。
 たぶんビギナーズラックみたいなものだったのだろう。
 そう考えて調子に乗らないようした努めようとした。
 なのになぜかその後も回収はトントン拍子で続いた。
 気がつけば週が終わり切らないうちに過半数まであと一冊というところに来ていた。
 あれ、この調子だともしかして先輩に勝ててしまうのではないだろうか?
 予期せず勝利が目前に見えて戸惑った。
 いや、でも別に僕は勝負ではなく図書委員の仕事をしていたまでだ。
 なんて思いつつも、つい気になって那由多先輩にメッセージで訊いてみた。
「図書室警察の進捗はどうですか?」
「来週の頭には十冊目が返却される目処がついてるよ」
 今日は週末の金曜日だった。今日中に僕があと一冊、回収に成功すれば先輩に勝ってしまうことになる。
 仮に勝ったらどうなるんだろう?
 先輩は本の回収方法を改めると言っていたはずだ。
 もしかしたらこれを機に僕に対する姿勢も変わるかもしれない。
 思えば最初の出会いの時に僕と先輩の構図みたいなものが固まってしまったていた。
 案外、それを覆す絶好の機会になるのではないだろうか。
 そう思ったら欲が出た。
 今日中にあと一冊なんとかしよう。
 既に放課後になっていた。
 先輩が前に言っていた通り、放課後に本の回収をするのは難しい。この一週間で僕は身をもってそれを実感していた。
 でもやらなければ勝てない。
 僕は延滞者のいる教室を順に回ることにした。
 まず一年生のフロアから始めた。教室に残っている人にリストに載っている名前を訊ねて回る。顔を知らないのでこうするより他になかった。
 案の定、作業は地味で手間がかかった。一年生は当たりなし。二年生も同様。そして三年生が残った。
 できれば上級生は避けたかったけれど、ここまで来たら徹底するしかない。
 A組から順番に教室を回っていくと、C組の教室から知ってる顔が出てくるのを目撃した。
 同じ二年生で図書委員のN島だった。
 三年生の教室から出てきたということは、中に知り合いがいるということだろう。
 僕はN島を呼び止めて質問した。
「M沢って人、知ってる?」
 僕は三年C組にいる延滞者の名前を出した。
「……なんで?」
 訝しげに訊き返された。
 僕は未返却本の回収をしていることを告げた。
 するとN島は教室に居残っている三人のうちの一人を指差した。
 僕はN島に礼を言って教室に入った。
 M沢は机の上に座りながら、残り二人の友人と大声で笑い合っていた。
 とても話しかけにくかったけれど、ここまで来て引き返すわけにもいかない。
「あ、あの、すいません。M沢さんですよね」
 三人全員が一斉に僕を見た。
 が、一拍置いて三人とも自分たちの話に戻っていった。
 どうやら無視されたようだ。かなり驚いたけれど、もしかしたらタイミングが悪かったのかもしれない。
 念のために少しだけ待ってみたけれど、フリマアプリでどれくらい儲かったか、という話を続けていて一向に終わりが見えない。
「すいません! 図書委員なんですけど!」
 僕は意を決して再度、M沢に話しかけた。
 M沢は露骨に面倒臭そうな顔で言った。
「なんだよ、さっきから。誰だか知らねえけど、空気ってもんが読めないのか?」
 僕は図書室の本が延滞したままになっていることを伝えた。
 これまでの延滞者はここまで説明すると大半が反射的に謝ってきた。そして迅速に返却に協力してくれた。
 ところがM沢は表情を変えずに言った。
「知らねえ」
「……え? いえ、知らないはずはないと思いますけど」
「知らねえ」
「でもリストによれば未返却本が一冊あるはずなんですが」
「そっちの勘違いなんじゃねえの?」
「いえ、未返却かどうかは図書室の貸出システムが管理してるのでそんなことは」
「じゃあ使う奴の問題ってことだな」
 何を言ってもM沢は自分の非を認めようとしなかった。それどころか図書委員側に過失があると言って譲らなかった。
 一体この人はなんなんだ?
 驚きと怒りが同時にやってきた。
 しかしないというものをあると言わせるのは難しい。平行線の会話の末、結局のところ僕の方が引き下がるしかなかった。
「帰れ、帰れ。二度とないもの取り立てに来るんじゃねえぞ」
 僕は追い払われるようにして三年C組の教室を追い出された。
 僕は教室に戻ってくると自分の席に座った。
 深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着けようと試みる。
 その一方で、どうにかしてM沢から未返却本を取り立てられないかと考えていた。
 ちなみに那由多先輩との勝負のことはすっかり失念していた。だから他の延滞者を代わりに探そう、という考えも起きなかった。
 とにかくM沢の未返却本だけは僕がどうにかしないと、と思っていた。
 ふとM沢とその友人たちがフリマアプリの話をしていたことを思い出した。
 まさか図書室の本を無断で売っている、なんてことは?
 そう考えた直後、僕は慌てて頭を振った。
 いくら腹が立ったとはいえ、流石に悪い方向に考えすぎだ。
「……………………」
 とはいえ一度気にかかるとなかなか自分の意思では頭の中を払拭できないものらしい。
 僕はスマホを取り出し、中に入っているフリマアプリを起動させた。普段は使っていないのだけど、前に夏彦から勧められてインストールだけはしていたのだった。
 どうせ検索するのにそんなに時間がかかるわけでもない。それに引っかからなければいいだけのことだ。数タップで晴れる疑い、のはずだった。 
「……マジか」
 M沢の未返却本のタイトルを検索したら、アプリ内で三件も出品物がヒットした。そのすべてが定価の倍以上の値段が設定されていた。ちなみに過去の売約実績も何件かあった。
 本好きだから、いや、本好きでなくても理解できる。この本にはどうやらプレミアがついているようだった。
 いよいよM沢が怪しくなってきた。
 あいにく出品者のプライートな情報は表示されないため、この中にM沢が混ざっているのかどうかはわからなかった。だけどさっきの教室でのしらばっくれ方、攻撃的な態度、責任転嫁を思い出すと、すべてこのためなのだと僕には思えてならなかった。
 いや、ぼくだって同じ高校に通う人間が図書室の本を無断で売っているなんて思いたくはない。
 いっそ司書の先生や担任などに報告した方がいいのだろうか?
 と思ったものの、よく考えてみると物証はないのだった。
 状況的に怪しいというだけで、決定的な証拠があるわけではない。
 頭を抱えていたら、不意に背後から那由多先輩に話しかけられた。
「何をそんなに脳みそを悩ましてるのかな、後輩くん」
 完全に教室には僕一人しかいないと思っていた僕は、椅子から転げ落ちそうになるほど驚いた。
「な、なんでここにいるんですか? 神出鬼没すぎでしょう!」
 那由多先輩は呆れた顔をして言った。
「なんでって、三年生は二年生の教室に入ってはいけないということ?」
「いえ、悪くはないです。でも、どうやって?」
「開いてるドアから普通に入っただけだよ。幽霊でもあるまいし。こっそり壁をすり抜けて侵入したわけでもないんだからさ」
「で、でも、全然入ってきたのに気づきませんでしたよ?」
「それは後輩くんが周りが見えていないほど考え事をしていたからだよ」
「まさか。人が部屋に入ってくるのが見えてなかったなんて」
「別にそれを忌む必要はないと思うよ。それほどの集中力だったってわけだから。でも……」
「でも、なんですか?」
「主な原因はわたしが慎重に足音を忍ばせたってのが大きいんだけどさ」
「やっぱりこっそり近づいてきたんじゃないですか!」
 那由多先輩は忍者のように印を結ぶ真似をした。
「わたしが忍びの者なら息の根を止められていたよ?」
「先輩は忍びじゃないです!」
「それよりもどうかしたのかな、思案顔の後輩くんは? 人の接近に気づかないほど悩むってのは相当だよ? わたしでいいなら相談に乗ってあげるよ? なんたってわたしはキミの先輩なんだからさ」
「……………………」
 僕はしばらく先輩に打ち明けるべきかどうか迷った。
 もとはといえば先輩との勝負が端を発している。少なからず自分一人で解決したい気持ちはあった。
 とはいえ下手したら窃盗などの事件という可能性もあるのだ。妙なプライドは捨ててしまった方がいい。
 僕は一連の出来事を那由多先輩に説明することにした。
 M沢が未返却本を返してくれないことを話すと、那由多先輩は「そら見たことか、後輩くん」とでも言いたそうな顔になった。
 でもフリマアプリに高値で出品されているかもしれないことを伝えると、途端に口元を引き結んだ。
「……どうやら勝負なんてしてないで、本格的に図書室警察の活動をしなきゃいけない事態だね、これは」
 先輩はそう言うと素早くスマホを取り出た。フリマアプリは入れてなかったらしいが、その場でインストールしてすぐさま自分の目で確かめていた。
「なるほど。定価の倍近い金額で出ているのか。三件の出品があって、ほぼ横並びの値段。ということは、きっと古本の中古相場を踏まえているんだろうね。ああ、やっぱりだ」
 那由多先輩はその後もスマホを忙しなく操作しながら「ふうん」「へえ」「ほう」などと頷いていた。
 明らかに僕と先輩とでは見ているものが違うみたいだった。今さら先輩が前に言っていた、認識が世界を作る、という意味がわかった気がした。
「そ、それで、解決できそうなんですか?」
 僕が希望を込めて訊ねると先輩は即答した。
「それはまだわからないけどさ」
 思わず落胆しそうになったが、ふと僕と目が合うと先輩は口の端をニヤリと吊り上げて言った。
「任せておきな。この先輩にさ」
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登場人物紹介

湊 奏汰(みなと そうた)


主人公。高校2年生。図書委員。

那由多 宇宙(なゆた そら)


高校3年生。図書委員の先輩。

榎本 夏彦(えのもと なつひこ)


高校2年生。湊奏汰のクラスメイト。オカルト研究会。

榎本 夏鈴(えのもと かりん)


高校1年生。湊奏汰の後輩。図書委員。

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