プロローグ

文字数 1,804文字

「先輩。花火大会に行きませんか?」
 高校二年生の夏だった。
 上陸した台風は例年よりも数が多く、全国的に異常気象で、そして平成最後の夏だった。
 元号が異なるからといって、それが季節にどう影響を与えるかなんてわからない。
 だけど少なくとも僕にとってその年はは特別だったし、先輩にとってもそうだったと願ってやまない。
 とにかくその日、県立図書館で偶然にも先輩に出会った僕は、夏の暑さに半ばせかされるようにして彼女を花火大会に誘ったのだった。
 先輩はしばらく僕を眺めるようにして見つめていたけれど、おもむろに企みを称えた笑みを口元に浮かべた。
「どこの?」
 ちょっと煙に巻くような訊き方だったけれど、僕は先輩のこれくらいの言動には慣れている。
「大灯花火大会です。県内、いや、全国的にも有数の花火大会です」
「じゃあ、誰と?」
「後輩の湊奏汰、つまり僕、です」
「なるほど。順当に予想通りだね」
「というかこの二人で会話をしている状況で、僕以外にありえました?」
「それはないとは言い切れないよ。認識が世界を作るんだ。認識が異なれば世界もまた然りだよ」
「またそんなこと言って……」
「別に揚げ足取ってるわけじゃないんだよ。だって初めてのことじゃないか。後輩くんが学校外でのイベントにわたしを誘ってきたことなんて。どういう風の吹き回しなんだろうね?」
 ニヤニヤしながら先輩は訊ねてくる。
 確かに僕らはそういう私的な間柄ではなかった。普段は学校の図書室で仕事を共にこなす、図書委員の先輩と後輩というだけだ。ただ他の人よりも互いに本が好きで、話題の共有範囲が多少広いというだけの。
 だから夏休みも半ばが過ぎた今日、普段は足を運ばない県立図書館で出会ったのは、ほとんど純粋に近い偶然だったのだ。
「たぶん今年が平成最後の夏だからじゃないでしょうか」
 僕は最近SNSで乱用されている言葉を借りた。2018年。あらかじめ元号が変わることがわかっている初めての夏。そのせいか「平成最後の夏」という言葉がエモさを語るためにやたらと乱用されていたのだ。
「ふうん?」
 那由多先輩は不可解そうに首をひねった。
「後輩くん。キミは今年の夏と、今年以外の夏に違いがあると思っているのかな?」
 僕は言葉に詰まった。先輩は雰囲気や周りの流れには容易に飲まれない。あくまで自分が納得できるかどうかで行動する。返答によっては断られるだろうと思った。だから僕は正直に言った。
「わかりません。少なくとも今の時点では。でも後になってから、やっぱり平成最後の夏は特別だったって周りから言われたら後悔するかもしれないじゃないですか。それに……」
「それに?」
「どの夏も同じ夏なんてないと思います」
 那由多先輩はしばらく黙っていた。
 あまりにもその時間が長かったものだから、僕はもはや断られるものと腹をくくった。それだけではいたたまれず、誘いそのものをなかったことにしようとした。
「や、やっぱりなんでもないです! 忘れてください!」
「ちょっと待ちなって。まだ返事してないでしょ」
 先輩は露骨に不機嫌な顔になって言った。
「あ、はい」
 僕は先輩の剣幕に押されて押し黙った。が、やっぱり貴重な時間を割かせるのは悪いと思い、「無理には……」と付け加えようとした。
「キミも意外と辛抱足りないんだね。花火には行くんだから、もうちょっと待っててよ」
 怒られたので僕は黙って待つことにした。数秒後、疑問で首が曲がってきた。
「え、行ってくれるんですか?」
「だから思考に割って入らないでくれないかな。今、夏休みのスケジュールを頭の中で調整していたんだよ。……うーん、ま、いいか。どうにかなるよ。というか、する。いいよ。行こうじゃないか。花火大会」
 僕はしばらく先輩の言葉を理解することができなかった。自分から誘っておいてなんだけど、応じてもらえた場合のことを想像していなかったのだ。
「なんだい? 誘ってきたのはキミの方なのに、もっと喜んだりしないのかい?」
「あ、はい。嬉しいです」
「とってつけたような反応だね、後輩くんは」
 先輩には呆れられたが、約束が結ばれたことに変わりはなかった。
 二週間後の土曜日、花火大会。
 僕はこの時、確かに未来が訪れるのを心待ちにしていた。

 ――先輩との別れが訪れるとも知らずに。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

湊 奏汰(みなと そうた)


主人公。高校2年生。図書委員。

那由多 宇宙(なゆた そら)


高校3年生。図書委員の先輩。

榎本 夏彦(えのもと なつひこ)


高校2年生。湊奏汰のクラスメイト。オカルト研究会。

榎本 夏鈴(えのもと かりん)


高校1年生。湊奏汰の後輩。図書委員。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み