12 平成最後の夏(下)

文字数 4,108文字

「すいません。改札に鞄の紐を引っ掛けてしまって」
「いいよ。怪我とかはしなかった? 後ろから押されたりはしなかった?」
「不満そうに舌打ちされたりはしましたが、それ以外は何も」
「それは何より。ところで今からどうしようか。後輩くんは乗れなかったんだよね?」
「すいません。躊躇してるうちにドアが閉まってしまって」
 通話の向こう側からは一定間隔でレールの音が聞こえていた。
 改札の入場はわりとすぐに再開された。
 だから僕と那由多先輩はそこまで大きく引き離されたわけではなかった。
 ただ、お互いを見失ったのがまずかった。
 僕が急いでホームに降りた時、電車はまだ発車していなかった。
 僕は先輩がまだ電車に乗っていないと思い込み、ホームを見回した。
 一方、先輩も電車に乗らずに僕が来るのをホームで待っていた。
 それでも僕らはお互いを見つけられなかった。同じホームでも、反対側の階段で降りてしまったからだった。
 埒が開かなかったので通話かメッセージで確認しようとしたのだけど、その寸前に発車のベルが鳴った。とっさの判断で先輩は電車に飛び乗り、僕はホームに留まった。あいにくその行動は噛み合わず、先輩だけが乗った電車が大灯駅に向かってしまったのだった。
「先輩。次の駅でいったん降りるわけにはいきませんか?」
 僕はいろいろ考えた末にそう提案してみた。
 那由多先輩は頭の回転が早く、僕の考えをすぐに読み取った。
「次の駅で降りて、後輩くんが乗る電車を待つということだね?」
「そうです。流石です」
「うん。でも悪いんだけど、それはあまり賢明ではないかもしれない」
「どうしてですか?」
「今わたしが乗ってる車内は移動がままならないほどの混み具合なんだよね。まさにすし詰め。だから次の駅で後輩くんの乗る電車を待っても、よほど運が良くない限り、同じ車両に乗ることすら難しいかもしれないんだ」
 僕は周りを見回した。次の電車を待つ人々が次第にホームを埋めつつある。那由多先輩が乗って電車よりも急に空くとは考えづらかった。
「おっしゃる通りです。考えが浅すぎました」
「それじゃあ仕方がないけど、このまま大灯駅まで乗っていくことにするよ。駅についたら待ち合わせしやすそうな場所を見つけて連絡するよ」
「すいません。お願いします」
「というか、さっきからすいませんって言いすぎだよ、後輩くん」
「いや、でも僕の要領が悪いせいでこんなことになったわけですから」
「だからって過剰に謝ればいいわけでもないだろ? これ以上、くねくねするなよ、後輩くん」
「くねくね? くよくよじゃないんですか?」
 僕は聞き間違いかと思ってとっさに那由多先輩に訊き返した。
「そう、くねくね」
「く、くねくねなんてしてませんよ。人前でそんなことしてたら気持ち悪がられるじゃないですか」
「だったらすぐにやめないとね、くねくね」
「だからしていないですって!」
「本当に?」
「断じて!」
「うん、その意気だよ。じゃあ、大灯駅で待ってるから」
 そこで通話は終了した。
 最後はよくわからない絡まれ方をしたが、たぶん先輩なりに元気づけてくれたのだろう。
 とりあえず先輩に言われた通り、気持ちを前向きに改めることにした。予定よりも時間は遅れ気味だったけれども、それでもまだ花火の開始に間に合わないほどではないのだ。
 次の電車は二十分後にやってきた。乗客が多いせいか、停車から発車まで多少の待ち時間があった。そういえばさっきの電車もそうだったのだ。
 幸いなことに座席に座ることができたが、車内はすぐに人でいっぱいになった。
 ほどなくして電車が走り出した。
 乗客が多くて窓の外は見れそうにない。スマホを見ると那由多先輩からメッセージが届いていた。
『今、半分のH駅を通過したところ』
『こちらはようやく秋葉を出発したところです』
 片道五十分の所要時間なので、ちょうど半分のずれといったところだろう。
 このペースだと僕がH駅を通過する時、先輩は大灯駅に着いている感じだろうか。
 電車は各駅停車で、その度に乗客が増えていった。僕はまだ座っているので楽だったが、立っている人たちはどんどん窮屈になっていった。
 東京の通勤ラッシュ顔負けだな、と僕は思った。乗ったことないけれど。
 発車からきっかり二十五分後にH駅を通過した。
 僕は先輩にそのことを報告した。大灯駅に着いて電車を降りたところだろうか。返信が来るまでに少し時間がかかった。
『大灯駅に着いたんだけど、凄いことになってるね。壮絶。まるで人類が一つの駅に結集しているかのようだよ』
 実際に見たわけではないけれど、人口は七十億オーバーだから、流石にそれは言い過ぎではないかと思った。
『どこか待ち合わせできそうな場所はありますか?』
 僕は心配になって訊ねた。大灯駅周辺は初めて行くところなので土地勘がない。
『わからないけど、後輩くんが着く頃までにはどこか探しておくよ』
 僕も到着してから迷わないようにスマホで大灯駅周辺を調べておこうと思った。しかし周りでスマホを使っている人が多いせいか、通信の電波状況が芳しくなかった。
 あと二駅というあたりでメッセージが届いた。那由多先輩からではなく、夏彦から打ち上げ会場に着いたという報告だった。一緒に画像も送られてきた。会場の混み具合を伝える写真かと思いきや、三人の女子と一緒に夏彦が自撮りしたものだった。三人のうち二人は笑顔だったけれど、夏彦が本命と言っていた女子は無表情だった。
 上手くいかないものだね、お互いに。
 苦笑していると大灯駅の到着を知らせるアナウンスが流れた。
 僕は那由多先輩に「次で着きます」とメッセージを送った。
 返事はなかなか来なかった。那由多先輩にしては遅い気がしたが、きっと混雑していて良い待ち合わせ場所を見つけられずにいるのだろう。
 電車は速度を落として大灯駅のホームに入った。
 停止してドアが開くと、乗客が一気に外へと流れ出た。
 僕はかなり遅めに車両から降りたのだけど、ホームには人が溢れ返っていて、すぐに身動きが取れなくなってしまった。
 混むことは予想していたものの、まさかこれほどとは思ってもいなかった。
 僕は右も左もよくわからないまま、人の流れに合わせて移動するしかなかった。困ったことに駅舎の自動改札からはどんどん離れていく。かといって流れに逆らうこともできない。
 どうしたものかと思っていたら、流れの先を見たらホームの柵が部分的に撤去されていて、そこから外に出られるようにされていた。切符は出口で駅員が回収していた。
 大人数を一気にさばくために駅側も工夫しているのだな、と感心した。
「さて」
 紆余曲折はあったものの、どうにか大灯市までやってこれた。
 あとは那由多先輩と合流すれば仕切り直しできたも同然だ。
 僕は辺りをぐるりと見渡した。
 駅前はホームほどではないにしろ人混みで賑わっていた。
 ここから人を一人だけ探し出すのはだいぶ難しいだろう。たぶん絵本の『ウォーリーを探せ』よりも難易度は極めて高いはずだ。
 僕は再度、スマホに連絡が来ていないか確認した。何も通知はなかった。
 先輩からの最後のメッセージを受け取ってから時間はけっこう経っている。
 もちろん人の数は尋常ではないので、待ち合わせ場所を探すのは骨が折れるかもしれない。ただ、僕が見た限りでは目印となるようなものがまったくないわけではなかった。
 駅の出入口の脇には花火の火薬玉を模した大きなモニュメントが飾ってあったし、ロータリーの真ん中には時計台、車道を渡った先には商店街の入り口を示すオレンジ色のアーチも見えた。
 頭の回る那由多先輩にしては不可解だと思ったが、不意に僕は我に返った。
 先輩は神出鬼没だ。これまでに何度も僕の背後を取ってきた。今回もまたそれを狙っているのかもしれない。
 僕は迅速に自分の周囲を見回した。いつもそう簡単に同じ手を食うものか。
「……………………」
 那由多先輩の姿はなかった。
 僕は諦めて那由多先輩に通話をかけることにした。もしかしたらメッセージの通知に気づいていないだけかもしれない。僕はスマホを取り出し、通話ボタンを押そうとした。
 その時、サイレンの音が鳴り響いた。
 驚いたのは僕だけではなかった。駅前にいたほとんどの人が同じ方向を見た。
 離れていてよく見えなかったけれど、商店街のアーチのあるあたりからその音は聞こえていた。注目していると救急車が姿を現した。やってきたわけではなく、もともとそこに止まっていたのが、発車とともにサイレンを鳴らしたようだった。
 僕はスマホを手にしたまま固まっていた。
 まさか。いや、そんなわけがない。
 相反する気持ちに突き動かされ、僕は意を決して走り出した。
 救急車は車としてはゆっくりだったけれど、人の足で追いつけるものではなかった。交差点を曲がるとすぐに見えなくなってしまった。
 代わりに僕は救急車がもともと止まっていた商店街のアーチの方へ向かった。
 少し走っただけなのに動悸が激しくなった。
 普段、運動していなかったからだろうか。やっぱり夏休みだからってずっと家にいるのはよくないな。
 そんなお門違いな考えが脳裏をよぎりながら、僕は人混みを必死に掻き分けた。
 野次馬らしき人たちの間を抜けると急に視界が開けた。
 その場には路肩に止まった自家用車とパトカー、そして警官が何人かいた。
「事故ですか?」
 僕は近くにいた野次馬の男性に訊ねた。そうらしい、と男性は頷いたが、その瞬間は目撃していなかったようで詳しいことはわからなかった。
 自動車は破損しているわけでもなく、地面に何かが散らばっているわけでもなかった。例え事故で軽度のものだろう、と僕は思った時だった。
 警官が屈み込んで拾ったそれを見て、僕の意識は瞬間的に凍りついた。
 先輩が履いていたものと同じクロックスだった。 
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登場人物紹介

湊 奏汰(みなと そうた)


主人公。高校2年生。図書委員。

那由多 宇宙(なゆた そら)


高校3年生。図書委員の先輩。

榎本 夏彦(えのもと なつひこ)


高校2年生。湊奏汰のクラスメイト。オカルト研究会。

榎本 夏鈴(えのもと かりん)


高校1年生。湊奏汰の後輩。図書委員。

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